ノート:韓国併合

ロシア帝国の韓国に対する野望について[編集]

ラジーミル・アンドレエヴィチの『平和に対する陰謀 (Заговор против мира)』(2005年)には、「過剰に壮大な計画を頭の中に持っていたニコライ2世は、1895年4月に韓国を征服する意向を表明したが、[...] (Хотя Николай II, у которого в избытке имелись грандиозные в голове планы, высказал намерение к завоеванию Кореи еще в апреле 1895 года, [...])」とありますが、そのネタ元を確認できませんでした。

ウイッテ伯回想記には、以下のようにあります。

この当時、極東に関する諸問題はもっぱら私の管掌に属してゐた。また、ニコライ二世帝も、極めて漠然とではあるが、極東に我がロシア帝国の勢力を伸張して見たいといふ志望を抱いて居るようであった。尤もそれは何等かの政治的見地から一定の方針をもって計画されたのではない。ただ極東が皇太子時代に曾遊の地であり、またその時はじめて宮廷や世間のうるさい耳目の圏外にあって自由に行動し得たといふ縁故のある地である。ために、ただ何となくこの方面に進出して、そこに領土を拡張したいといふ程度のものであったらしい。すでに皇帝にさういふ希望があることを知った以上、私としてはこれを無視することが出来ないのは当然である。そこで、日本が遼東半島を領有することを主眼とする日支条約に対して、私は最も周到の考慮を払はねばならなかった。 —  セルゲイ・ウィッテ『日露戦争と露西亜革命 : ウイッテ伯回想記. 上巻』 P.49-50

黄禍論で有名な、1895年4月26日のドイツのヴィルヘルム2世からロシアのニコライ二世への手紙には以下のようにあります。

私は必ず私の全力でヨーロッパを静かに保ち、ロシアの背後を守らん。さすれば誰も極東へのあなたの対応を妨げるものは居なかろう。アジア大陸を開拓し、偉大な黄色人種の進出からヨーロッパを守るは、明らかにロシアの将来の大きな課題である。
(I shall certainly do all in my power to keep Europe quiet, and also guard Russia's rear so that nobody shall hamper your action towards the Far East! For that is clearly the great task of the future for Russia to cultivate the Asian Continent and to defend Europe from the inroads of the Great Yellow race.) —  The Kaiser's letters to the Tsar

ロシア語資料に手掛かりがあるかもしれません。今までインターネットからロシア語資料を検索することは難しかったですが、今ではロシア国立電子図書館が整備されており、新旧の文献の全文検索が容易になっています。ロシア語の旧正書法から新正書法への変換にはSLAVENICが使えます (上のENGからUIを英語にできます)。ただ、現状では使い勝手に難があり、すぐに調べることは難しそうです。--218.110.202.216 2015年10月14日 (水) 22:02 (UTC)[返信]

出典をつけてから書いてください[編集]

南下政策を進めたロシア皇帝ニコライ1世の言葉である「一度露西亜の旗揚がりたる所、そこでそれを下ろすべからず」で代表される通り、ロシア帝国は強引な拡張政策を続けていた。 ロシアの拡張政策は極東に達し、清国ではアイグン条約及び北京条約によってロシアへの外満州割譲が行われた。日本では樺太問題ロシア軍艦対馬占領事件によって、ロシアとの対立が発生した。

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月20日 (火) 10:21 (UTC)[返信]

二分された国内世論に慎重な日本政府は併合の正当性について列国に打診している。アメリカとイギリスは、このまま韓国を放置することは地域に混乱与えると考え、韓国併合に賛成した。その他、清国、ロシア、イタリア、フランス、ドイツといった当時の主要国からの反対も全くなかった。各国の賛成を得て、また一進会も併合を望み、日本は韓国併合に乗り出した。
安重根による伊藤博文暗殺により、日本国内の世論や動揺した朝鮮親日派の嘆願などの影響で、早期併合に向かった。

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月20日 (火) 10:25 (UTC)[返信]

統監府は、1909年(明治42年)に戸籍制度を朝鮮に導入し、李氏朝鮮時代から人間とは見なされず姓を持つことを許可しなかった肉屋のような民にも姓を自称させた。李氏朝鮮時代は戸籍に身分を記載していたが、統監府はこれを削除した。このため身分が平等になり、肉屋の子供たちも学校に通うことができるようになった。身分解放に反発する両班は抗議デモを行ったが、政府によって鎮圧された。

