バロール

バロールまたはバロル (Balor) は、アイルランド神話に登場するフォウォレ族の勇将。ケスリン英語版の夫でエスリン英語版の父にして、ルーの祖父。

魔眼のバロル」の異名を持ち、目を開くと大勢の相手をも倒す不思議な破壊力を発揮する。民話では一つ目、二つ目(後頭部にひとつ)、三つ目とも語られる。

ダナ神族を相手とするマグ・トゥレドの戦いでは、敵軍にいる孫のルーに目を石で撃ち抜かれて死んだ。

伝わる民話に拠れば、バロルという戦士が孫に倒される運命と知り、娘エフネを塔に幽閉するが、結局マク・キニーリー(正しくは キャン・マック・カンチャ)とのあいだに生まれた遺児(ルーと目される)の一撃によって落命する。

名称[編集]

神話や民話において様々な綽名で呼ばれている。

「打撃のバロル」(Balor Béimnech[2]、Balor Béimneach[3])と近世の文学にあるが[注 1]、中世の古書では「強撃のバロル」(Balor Balcbéimnech[6])や、「刺すような目のバロル」(Balor Birugderc[7])とも呼ばれる。

また「邪眼のバロル」(Balór na Súile Nimhe)とも民間伝承でいわれ[注 2][9]、日本語の書籍でも「魔眼のバロル」[10]などと表記される。

父称形は「ネト英語版の子ドトの子バロル」(Balor mac Doit meic Néid[11])、バロル・ウア・ネト(Balor ua Neitt /uí Nét)などで、中世の文献に記される[12]

バロルの語源はケルト祖語*Boleros(閃光をはなつ者)に由来するとの仮説がある[9]

概要[編集]

バロールは、フォウォレ族の勇将。敵対する種族のダナ神族とのあいだでマグ・トゥレドの戦いが勃発した。

バロールの魔眼は敵をまとめ討つ破壊力があるが、四人の配下に瞼を持ち上げさせようとしていた最中に[7]、敵軍の陣頭にいる孫のルーによって、投石器で魔眼を撃ち抜かれて戦死する[13]

この戦いの軍記によれば[注 3]、バロールの魔眼は、ドルイド僧が煮ていた魔法の飲薬からたちのぼる毒気にあてられてその力を得たことになっている[7]

民話では、バロールは孫に殺されるという予言を受けた地元豪族(名だたる戦士)の設定で、それを阻止すべく娘を幽閉するが、娘は キャン・マック・カンチャ[注 4]と密通し、孫が生まれてしまう。バロールは、孫を赤子のうちに抹殺させたと思い込んでいたが、後年、孫(ルーに相当)[注 5]と遭遇し、赤熱した鉄棒や槍などで目を刺されて殺される。

文芸記述[編集]

神話物語群[編集]

バロールについての、中世に記された文献では[注 6]、以下のように描写されている。

家系[編集]

バロールは、ドトの子、ネト英語版の孫とされるが(軍記『マグ・トゥレドの戦い』)[11]ビューラネッへ英語版(「牛顔」の意)の息子とも記されている(『レンスターの書英語版』、円形土砦(ラース)英語版建設者の名簿)[14][15][注 7]

ケスリン英語版は、バロールの妻だとオフラハティ著『オギュギア』(1685年刊行)に記される[5]。ケスリンがマグ・トゥレドの戦いでダグダに投槍を命中させたことは『アイルランド来寇の書』に記されるが、彼女がバロールの妻とは明記されていない[18]

フォウォレ族の中の地位[編集]

バロールはフォウレ族の一員で、そもそもダナ神族とは敵対していた。ダナ神族の女神エリウがフォウォレ族に孕まされて生まれたブレスがダナ神族の王として君臨し、かたちのうえでは和睦が成立したが、フォウォレ族の王たちは、重税をかけてダナ神族を苦しめた。結果、ブレス王は廃され、二族間のあいだに戦争が勃発した[19][20]

