ノート:民族

名のない節(2019年3月節新設)[編集]

小坂井敏晶『民族という虚構』東京大学出版会(2002年)は、参照されてよい文献と思います。 --{{2005年1月7日 (金) 03:37 160.185.1.56}}

こんなのが本文にありました:

[[en:nation]] [[en:race]] [[en:people]] 

すべて間違ってます。もっと正しくは

  • nation = 独立した国、またはその国民、政府、領土。
  • race = 人種。
  • people = 人々。

なので、はずしました。--Tokek 2005年7月19日 (火) 09:23 (UTC)[返信]

いや、日本語の「民族」という語は最初 nation の体制依存性、虚構性の部分を十分意識せずに、 nation の訳語として登場してしまい、その後により自然集団であるべきとの思想的変遷から ethnic group の概念に近づいていき、その過程で race や people の概念もとりこんだややこしい概念になってしまっているので、間違いではないのですよ。現代日本語の「民族」なるタームに的確に欧州語に翻訳できる対象となる単語はないといって言いというのは、歴史学者の間では常識になっているのではないでしょうか。
もうすこし突っ込んで説明すると、 nation は独立した国民国家共同体を構成すべきとされた集団で、19世紀のナショナリズム勃興期にはいまだ国民国家を持たぬ文化集団が政治的に結束して自らも国家を持つべき nation であることを主張し、その影響下に日本語の「民族」が成立しているようです。また、race は自然人類学的に遺伝的性質の固定した人間集団に限定されるものではなく、父祖の文化を継承していることを意識した血縁集団にも適応される語で、そちらの要素を意識すれば正に日本語の「民族」と重なってしまいます。つまり、日本語の「民族」とも「人種」とも訳せてしまい、むしろ「種族」といった語のほうがよいかもしれない単語です。さらに、民衆のレベルからの同胞意識を主軸として考えると、 people も日本語の「民族」の訳語としてはしっくり来てしまうのです。
ただ、今の本文の記述は、こうしたややこしさに関して一応は触れられていなくはないものの、日本語の「民族」なる単語の翻訳不能性とその歴史についてきちんと触れていないので、全体の修正が必要でしょう。--ウミユスリカ 2005年11月8日 (火) 07:39 (UTC)[返信]
多分、フランス系の翻訳の読書や文化人類学での民族の用法が定着しているせいだと思うのですが、私にはネイションを民族と訳すのは非常に違和感があります。それは個人的問題としても、積極的にネイションを民族と訳すべきとし、エスニック・グループを族群というべき、というのは、特定の立場で決して一般的だとはいえないと思いますので、その線で編集しました。本来は、ネイションの概念のむずかしさの問題、エスニック・グループの概念の問題、日本語での翻訳の問題はそれぞれ切り離したほうがいいような気もします。コメントアウトした立場が学会の趨勢であることが示されれば、その部分の復活には反対しません。Clinamen 2006年3月9日 (木) 18:45 (UTC)[返信]
それと、黒田寛一ってそんなに存在感があるのでしょうか。政治家としてはともかく、ここで彼がことさら出てくるのはけっこう違和感があるのですが。出してある定義もそれほど独創的とは思えませんし。これも私が詳しくないせいだったらすみません。Clinamen 2006年3月9日 (木) 18:49 (UTC)[返信]

エスニック・グループも書いてみました。遠慮なく修正ください。Clinamen 2006年3月9日 (木) 19:35 (UTC)[返信]

応急措置として章立てだけしておいてほったらかしてあったのを加筆していただき、ありがとうございます。かなりいい線行っているのではないでしょうか。私は基本的に「民族」というターム自体、明治人が世界的な政治的、文化的共同体の見通しを明確に把握しないまま拙速で造ってしまった「失敗した造語」だと思っています。日本人が「神代の昔から」自然にあるものなんだとぼんやり観念しているものが、世界的には恣意的につくっていく、あるいは歴史的に限定された環境下で形成していくものであるという常識のギャップはさまざまな分野で見られますが、「民族」もそういったものの典型例でしょう。だから、私は基本的に「民族」という語の使用を極力避けることにしています。この項目は、とりあえずは、日本人の多くが無批判に「民族」と呼んできたものが、世界的にはかなりごちゃごちゃしたさまざまな概念を包摂した、いい加減で厄介な概念であるということがわかる構成にすればいいのだと思います。--ウミユスリカ 2006年3月9日 (木) 23:13 (UTC)[返信]