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月20日 (火) 10:31 (UTC)[返信]

ページ番号をつけてから書いてください[編集]

  • 『韓国併合への道 完全版』
伊藤博文の暗殺を受け、韓国側からの提案である一進会の上奏声明等を経て韓国併合の話が持ち上がる。この時自称会員100万人を誇る韓国最大政党である「一進会」は併合推進派であった

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月20日 (火) 10:25 (UTC)[返信]

  • 『ひと目でわかる日韓併合時代の真実』水間政憲
日本統治下においては、日本内地に準じた学校教育制度が整備された。初代統監に就任した伊藤博文は、学校建設を改革の最優先課題とした。小学校も統合直前には100校程度だったのが、1943年(昭和18年)には4271校にまで増加した。
学校教育における教授言語が日本語であったことをもって、「言葉を奪った」という評価がなされることがある。これに対しては、朝鮮語が科目として導入されたこと、朝鮮語による文化活動が許容されていたことをもって、言葉が奪われたとはいえないという反論もある
また、ハングルは併合以前は漢字と比べて劣等文字として軽蔑されており、あまり普及していなかったというのも事実である
  • 『日韓併合への道 完全版』呉善華
1911年、朝鮮総督府は第一次教育令を公布し、朝鮮語を必修科目としてハングルを学ぶことになり、朝鮮人の識字率は1910年の6%から1943年には22%に上昇した

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月20日 (火) 10:47 (UTC)[返信]

長期間出典が示されないので削除します[編集]

  • 2015年4月4日 (土) 14:56 (UTC)より
統監府は、1909年(明治42年)に戸籍制度を朝鮮に導入し、李氏朝鮮時代から人間とは見なされず姓を持つことを許可しなかった肉屋のような民にも姓を自称させた。李氏朝鮮時代は戸籍に身分を記載していたが、統監府はこれを削除した。このため身分が平等になり、肉屋の子供たちも学校に通うことができるようになった。身分解放に反発する両班は抗議デモを行ったが、政府によって鎮圧された。
大勢は併合調印賛成に傾いており
  • 2015年4月より
悪政
朝鮮は自力での解決ができずに
日本は邦人保護を名目に朝鮮半島に出兵し、朝鮮に独立国かの再確認を行い、日本は朝鮮の自主独立のために五カ条の改革案を朝鮮に提案した。改革案は受け入れられ

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月20日 (火) 14:15 (UTC)[返信]

高宗は皇帝専制による近代化を志向し、「光武改革」とよばれる上からの改革を行おうとした。1898年(明治31年)、「光武量田事業」とよばれる土地調査・改革が行われ、日露戦争によって中止に追い込まれるまで土地登録者に地券に相当する「地契」を発行するなど土地所有権保護と国家による近代的地税賦課を可能にする土地改革が朝鮮国(大韓帝国)全土の3分の2にあたる218郡で実施された。1899年(明治32年)8月には「大韓帝国国制」を制定し、皇帝による絶対主義君主支配を明確にした。しかし、皇帝専制は市民的改革路線を排除するものであり、独立協会や進歩会(のちの一進会)など改革派の排除・弾圧が行われ、近代化に向けた国論の統一が奏功しなかったことや、国外からの干渉などから、大韓帝国が独自に近代化を進めることは困難だった。日露戦争により帝国主義列国の相互牽制による独立維持という朝鮮国(大韓帝国)の外交方針は崩れ、大日本帝国による朝鮮国(大韓帝国)の保護国化が強行され、光武改革は潰えた。

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月20日 (火) 14:18 (UTC)[返信]

ハーグ密使事件以降の大日本帝国国内では、「朝鮮を自国領土に組み込み朝鮮人を皇民とせしは皇国民の質の劣化である」という見地により、反対の意見も根強かった。併合時に必要となる莫大な資金の負担についても政財界より併合反対の意見があった。

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月20日 (火) 14:19 (UTC)[返信]

二分された国内世論に慎重な日本政府は併合の正当性について列国に打診している。アメリカとイギリスは、このまま韓国を放置することは地域に混乱与えると考え、韓国併合に賛成した。その他、清国、ロシア、イタリア、フランス、ドイツといった当時の主要国からの反対も全くなかった。各国の賛成を得て、また一進会も併合を望み、日本は韓国併合に乗り出した。
安重根による伊藤博文暗殺により、日本国内の世論や動揺した朝鮮親日派の嘆願などの影響で、早期併合に向かった。