バロールは、フォウォレ族の勇将ならびに島嶼の王(ヘブリディーズ諸島の王)として軍記『マグ・トゥレドの戦い』に登場し、族王インデフ・マク・デー・ドウナンとともに、フォウォレ軍を統率する[12][7]。バロルは、ブレス王のために《ブレスの円形土砦(ラース)》(古アイルランド語: Rath-Breisi)を築いたと別の文献に伝わる[14][15] [注 8]

戦功と戦死[編集]

この(第二次)マグ・トゥレドの戦いにおいてバロールは銀腕のヌアザを討ち取るが、自分も孫のルーに魔眼を撃ち抜かれ、その眼は大勢の友軍に被害を与え、崩れ落ちた巨体も配下の兵士を圧死させた[7][6]

バロールの眼は、なんらかの「毒の力」を秘めており[注 9] 、目を見開けばその破壊力を発揮する。しかし、その瞼(まぶた)は重たく、瞼につけた環っか(把手)を兵士4人がかりで持ち上げねばならなかった[7][22]。その隙にルーの放った投石器の石で眼を撃ち抜かれ、その眼は友軍に甚大な被害をもたらした[13]。倒れ込んだバロールの胴体は27名のフォウォレ兵を圧死させ、頭がインデフ王に接触した[注 10][13]

明言はされないが、ここに登場するバロールは一つ目の巨人であるとの解釈もされる[24]。軍記では、バロールの眼が「毒の力」を得たいきさつも記しており、これによればバロールの父のドルイド僧たちが薬湯(魔法のポーション[25])を煮ていた時、窓から外を見て湯気(煙)が目に入り、バロールはその毒気を得たとしている[7][26][注 11]

民話[編集]

トーリー島英語版にある「巨塔(トール・モール)と呼ばれる大岩。地元版の民話では、バロルはこの岩に建てた塔に娘を幽閉したことになっている。

トーリー島につたわる民話によれば[28]、バロルという地元の豪氏がおり[注 12]、海の向こうのドニゴール県の浜町のマク・キニーリー(正しくは キャン・マック・カンチャ[30]という名の転訛である[31][32][注 13][注 14]の持つ豊穣の牛を盗み出した。被害者は、バラルを倒さねば牛は奪還できないとの啓示を受けるが、バロルは孫に倒される運命と定められている。それを知るバラルは、「バラルの塔」と地元でいわれる岩山(自然石の形成物)に建てた塔に娘エフネを幽閉していた。それでもマク・キニーリーは娘と密通を果たし妊娠させる。バロルはマク・キニーリーを亡き者に処すが、その遺児がやがてバロルを殺す[35]

この無名の遺児は、ルーに相当する。「トーリー島のバロル」および「邪眼のバロルと孫のルイ・ラヴァダ」と題する2編の異本では [注 15]、バロルをの遺児はルイ・ラヴァダ(長腕のルイ)と呼ばれており[36][37]、ルー伝承の名残として扱われる[38]。アイルランド語版「バロルとマク・キニーリー」でも [注 16][39]、遺児はルー・ファドラヴァッハ[注 17](「長腕のルー」の意[40])である。また違う類話「グロス・ガヴレン」では遺児はドルドナ(Dul Dauna)と呼ばれており[41]、これはイルダナハ「諸芸の達人」(長腕のルーのあだ名)の転訛と説明される[42][注 18]

民話ではバロルを倒す武器は、鍛冶場の炉にあった赤熱した鉄棒だったり[28]、鍛冶師がガヴィディン(Gavidin)が赤熱させた槍だったり、鍛冶師ガイヴニン・ガウ(Gaivnin Gow)が鍛えた特別な赤い槍だったりする[37]。特に後者は、怪物が特別な方法でしか倒せない例として挙げられる(バロルは所定の場所にいるとき、この武器でないと倒せない)[38]

バロルの目[編集]