結局大幅に改稿してしまいました。ナショナリズムの史的経緯は詳しく書く必要があるかどうかと、多少踏み込んで書いているので異論があるところかもしれません。前の稿はマルクス主義系の影響のある歴史学のひとが書いたような感じを受けました(ネーションとマルクス主義における研究史の重視)が、スターリンの定義以外は思い切って削りました。情報的にはあまり減っていないと思います。しかし、にわか勉強によればソ連におけるエトノス論はそれなりに重要らしいので、加筆いただけるとありがたいです。用語の不統一は気にはなっているのですが、これもカタカナに統一したほうがいいでしょうか。エスニック・バウンダリー論関係など全般的に、エスニック関係のほうは突っ込みどころがあると思います。本質主義を批判して社会構築主義n多少加担している以外は、中立性はいちおう保ったと思うのですが、これも異論があれば修正ください。それから、ドイツ語フォルクと民俗学まわりのことは重要だと思うのですが、詳しくないのですっぽり抜けてます。Clinamen 2006年3月10日 (金) 12:26 (UTC)[返信]

いやぁ、すばらしい改稿です。もうこれに加えて大規模加筆するのは、私の力量をはるかに超えています。「民族」の問題に関してはいろいろ文献をため込んではあるのですが、そちらにエネルギーを注ぐと本業のほうが手がつかなくなるので、ほとんど寝かしたままです。確かにドイツ語のフォルク関係はいろいろと加筆する必要がある事項が眠っていそうですね。特にグリム兄弟あたりの学問的運動とその周辺あたりが重要な鉱脈になりそうな・・・。この分野に通じた方の出現をお待ちしております。--ウミユスリカ 2006年3月10日 (金) 13:25 (UTC)[返信]

日本語の民族に、ネーションのもつ国家的政治性が必須のものではなく、むしろヘルダーのVolkから、民族学、民俗学ときて、柳田のラインで訳語として定着したエスニックな意味も強いことは確かでしょう。それは、ネーションの意味での主権的、政治的共同性の意味がない、ということではなく、「民族自決」というような特定のコンテキストが、国家的政治性を強調するには必要になっている、ということです。民族を、ネーションの意味に限定し、エスニックな集団には別の語をあてるというのはひとつの見識ですが、日本語の通用のニュアンスが文化・血縁・言語という文化人類学よりの語義であることはきちんと記述するべきです。Clinamen 2006年3月22日 (水) 10:23 (UTC)[返信]

最近の編集に対応して要出典の部分の検証もやりたくはあるのですが、ちょっと手が回っていないので、とりあえず要領よくまとまった文章を見つけたので、参考までにリンクしておきます。卒業論文みたいですが。

http://semi.miyazaki-mu.ac.jp/stamiya/soturon/20itou/mokuji.htm --Clinamen 2009年8月29日 (土) 12:25 (UTC)[返信]

要出典部分の大幅除去について[編集]

本記事は出典なし部分が非常に多く、要出典部分の除去を行いたいと考えております。ご異議等ありましたら、議論願います。1週間たち反対がなければ作業を開始します。--ABCEdit会話) 2019年3月16日 (土) 12:21 (UTC) コメント 作業開始します。--ABCEdit会話2019年3月23日 (土) 12:58 (UTC)[返信]
チェック 完了しました。--ABCEdit会話2019年3月23日 (土) 13:15 (UTC)[返信]

転記提案[編集]

提案 本記事では「nation」についての記述が長々と書かれていますが、本記事「民族」の英語版での対応記事のタイトルは「ethnic group」であり、英語版の「nation」に対応する日本語版記事は「国民」となっています。(他のヨーロッパ系言語版でも同様)。よって、「民族」の記事において、「nation」について長々と記述するのは不適切ではないでしょうか。「nation」について記されている内容は「国民」に移動すべきと思いますので、転記提案いたします。--ABCEdit会話2019年3月23日 (土) 13:15 (UTC)[返信]