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月20日 (火) 14:22 (UTC)[返信]

ロシア語出典について[編集]

「極東におけるロシアの南下政策の始まり」

南下政策を進めたロシア皇帝ニコライ1世の言葉である「一度露西亜の旗揚がりたる所、そこでそれを下ろすべからず」で代表される通り、ロシア帝国は強引な拡張政策を続けていた。ロシアの拡張政策は極東に達し、清国ではアイグン条約及び北京条約によってロシアへの外満州割譲が行われた (en:Amur Acquisition)。日本では樺太問題やロシア軍艦対馬占領事件によって、ロシアとの対立が発生した。 Широкорад Александр『Россия и Китай. Конфликты и сотрудничество』

これは記述する必要がありますか?この出典に南下政策は日帝のように韓国を植民地化、あるいは隷属させる意味合いがあると書かれているんでしょうか?もし、それがないとしたら韓国併合とロシアの「南下政策」は関連性がなく、記述の必要性がないのですが。 南下政策のページを見ても、出典がなく、ロシア側にもある言葉なのか、日本側、あるいは韓国や中国から見た場合の「南下」なのかが曖昧です。--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月17日 (火) 14:36 (UTC)[返信]

南下政策は、ロシアが不凍港を手に入れるための政策です。ロシアが不凍港を手に入れようとしていたことは、ロシア側文献でも確認できます。植民地化についは、1903年時点でロシア側が北朝鮮の従属化(朝鮮の日露分割)を考えていたとのこと (アレクセイ・クロパトキン『満州悲劇の序曲』に依る)。もし植民地化されていたら、ウクライナのように北朝鮮のロシア化が行われていた可能性があるでしょう。以上。--218.110.201.114 2015年12月23日 (水) 11:28 (UTC)[返信]

出典付なのに「無出典」で削除されましたが[編集]

どういうことでしょうか?ちゃんと出典は付けているので戻していいでしょうか?一編集希望者会話2021年9月3日 (金) 10:59 (UTC)[返信]

「先に韓国側が韓国併合を依頼した」件の記述について[編集]