バロルは、単眼、双眼、三つ目なことも、それが毒性なことも発火性なこともあるとアイルランド伝承文学学者スコウクロフトはまとめている[47]

眼の数と蓋[編集]

初出の民話ではバロルの眼の魔力の描写が装飾的で、額の真ん中に目ひとつ、そして後頭部には普段は蓋をした殺傷力ある眼を持っている。それは毒の色素と光線(beams)を放つバシリスクのごとき眼であり、相手を石化して殺すと語られている[28][注 19][注 20]

「トーリー島のバロル」では、額の真ん中の危険な眼は9層の革盾で覆われていたが、長腕のルイが赤槍で貫通させた[注 21]。スコウクロフトは「額の真ん中の余分な目」(第3の目)の伝承があるとするが、その一例であろうか[47][注 22]。バロルが三つ目であると明言する例としては作家マクスウェル英語版が発表した短編がある[50]

だがある伝承によれば( メイヨー県))バロルは単眼にもかかわらず、7層の蓋がかぶせられていた。それは"有毒・烈火の目"で、"最初の蓋をとると蕨が枯れ始め、2枚目をとると芝草が赤銅色に変じ、3枚目で森林や木材が熱をもち、4で木々が発煙、5ですべては赤くなり、6で火花が散り、7ですべては発火して"里山は火の海となる [注 23][9]

生首と湖の由来譚[編集]

『フィン歌集』中「フィンの盾」によれば、バロルの首はある樫の木の枝分かれに梟首され、毒気を含んだその木はやがてフィン・マックールの盾の木材とされたとされる[51]

「トーリー島のバロル」の民話と、これと近似したアイルランド語の稿本でも、長腕のルイ(ルー)がバロルの生首を岩のうえに晒し、そこから毒の滴がしたたり湖ができたとされる。アイルランド語版は湖名(地名)を示さないが、カーティンが英語で所収した版では、語り手の地元のドニゴール県グウィドー湖とされている[36][39]

しかし、別の伝承(スライゴー県)によれば、バロルは、その魔眼とガラス(望遠鏡遠眼鏡のたぐい、レンズ、あるいは片眼鏡[52])を使って人を殺し、モイツゥラ(マグ・トゥレド)の原の植物を枯らしていたが、ある勇者が現れ、バロルをたぶらかしてその眼鏡をはずさせた隙に目を潰した、するとその血が溜り溜まって「眼の湖」を意味する'Lochan na Súil と呼ばれるようになった[注 24][53]。これはバリンドゥーン修道院英語版跡の近くにあるナスール湖のことである[54]

ゆかりの地[編集]

バロルの居城をトーリー島とする民間伝承は、フォウォレ族の中世文学から発祥しているという説明がある[9]。これはバロルが中世の頃からトーリー島の住人とされていた、という趣旨の発言ではない。中世文学にあるのは、フォウォレ族の長のコナン英語版という人物が、コナンの塔を居城とし、それは「塔の島(Tor Inis)」という伝承であり、これは「トーリー島」であろうと比定されてはいるが、バロルのことなど何ひとつ書かれていない。だが、このことから、民間伝承ではフォウォレ族のバロルもトーリー島に住んでいたといわれるようになった[55]

トーリー島には、「バロルの城」Dún Bhalair や「バロルの塔」Dún Bhalair と地元で呼ばれる地形があり[9]、高くそびえるような「巨塔」(Tór Mór)と呼ばれる地形も存在する[56]

オドノヴァンがトーリー島で採取した民話の影響力が強く、バロル伝説のゆかりの地は"あたかもトーリーに独占権があるごとく"な一般認識があるが、それは誤っているとヘンリー・モリス英語版の批判がある[29]