賛成 まずは整理作業おつかれ様でした。国際政治学など他の分野はわかりませんが、文化人類学のテキストをお手本にして考えた場合、#ベネディクト・アンダーソンの定義は、国民という概念の曖昧さを説明する記述として有用と思いますが、#「nation」の理論的定義以下の「nation」の定義に関する記述は「民族」を説明する上では過剰と考えます。--茂林寺たぬき会話2019年3月23日 (土) 21:43 (UTC)[返信]

チェック 完了しました。--ABCEdit会話2019年3月30日 (土) 13:21 (UTC)[返信]

2020年11月25日 (水) 20:53 (UTC)の投稿],オリジナル版--Dalaibaatur会話) 2020年11月25日 (水) 20:53 (UTC)撤回しました。もとの文章は「〜の投稿」または「オリジナル版」をクリックするとご覧いただけます。--Dalaibaatur会話2020年12月2日 (水) 21:18 (UTC)[返信]

ネイションは「=国民」ではない[編集]

2020年11月22日 (日) 15:20 (UTC)の投稿,オリジナル版--Dalaibaatur会話) 2020年11月22日 (日) 15:20 (UTC)撤回しました。もとの文章は「〜の投稿」または「オリジナル版」をクリックするとご覧いただけます。--Dalaibaatur会話2020年12月2日 (水) 21:18 (UTC) [返信]

