バントリー伯爵

バントリー・ハウス、2010年撮影。

バントリー伯爵(バントリーはくしゃく、: Earl of Bantry)は、アイルランド貴族の爵位。1816年に創設され、1891年に廃絶した。

歴史[編集]

コーク県バントリー英語版出身の地主リチャード・ホワイト(1767–1851)フランスのアイルランド遠征(1796年 – 1797年)において、バントリー湾英語版でフランス軍を待ち構えて撃退しようとした[1]。この功績により1797年3月24日にアイルランド貴族であるコーク県バントリーにおけるバントリー男爵に叙された[1]。その後、1800年12月29日にコーク県バントリーにおけるバントリー子爵に、1816年1月22日にコーク県におけるベアヘイヴン子爵バントリー伯爵に叙された[1]。その息子にあたる2代伯爵リチャード・ホワイト(1800–1868)と3代伯爵ウィリアム・ヘンリー・ヘア・ヘッジス=ホワイト(1801–1884)はともに保守党の政治家であり、アイルランド貴族代表議員を務めた[2]。3代伯爵は襲爵以前の1840年9月7日、初代伯爵の母の兄弟にあたるロバート・ヘッジス・ヘア(c.1770–1840)から遺産の一部を相続したことにより「ヘッジス」を姓に加えた[2]

3代伯爵の息子にあたる4代伯爵ウィリアム・ヘンリー・ヘア・ヘッジス=ホワイト(1854–1891)が男子をもうけないまま死去すると、爵位はすべて廃絶した[2]バントリー・ハウスなどの遺産は4代伯爵の姉エリザベス(1847–1880)の息子エドワード・リー(1876–1920)が相続し、リーは1897年に姓を「リー=ホワイト」に改めた[3]。その後、バントリー・ハウスはリーの長女クロダー(1905–1978)が相続し、クロダーと夫ジェフリー・シェルスウェル(1897–1962)一家は姓を「シェルスウェル=ホワイト」に改めた[3]。クロダーとジェフリーの死後は息子エジャートン(1933–2012)、さらにその死後は娘ソフィー(1981–)が母や夫とともにバントリー・ハウスを管理している[4]

バントリー伯爵(1816年)[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c Cokayne & Gibbs 1910, p. 415.
  2. ^ a b c Cokayne & Gibbs 1910, p. 416.
  3. ^ a b "House, Home and Heritage since 1690" (PDF). Bantry House (英語). April 2016. pp. 2–3. 2024年4月16日閲覧
  4. ^ "House, Home and Heritage since 1690" (PDF). Bantry House (英語). April 2016. p. 4. 2024年4月16日閲覧

参考文献[編集]