オドノヴァンとて、バロルの記憶はアイルランド各地の伝承に残るとしていた[4]。バロルと豊穣の牛の民話はトーリー島以外でも、特にアルスター南部に多く伝わっていた。モリスは1900年頃、モナハン県ファーニー郡英語版からに断片的なものは採取できたとする。豊穣の牛グラス・ガヴレン(グラス・ガヴナン)の奇譚の設定舞台は、モナハン県南部や、果てはダブリン市沖のロックアビル英語版島になっているものまであるという[29][注 25]

解釈[編集]

バロールは、過ぎゆく年の太陽神で、新年(の太陽神、ルー)と対立する存在との解釈がされる[59]

バロールについて一冊の本を書きおろした民話学者A・H・クラップ英語版も、このようなような見解を展開する[注 26]。さらには、過ぎゆく年の年寄りの神たるバロールが、豊穣の大地の象徴である女神を幽閉するモチーフが加わるが、それは太古からの神話に基づくものと仮説している[60]

ダーヒー・オーホーガンアイルランド語版はさらに、バロールが有害な悪しき太陽の側面をあらわすと解説する。太陽の有害面とは例えば干ばつや穀物の不作のことである。バロールは銅器時代のケルトの太陽神と、ギリシアのキュクロープスが習合されたものではないかとオーホーガンは憶測する[9][61]モイラ・オニール英語版は、ルーによるバロール殺害は、本来はルーナサ英語版にまつわる収穫神話であったが、これに聖パトリッククロウ・ドゥヴ英語版退治の説話が加わったものという説をとっている[9][62]

比較分析[編集]

アーサー王伝説物語『キルッフとオルウェン』に登場するイスバザデン英語版とバロールの間には、娘が嫁ぐ事が自らの破滅に繋がるといった共通した特徴がある[63]。また、いずれも、瞼を数人がかりで持ち上げなくてはならず[64]、槍を受けて目をつぶされる[65]

19世紀中葉から、バロールとギリシア神話キュクロープスとの比較がされている[48]。また、ジョン・オラヴァティは、孫に殺される 神託を受けた アクリシオスと比較している[66]。その孫はペルセウスであるが、 他にもこの対比を追求した論がみられる[67]

オラヴァティはさらに、バロールの名をギリシアの勇士ベレロポーンと関連づけている[66]アンリ・ダルボワ・ド・ジュバンヴィル英語版も、これに関して意見を述べているが、ベレロポーンとは案ずるに「ベレロスの殺し手」の意味、ベレロスとはキマイラの意であり、キマイラもバロールは、雷や火焔を発する類の似たような怪物だとしている[68]