記事内容については措きますが、スタイルについて幾つか問題を感じます。
  • 世俗的解釈や、訳語の揺れ、学問分野(政治学・人類学・社会学etc)によって異なる用法を持つなどの多義的な言葉の記事は、無理にすり合わせずに定義文は辞書的にして、分野ごとの節を設けてそれぞれの定義や解釈を提示し、その分野のセクションはその下にぶら下げた方が混乱がないです。「原初主義」と「道具主義」がどの分野で言われている言説なのか、「三人の知的巨人」が何の分野のどういう立場の人なのか、ひと手間かけないと分からないというのは不親切な気もしますので、同様に工夫していただけると幸いです。好例かどうか分かりませんが、参考として人生の意義を御覧ください。
  • 脚注は、その記述が出典によって書かれたかを示すものなので、節の見出しにつけるのはNGです。今のやり方では、別の編集者が同じ節に記述する場合に問題が生じます。また、見出しのマークアップには「=」ではなく「==」を使用してください(Wikipedia:スタイルマニュアル (見出し))。
  • Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)には「箇条書きは、参考文献の節など適切な場所で使用する分には良いですが、解説全体を箇条書き形式で書くようなことは避けてください」とあります。ご留意ください。
色々と僭越なことを申しましたが、マニュアルに則った「作法」なのでご寛恕ください。私も後日、人類学者の使った定義をひとつ書いてみようと思います。--茂林寺たぬき会話2020年11月24日 (火) 21:54 (UTC)[返信]
コメント 以前転記提案した者としてコメントさせていただきます。私としては、日本語で「民族」といっても、Ethnic groupとNationの概念は全く異なり、両者は明瞭に区別されるべきだと思います。そもそも「民族」という概念自体がもともと日本になかったものである以上、英語版などに合わせて、Ethinc groupとNationに相当する記事は別にするのが筋だと思います。私の以前の転記提案はそのような考えに基づくものです。本記事を民族 (Ethnic group)に改名し、国民の定義文に「Nationは民族といわれる場合もある」という旨を記すのも一つの手だと思います。
なお、上記転記提案は、2019年3月時点で結論が出たものです。Dalaibaaturさんが現在、それに反対なのはわかりましたが、私は現時点で本記事にNationを含めることに反対です。また、茂林寺たぬきさんが仰っているとおり、体裁の問題もあります。この議論で方向性の結論が出るまでは、とりあえず以前のバージョンのままにしておきます。--ABCEdit会話2020年11月25日 (水) 09:41 (UTC)[返信]
2020年11月25日 (水) 20:59 (UTC)の投稿,オリジナル版--Dalaibaatur会話) 2020年11月25日 (水) 20:59 (UTC)撤回しました。もとの文章は「〜の投稿」または「オリジナル版」をクリックするとご覧いただけます。--Dalaibaatur会話2020年12月2日 (水) 21:18 (UTC)[返信]
私が提示した多くの問題点を全く改善すること無くリバートされたことを残念に思います。私の指摘は全て方針やガイドラインに沿ったものだということを理解しておられますか?「記事の文面上に存在しなければ修正できない。」とおっしゃいますが、私は記事の文面を見て問題点を指摘したのであって、その主張は全く意味不明です。
定義文に関する議論については「特定分野に偏らない定義文を設定すべき」というのが私の主張ですが、「エトノス」「エリート」などの術語を用いて定義することは一般読者の理解を妨げるものです(WP:MOSINTRO)。山田晴通氏が複数の問題を添付した2018年10月28日 (日) 06:05版の定義文は、訳語を当てはめていないという点で2020年11月19日 (木) 12:43版よりも妥協の余地が広い表現と言えるかと思いますので、2018年10月28日版を叩き台にしてはどうでしょう。なお、2018年10月28日版が大幅に編集除去されたのは無出典の独自研究によるもので、個人的には全体の節構成は悪くなかったと思っています。--茂林寺たぬき会話2020年11月25日 (水) 22:44 (UTC)[返信]
返信 (主にDalaibaaturさん宛) 妥協案承知しました。では、民族 (Ethnic group)(英語版Ethnic groupに対応)、国民(英語版Nationに対応。タイトルは「国民」だが、「民族」と言う場合もある旨を本文に記述)、民族(曖昧さ回避ページ。民族 (Ethnic group)国民へ誘導)という記事に整理するのはどうでしょうか?--ABCEdit会話2020年11月26日 (木) 11:08 (UTC)[返信]
(補足)日本語で「民族」という場合、私の印象では、Ethnic groupを指す場合が最も多いように感じます。しかし、他にnation、tribeなども「民族」と訳されることも多く、曖昧な用語です。(こちらも参照。)よって、民族は曖昧さ回避ページにした方がよいでしょう。--ABCEdit会話2020年11月26日 (木) 11:54 (UTC)[返信]
(補足2)英語版Ethnic groupに対応する日本語版記事名は、民族集団とした方が良いかもしれません。(こちらも参照)--ABCEdit会話2020年11月26日 (木) 12:17 (UTC)[返信]
コメント 曖昧さ回避ページ民族のたたき台を作成してみました(利用者:ABCEdit/下書き)。ご検討ください。--ABCEdit会話2020年11月26日 (木) 13:20 (UTC)[返信]
Dalaibaaturさん、如何ですか? 茂林寺たぬきさんのご指摘に対する返事も含めて、本文を編集する前にこちらの議論を優先させてください。--ABCEdit会話2020年11月26日 (木) 21:12 (UTC)[返信]
2020年11月27日 (金) 11:25 (UTC),オリジナル版--Dalaibaatur会話) 2020年11月27日 (金) 11:25 (UTC)撤回しました。もとの文章は「〜の投稿」または「オリジナル版」をクリックするとご覧いただけます。--Dalaibaatur会話2020年12月2日 (水) 21:18 (UTC)[返信]
返信 わかりました。再提案お待ちしております。私の方から一つ言っておきたいのは、日本語で「民族」という場合、Ethnic groupを指す場合が最も多いという印象(これは私の印象であり、何かのデータを現時点で持ち合わせているものではありませんが)を持っています。(ただし、Ethnic groupは「民族集団」とも言われる)。私の浅い理解で恐縮ですが、「Nation」は国家があって初めて存在する概念と考えています。そこのことろを踏まえると、仮に(曖昧さ回避ではない)民族の記事中にNationとEthnic Groupを併存させる場合は、Ethnic groupを主とする構成にする必要があると考えています。(もっとも、政治学方面と人類学方面で「民族」の捉え方が違うので、おそらくこの認識の溝は埋まりそうもありませんが・・・)。また、ネーションのページも上手く活用できないかと考えています。
私からの 提案 になりますが、民族は曖昧さ回避ページとして、国民も簡素な内容にし、民族(Nation)および国民(Nation)の詳細をネーションに記述し、現在のネーションネーション(曖昧さ回避)に改名し、民族(Ethnic group)は民族集団で扱うというのは如何でしょうか?
「民族」と言う言葉に対する捉え方が政治学と人類学で異なる以上、民族は曖昧さ回避ページにせざるを得ないと思います。
--ABCEdit会話2020年11月28日 (土) 00:51 (UTC)[返信]
コメント Nationの扱いに関しましては、Dalaibaaturさんの「詳細は→国民を参照」とする」という案を取ったほうが重み付けが取りやすいと考えますので、政治学での民族の解釈を国民で行い、民族#ネーション(Nation)で簡素に触れて誘導するという編集方針をを支持します。その場合、民族の定義文は以前の版に政治学的解釈をフォローしたものなると考えます。民族の曖昧さ回避化と民族集団の記事化はNationの扱いが決まった後の処理となると思いますので意見は一旦保留します。
  • 民族もそうですが、国民人民(people)と並んで学問以外にも広範に使われる影響力のある概念なので、学問的本義からネーションを主記事化されると抵抗を感じる人もいるかもしれません。この規模の再編成をするならばコメント依頼で意見募集するべきではないでしょうか。
  • 工事中のまま思考期間に入られるのなら、スタイルの問題を解消するために一旦2020年11月19日 (木) 12:43版に戻すべきと考えます。
ここにぶら下げましたが、お二方ともご考慮願います。--茂林寺たぬき会話2020年11月28日 (土) 04:11 (UTC)[返信]
返信 記事の再編成について、コメント依頼・意見募集を行うべきという旨、私も同じ思いです。Dalaibaaturさんによる新たな提案を待って、コメント依頼を行う方向で考えておりました。また、思考期間においては、一旦2020年11月19日 (木) 12:43版に戻すべきと私も考えます。--ABCEdit会話2020年11月28日 (土) 04:55 (UTC)[返信]
2020年11月25日 (水) 20:53 (UTC)の投稿,オリジナル版--Dalaibaatur会話) 2020年12月2日 (水) 12:43 (UTC)撤回しました。もとの文章は「〜の投稿」または「オリジナル版」をクリックするとご覧いただけます。--Dalaibaatur会話2020年12月2日 (水) 21:18 (UTC)[返信]
コメント他の方もおっしゃられていますが、WP:BRDを根拠に議論がまとまるまでは2020年11月19日 (木) 12:43版に差し戻しを行うことが妥当だと考えられます。異論がなければ差し戻します。-Akira YL会話2020年12月2日 (水) 13:36 (UTC)[返信]