韓国側が先に併合を依頼したという記述を私は編集しましたが、Xmwdcytbpbzcamwさんによって[[1]]にて「わざわざ太字で書く必要のないことまで書かれていたので、その部分を除去」という理由で取り消しが行われ、IP:180.197.14.251会話 / 投稿記録さんによって[[2]]にて「歴史学の査読研究ではない典拠に基づく見解を除去。WP:RS」という理由で再度取り消しが行われました。
しかし出典の『日本之朝鮮』([[3]]の出典番号2)については有楽社という出版社から1911年1月に刊行され、国立国会図書館での記録も請求番号・DOIを踏まえた上で公式に公開されていますし(コマ番号60・朝鮮併合依頼書 合邦希望の電報)、[[4]]の出典番号3「韓日合邦を要求する声明書」にても立証されており、完全に「歴史学の査読研究」を満たしている内容です。これをWP:RSというのは明らかに支離滅裂で、百科事典の品質を故意に低下させようとする、明らかな単なるWikipedia:荒らし行為(WP:-(WP:VANWP:VANDWP:VANDAL)だと判断します。
また、上記の該当ガイドライン違反について別の要素があります。「管理所 (北朝鮮)」と「教化所 (北朝鮮)」の内容が「朝鮮民主主義人民共和国の強制収容所」の内容と完全に重複していたため、Wikipedia:削除依頼/管理所 (北朝鮮)Wikipedia:削除依頼/教化所 (北朝鮮)にて、私は削除依頼を提起しました。
その後、Xmwdcytbpbzcamwさんによって削除の反対を意図するコメントがありました。更にその直後にXmwdcytbpbzcamwさんによって「韓国併合」の[[5]]にて、にて「わざわざ太字で書く必要のないことまで書かれていたので、その部分を除去」と取消し理由にならない支離滅裂な理由で、私の編集に対する取り消しを行っておられますが、WP:NPAWP:ATTACKWP:PAWP:MYOBの可能性もあり、タイミング的に不自然だと思います(記事に関して言えば古文書の出典まで付いていますし「書く必要のないことまで書かれていた」というのはどうなのでしょうか)。
その後、IP:180.197.14.251会話 / 投稿記録さんによって「韓国併合」の[[6]]でガイドラインを掲示した上での再度差し戻しが行われました。このIP:180.197.14.251会話 / 投稿記録さんの投稿履歴を確認しましたが履歴が当記事1件しかなく、投稿履歴のない利用者がガイドラインなどを掲示してくることは非常に不自然です。同一人物によるWP:3RR逃れ、またソックパペットWP:AN/SANB:SANB:SOCKの可能性があるため、正当な理由での取消しではないと判断します。--9W6jvDpNeyWQ3zmxV4Uq会話2022年8月1日 (月) 23:54 (UTC)[返信]
管理所 (北朝鮮)および教化所 (北朝鮮)の記事については、重複を起こした主な原因が利用者:9W6jvDpNeyWQ3zmxV4Uqさんの編集によるものであると考えたため、そのようなコメントを投稿したまでです。当記事における編集については一般的なことと考えるには出典が偏り(ネトウヨ系サイトからの出典です)、また、出版物についても、戦前に書かれたものであり、現在の研究とは異なっている可能性があります。さらに、古文書を出典とされていましたが、これは独自研究にあたる可能性があると考えました。IP:180.197.14.251会話 / 投稿記録について、このIPアドレスと私は無関係です。そもそも、私が使用するIPアドレスはメタにてグローバルIPブロックをうけており、IPアドレスによる編集は不可能となっています。なお、このアカウントについてはグローバルIPブロック適用除外者の権限を付与していただいているので編集が可能となっています。これは、LTAに対するブロックの巻き添えをくらったためです。気になるようでしたら手順を踏んだうえで、IP情報を照合していただいてもかまいません。私に対するブロック依頼がWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック#不適切な利用者名にだされていましたが、依頼場所からして、私への攻撃のように感じます。(ただ単に場所を間違えられていた場合はすみません)--Xmwdcytbpbzcamw会話) 2022年8月2日 (火) 00:55 (UTC) 誤記を修正しました--Xmwdcytbpbzcamw会話2022年8月2日 (火) 03:27 (UTC)[返信]
Xmwdcytbpbzcamwさん、9W6jvDpNeyWQ3zmxV4Uqさん。こんにちは。青鬼よしと申します。
該当の箇所を確認しましたが、出典ではなく記述に問題があります。「韓国側が韓国併合を先に望んだ旨を世界各国へ知らせ」とありますが、「韓国側」の定義があいまいです。大韓帝国政府なのか、高宗なのか、大韓帝国の閣僚なのか、それ以外なのか具体的に明記する必要があります。また、「世界各国へ知らせ」も公電によるものなのか、新聞に広告を出しただけなのか不明です。「多くの国がこれを承諾している」についても、どのような形で承認したのかが不明です。(「日本国政府に承認の公電を送ったのか」「大使が自国政府に承認の要請をしたのか」など。)
読者に誤解のないような記事を書いていただくため、上記の指摘が解決するまでは記述した箇所を差し戻すべきですが、ご意見あるながら、お聞かせください。--青鬼よし会話2022年8月4日 (木) 23:14 (UTC)[返信]
無茶苦茶でしょう。
国立国会図書館にあり、IDを割り振られていることは、学術的査読とは何の関係もありません。
本屋に本があったから、その中身が事実と言っているのと変わりません。
国会図書館が記していようがいまいが、このことは、こんな本があったという事実だけです。
出版当時さえ論文でもないのに査読されているというのも信じがたい話なので、よろしければ査読したという雑誌なり、当時で結構ですから学会の資料を示していただけないでしょうか。
「韓日合邦を要求する声明書」ですが、この声明書の中で、日本側が受け入れた項目があれば記してください。
知る限り一つもありません。
これで大韓帝国側が要求したから日本が受け入れたと主張するのも無理でしかないし、まして併合に反対する勢力のリーダーだったミンヒを殺害してまで併合したのでは、正当性も皆無です。
当時の国際法規を私は存じ上げませんが、この法規が欧米やソ連など大国間でしか適用されず、他は無法地帯だったのは容易に想像がつきます。
その法規に合致していたとしても、その外におかれた国においての正当性などありません。
だからこそでしょう。
当時の日本が列強のやり口に慄いたのも、自らを列強と化して生き残ろうと必死だったのは結果的に間違いだったと思うけど理解はできます。
ですが、それと韓国併合が正当だったという主張はまったく別の話です。--2400:4050:D483:AA10:5165:2409:7744:146F 2022年8月5日 (金) 01:31 (UTC)[返信]