だが、ダルボワ・ド・ジュバンヴィルやトーマス・ジョンソン・ウェストロップ英語版がとくに着目したのは、百眼の アルゴスである。ギリシア神話では白い牝牛 イーオーの番人として登場する。バロールの滅するのはルー、アルゴスを倒すのはヘルメースであり、ルー神は(古代ローマの書家などにより)ケルトのヘルメースであるから、怪物を倒す太陽神までを含めた対比が成立する[69][70]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「打撃のバロル」はBalor Béimeann(民話『グラス・ガヴナン』)[4]、 Balar Bemen (オフラハティ英語版『オギュギア』、17世紀)とも綴られている[5]
  2. ^ オーホーガンの"Balor of the Evil Eye"を直訳すると邪眼。単語の nimh は「毒」のことであるが、転じて「敵意」や「悪意」、苦々しい妬みや恨みを意味する[8]
  3. ^ 古アイルランド語で書かれた『マグ・トゥレドの戦い
  4. ^ ラーミニーの採集話では Kian, son of Contje とあり、この正しい名に近いが、類話では名前が転訛しており「マッキニーリー」や「フィン・マッキニーリー」等と伝わる。
  5. ^ 無名、またはドルダナ等の、異名あり。
  6. ^ 軍記『マグ・トゥレドの戦い』や『アイルランド来寇の書』等。
  7. ^ Buar-ainech で「牛の顔をした」の意だとダルボア・ド・ジュバンヴィルは説明し(buar ビュール '牛' + ainech アネッヘ '顔' の複合語[16])、さらにはケルトの神ケルヌンノスに結びつけることが可能ととしている[15][17]
  8. ^ 円形土砦(ラース)の造営者のリストは、Dubhaltach Mac Fhirbhisighが作成した1650年版もある[14]
  9. ^ nem, neim[21]
  10. ^ アイルランド語: cloch as a tábaill。"taball"は投石器[23]
  11. ^ なお、ユージン・オカリー英語版は、バロールの眼の能力を得たいきさつについて自己が所有する写本に異聞が書かれているとしたが、紙数の都合で詳述できないとした[27]
  12. ^ バロルがトーリー島に住み着いたとする民話例はアイルランド各地でも多いとされるが[9]、もっと南寄りの場所住んだとも伝わっている[29]
  13. ^ アイルランド語: Cian mac Caínteラーミニー英語版話集版でも、音写でコンチェの子キャン(Kian son of Contje)という名である[33]
  14. ^ オカリーに拠れば、このカンチャの正体は不明[34]
  15. ^ いずれもカーティン編。
  16. ^ カーティン編「トーリー島のバロル」に近く、主人公が同じくフィン・マク・キニーリーである。
  17. ^ Lugh Fadlámhach
  18. ^ グレゴリー女史の再話では、複数の原典をもとに継ぎ目無く連綿とした物語として提供されているので[43]、民話原文の人物名であるマク・キニーリーやエフネや[44]遺児のドルダナ、そのつど古文書の名称であるキアンやエスリンに置換している[45]井村君江の解説など多くの著書に同様の内容がみられる[46]
  19. ^ 原文:"eye.. and its beams and dyes of venom, like that of the Basilisk.. kept.. covered, except.. to [strike dead his] enemies by petrifying them"。オカリー教授は、このような農民 peasantry のあいだに膾炙したような話がオドノヴァンの刊行物によって広まった事態を憂慮していた[27]
  20. ^ この後頭部の第二の目は、ギリシア神話のキュクロープスとも比較されている[48]
  21. ^ アイルランド語版「バロルとマク・キニーリー」でも7層の覆い(蓋。アイルランド語: bpilleadh; ドイツ語: filleadh[49])がかかっていて、長腕のルーが貫く[39]
  22. ^ これが単眼だと普段は目隠し状態となってしまう。よってスコウクロフトのいう "extra eye in the middle of his forehead"の例とすれば、理に適う。ただスコウクロフトが、この民話例を念頭にしているのかは断言できかねる。また、次にあげるメイヨー県の例では単眼でも蓋で覆われていた。蓋が何枚かの革盾であれば、とても見えまいが、スライゴー県の伝承では、目にはガラス(レンズ等)が当てられてていた。
  23. ^ "He had a single eye in his forehead, a venomous fiery eye. There were always seven coverings over this eye. One by one Balar removed the coverings. With the first covering the bracken began to wither, with the second the grass became copper-coloured, with the third the woods and timber began to heat, with the fourth smoke came from the trees, with the fifth everything grew red, with the sixth it sparked. With the seventh, they were all set on fire, and the whole countryside was ablaze!"
  24. ^ または「バロルの眼(Suil Balra)」とも。
  25. ^ また、旧ブレフネ王国英語版地方には、バロルの妻の名をとって「ケスリンの島」(現今のエニスキリン と町が名づけられたという俗説(17世紀の「クロンマクノイス年代記」に記述)がある[29][57]。かつては川中の城があっ[58]た。モリスはさらに Glengevlin という村名もバロルにまつわる魔法の牛に由来するとする[29]
  26. ^ この神話や類似の神話は、年代わりの成長、死、再生の象徴であるとする。

出典[編集]