(インデント戻し)「ネイション(民族・国民)」を包括的に扱いうる記事が別にあることを確認しました。すなわち、ABCEditさんその他の皆さんによる「2019年3月時点の結論」を【「Nation」におけるこの側面(引用者注:民族)をWikipedia中で記述させないという決定を、たんなる1記事のノートにおける数人の議論だけで決定することはできない。】と評価(前節「転記提案」への投稿)するのは、まったくの勘違いの誤りとなります。そうであるならば、「2019年3月時点の議論」と「2019年3月時点の結論」は、「当時、記事"民族"の文面上に存在した文章の処理をめぐる議論とその結論」と理解するのが適切、ということになります。 この理解にもとづき、「2019年3月時点の結論」はこれに同意し尊重するものとし、「ネイション概念の民族と国民の側面を包括に記述する」ことをこの記事上で目指すことを目的としたノートへの投稿は、すべて撤回しました。11月22日から26日にかけて行った加筆については、この記事からは撤去し、ただし特筆性はあるので、当該の記事にあらためて投稿しました。いろいろとお騒がせしてもうしわけありませんでした。--Dalaibaatur会話2020年12月2日 (水) 21:18 (UTC)[返信]

ABCEditさんが「2020年11月28日 (土) 00:51 (UTC)」の投稿で提案している(民族〜民族集団)の5項目に賛成します。--Dalaibaatur会話2020年12月2日 (水) 21:48 (UTC)[返信]
Dalaibaaturさん、承知しました。転記作業お疲れ様です。
さしあたり、本記事における議論中の問題については、解決したように思われます。私が上に提案しました記事の再編案を積極的に行うべき、と考えられる方がいらっしゃいましたら、コメント依頼をご提出ください。私としては、現状に特に異論はございませんので、私からの議論はひとまず終了とさせていただければと存じます。なお、ネーション関連の記事の整理について引き続き携わらせていただくかも知れませんが、それについては当該ページにて議論いたしましょう。--ABCEdit会話2020年12月3日 (木) 13:39 (UTC)[返信]
ABCEditさんの「私案」を利用させていただき、冒頭部で「民族」概念の多様性を示し、「現状」の記事の文面が「人類学で行われている定義」であることを明確にしました。--Dalaibaatur会話2020年12月3日 (木) 23:27 (UTC)[返信]