  1. ^ Shearman, John Francis (1882), “The Celtic Races of Great and Lesser Britain, or Armorica, deduced from the Ancient Gael of Ireland.”, Ulster Journal of Archaeology 15: 479–480, https://books.google.com/books?id=PU_KAAAAMAAJ&pg=479 
  2. ^ ジョン・フランシス・シーアマン英語版神父がBalor Beimnech ("of the mighty blows") という表記を用いている[1]
  3. ^ Pearse, Padraic, ed (1908). Bruiḋean Ċaorṫainn: sgéal Fiannaiḋeaċta [the Rowan-tree Palace]. Ċonnraḋ na Gaeḋilge. pp. 2, 43, 48. https://books.google.com/books?id=YWoGAQAAIAAJ&pg=PA44  ()
  4. ^ a b O'Donovan 1856, p. 18.
  5. ^ a b O'Flaherty, Roderic (1793). “Part III, Chapter XII”. Ogygia, or, A chronological account of Irish events. 2. tr. by Rev. James Hely. pp. 21–22. https://books.google.com/books?id=pD0IAAAAQAAJ&pg=PA22 : "Kethlenda, the wife of Balar, gave Dagda.. a desperate wound from some missile weapon"; p. 23: "Lugad.. Mac Kethlenn, from is great grand-aunt, the wife of Balar".
  6. ^ a b Macalister (1941) ed. tr. LGE ¶312, 118–121; ¶331–332, pp. 148–151; ¶364, pp. 180–181
  7. ^ a b c d e f g Gray 1982 tr., The Second Battle of Moytura §133, ed. CMT §133; Stokes 1891, pp. 100–101, glossary p. 113
  8. ^ Ó Dónaill (1977) Foclóir Gaeilge–Béarla s.v. nimh".
  9. ^ a b c d e f g h Ó hÓgáin, Dáithí (1991). Myth, Legend & Romance: An encyclopaedia of the Irish folk tradition. Prentice Hall. pp. 43–45. https://books.google.com/books?id=qUgUAQAAIAAJ&q=%22Balor%22 
  10. ^ 井村 1990.
  11. ^ a b Gray 1982 tr., The Second Battle of Moytura §128, ed. CMT §128; Stokes 1891, pp. 96–97
  12. ^ a b Gray 1982 tr., The Second Battle of Moytura §50, ed. CMT §50; Stokes 1891, pp. 74–75
  13. ^ a b c Gray 1982 tr., The Second Battle of Moytura §135, ed. CMT §135; Stokes 1891, pp. 100–101
  14. ^ a b c O'Curry, Eugene (1873). “Lecture XIX The Rath builder and the Caiseal builder”. On the Manners and Customs of the Ancient Irish. 3. Williams and Norgate. pp. 14–15. https://books.google.com/books?id=smKZtWUqAXcC&pg=PA15  レンスターの書 fol. 27v より。
  15. ^ a b c Arbois de Jubainville, Marie Henri d' (1908), “Gaelic Folk-Tales and Mediæval Romances:Les dieux cornus gallo-romains dans la mythologie irlandaise”, Revue Archéologique, Quatrième Série 11: 6–7, JSTOR 41019629, https://books.google.com/books?id=JDzOAAAAMAAJ&pg=PA6 
  16. ^ eDIL s.v. "búar"; "[dil.ie/20066 1 enech , ainech].
  17. ^ Arbois de Jubainville 1903, p. 218.
  18. ^ Macalister (1941) ed. tr. LGE ¶314, 124–125 (Cetlenn); ¶366, pp. 184–185; Poem LV, str. 32 on p. 237
  19. ^ 井村 1983、『ケルトの神話』80頁。
  20. ^ Gray 1982 tr., The Second Battle of Moytura §36–§40, ed. CMT §36–§40; Stokes 1891, pp. 69–75
  21. ^ eDIL s.v. "neim".
  22. ^ eDIL s.v. "drolam"; "omlithe cona drolum omlithi `with a polished (?) handle'. The meaning is speculative, cf. Stoke's note on omlithi, p. 122.
  23. ^ eDIL s.v. "táball".
  24. ^ Sheeran & Witoszek 1990, p. 243.
  25. ^ eDIL s.v. "fulacht (1)".
  26. ^ Scowcroft 1995, p. 141、Sheeran & Witoszek 1990, p. 243の要約を参照。
  27. ^ a b O'Curry 1863, pp. 233–234.
  28. ^ a b c O'Donovan 1856, pp. 18–20, note s。オドノヴァン英語版が発表したバロル伝承(語り手:トーリー島在住 Shane O'Dugan)。
  29. ^ a b c d e Morris 1927, p. 57.
  30. ^ 以下のアイルランド語歌の題名の邦訳のカナ表記:イーファ・ニ・アーリ (歌手) (1997年). Úrchnoc Chéin Mhic Cáinte [キャン・マック・カンチャの丘] (CD). イーファ (アイルランド語). ビクターエンタテインメント.
  31. ^ Ogle, Marbury B. (1928), “Reviewed Work(s): Balor with the Evil Eye by Alexander Haggerty Krappe”, The American Journal of Philology 49 (3): 297, JSTOR 290097, https://books.google.com/books?id=ronPAAAAMAAJ&q=%22Kineely%22 
  32. ^ Bruford, Alan (1966), “Gaelic Folk-Tales and Mediæval Romances: A Study of the Early Modern Irish 'Romantic Tales' and Their Oral Derivatives”, Béaloideas 34: 162, JSTOR 20521320, https://books.google.com/books?id=9xTaAAAAMAAJ&q=%22Ghaibhleann%22 
  33. ^ Larminie 1893, pp. 1–9.
  34. ^ O'Curry 1863, pp. 168–171, notes 161, 162, 165.
  35. ^ O'Donovan 1856, pp. 19–20.
  36. ^ a b Curtin 1894. "Balor on Tory Island". pp. 283–295. カーティン1894年話集第13話(語り手:ドニゴール県ゴータホーク英語版在住の Michael Curran)。
  37. ^ a b Curtin 1894. "Balor of the Evil Eye and Lui Lavada his Grandson". pp. 296–295. No. 14. , Connemara.。カーティン1894年話集第14話(語り手:コネマラ在住の Colman Grom)。
  38. ^ a b Brown, Arthur C. L. (August 1924), “The Grail and the English Sir Perceval. V”, Modern Philology 22 (1): 87–88, JSTOR 433319 
  39. ^ a b c Laoide, Seosamh (1913) [1909]. “XIII Balor agus Mac Cionnfhaolaidh”. Cruach Chonaill. Dublin: Chonnradh na Gaedhilge. pp. 63–65. https://archive.org/stream/cruachchonaillti00lloyuoft#page/62/mode/2up . 1909 edition. e-text @ Historical Irish Corpus (RIA)
  40. ^ Ó Dónaill (1977) Foclóir Gaeilge–Béarla s.v. fadlámhach".
  41. ^ Larminie 1893, "The Gloss Gavlen", pp. 1–9。ラーミニー話集第1話(語り手:アキル島英語版在住の John McGinty)。
  42. ^ Squire 1905, p. 237.
  43. ^ Ettlinger, Ellen (Winter 1972), “(Review) Gods and Fighting Men. The Story of the Tuatha De danaan and the Fianna of Ireland by Lady Gregory”, Folklore 83 (4): 340, JSTOR 1259431, https://books.google.com/books?id=O3cNAQAAMAAJ&q=%22+fused+different+versions+together+and++left+out+many%22 
  44. ^ O'Donovan 1856, pp. 18–21.
  45. ^ Gregory 1905, pp. 17–21, 27–29.
  46. ^ 井村 1990『ケルトの神話』
  47. ^ a b Scowcroft 1995, p. 143 : "Balor himself may have one, two or three eyes, one of which is poisonous, incendiary, or otherwise malignant; he may have two eyes in front, one each in front and back, an extra eye in the middle of his forehead. Lug always puts the evil eye out.."
  48. ^ a b Crooke, W. (1908), “Some notes on Homeric Folk-lore”, Folklore 19 (2): 173, https://books.google.com/books?id=mkYKAAAAIAAJ&pg=PA173 
  49. ^ Müller-Lisowski 1923, p. 321.
  50. ^ Author of "Stories of Waterloo" (W. H. Maxwell) (1837), “The Legend of Ballar”, Bentley's miscellany 2: 527–530, https://books.google.com/books?id=3QRJAAAAcAAJ&pg=PA527 
  51. ^ MacNeill, Eoin (1908). “Poem XVI The Shield of Fionn”. Duanaire Finn: The book of the Lays of Fionn. pt. 1. ITS 7. For the Irish Texts Society, by D. Nutt. pp. xi, 34–38, 134–139. https://books.google.com/books?id=u1zpAAAAMAAJ&Pg=PA34 
  52. ^ The Concise Oxford Dictionary of Current English (1919) s.v. "glass". "pair of spectacles, lens; ..telescope, spy-g., etc.
  53. ^ Borlase 1897 pp. 806–808. 地元 Thomas O'Conor 氏より、オドノヴァンが採取し、[Ordnance Survey Letters] p. 205 に発表したものを転載した
  54. ^ Muirhead, Litellus Russell (1967). Ireland. 2. E. Benn,. p. 68. https://books.google.com/books?&id=nDwJAQAAIAAJ&dq=%22Lough+na+S%C3%BAile%22 
  55. ^ Arbois de Jubainville 1903, p. 117.
  56. ^ Morris 1927, p. 48.
  57. ^ O'Donovan 1856, p. 23, note x.
  58. ^ Vinycomb, John (1895), “The Seals and Armorial Insignia of Corporate and other Towns in Ulster (cont.)”, Ulster Journal of Archaeology 1: 119, https://books.google.com/books?id=uF4NAAAAYAAJ&pg=PA119 
  59. ^ Simmons, Victoria (2006). “Balor”. In Koch, John T.. Celtic Culture: A Historical Encyclopedia. 1. ABC-CLIO. p. 164. ISBN 1851094407. https://books.google.com/books?id=f899xH_quaMC&pg=PA164 
  60. ^ Krappe 1927, pp. 18–22.
  61. ^ Ó hÓgáin, Dáithí (1999). The Sacred Isle: Belief and Religion in Pre-Christian Ireland. Boydell & Brewer. pp. 139–140. ISBN 9780851157474. https://books.google.com/books?id=wYAnySDa0O0C&pg=PA139 
  62. ^ MacNeill, Máire, The Festival of Lughnasa. p. 416
  63. ^ Gruffydd 1928, p. 101n apud Scowcroft 1995, p. 144n
  64. ^ Krappe 1927, p. 4, note 15; Windisch. E. (1912), Das keltische Britannien bis zu Kaiser Arthur, p. 159.
  65. ^ Scowcroft 1995, p. 144.
  66. ^ a b O'Laverty, James (1859), “Remarkable Correspondence of Irish, Greek, and Oriental Legends”, Ulster Journal of Archaeology 7: 342–343, JSTOR 20563514, https://books.google.com/books?id=0Fo_AQAAMAAJ&pg=PA342 
  67. ^ Krappe 1927, pp. 10–16.
  68. ^ Arbois de Jubainville 1903, pp. 115–116.
  69. ^ Arbois de Jubainville 1903, pp. 113–114.
  70. ^ Westropp, Thomas Johnson (1917), “The Earthworks, Traditions, and the Gods of South-Eastern Co. Limerick, Especially from Knocklong to Temair Erann”, Proceedings of the Royal Irish Academy: Archaeology, Culture, History, Literature 34: 141, 156, JSTOR 25504213, https://books.google.com/books?id=OdIXAQAAIAAJ&q=%22Duldauna%22 

参考文献[編集]

関連項目[編集]