利用者:Dalaibaaturさん、本記事の内容について、本文で「人類学における」と殊更強調する必要はあるのでしょうか?(ここの記事自体が人類学における「民族」を扱う記事です。)はじめの誘導部分(曖昧さ回避部分)にそれを言及すれば充分ではないでしょうか?また曖昧さ回避部分のネイションについて、ここでこれ以上細かく書くのは望ましくありません。(せいぜい最新版くらいが限界だと思います。)結局は今まで議論してきたことの繰り返しになりますが、結論は出たものと思っておりました。まだ納得されていないということですか?--ABCEdit会話2020年12月3日 (木) 23:35 (UTC)[返信]

殊更「人類学における」と強調した部分を除去しました(最新版)。如何でしょうか?--ABCEdit会話2020年12月3日 (木) 23:44 (UTC)[返信]

まだ納得していない」ではなく、ABCEditさんが今回の投稿(12月3日)で、ご主張を、前回の投稿(11月28日)までで述べておられたことから大幅に転換なさったので、このご転換に対し、あらためて意見を表明することになった、というのが正確なところです。
この文面(いわゆる「戻すべき版」)がABCEditさんが当初(11月28日)ご提案の記事名「民族集団」なり、または記事名「民族_(人類学)」のコンテンツであるなら、「人類学」固有の分類なり定義を述べた文面であっても、「殊更「人類学における」と強調」する必要はないでしょう。しかし現状、この文面は、「-集団」なり「_(人類学)」等の限定のない、汎称「民族」という項目(つまりこのノートの親記事)の文面中に存在しています。
記事の本文でも典拠として言及されている 津田みわという「ケニア政治史」の専門家が「現在では、学問分野を問わず「民族」という言葉はほぼethnic groupを指すと考えて良くなりつつあります」などと発言していますが、佐藤優2015年の著作で民族問題の「三銃士」、「知の巨人」としてあげるアンダーソンゲルナースミスの専門分野がそれぞれ政治史(比較政治・東南アジア)、歴史学(ナショナリズム論)、社会学(ナショナリズム研究)。他にも、とくに「18-20世紀の中・東欧の民族運動」史の分野で、民族の定義が「Nation」から「ethnic group」に置き換わったなんて、聞いたことがありません。津田氏がご本業の「アフリカの民族紛争・部族紛争」のご研究でどの程度実証的なのか恥ずかしながら存じませんが、上記のこの一句に限っていえば、実証によりただちにくつがえされる「運動家の願望、アジテーション」レベルにしかすぎません。
ABCEditさんが今回の投稿(12月3日)でご主張を転換なさったので、私もあらためて提起いたしますが、Wikipediaは「現に行われている用法」を過不足なく記述する場であるべき」であり、「特定分野限定で流通している概念を、日本語全般における普遍的概念として記述するべきではない」。。この記事(「民族」)の場合でいえば、「人類学という学問分野で用いられている定義・分類」はそのように記載されるべきであって、「日本語における"民族"」の汎用的な定義にみえるように記述すべきではない(してはならない)、ということです。--Dalaibaatur会話2020年12月4日 (金) 05:16 (UTC)[返信]

一つの語が複数の意味を指す場合、その語の記事を曖昧さ回避ページにする方法と、その語の記事の冒頭に曖昧さ回避部分を設けて本文では最も主要な意味についてのみ記述する方法があります。この議論において、Dalaibaaturさんは後者で納得されたのかと思いましたが、違ったのですか?ということです。後者の場合、本文ではethnic groupについてのみ述べるべきであり、nationについて述べるべきではありません。--ABCEdit会話2020年12月4日 (金) 08:30 (UTC)[返信]

私が「2020年12月2日 (水) 21:48 (UTC)」の投稿で賛成した【ABCEditさんが「2020年11月28日 (土) 00:51 (UTC)」の投稿で提案している(民族〜民族集団)の5項目】は、中略せずにすべて列挙すると
  • 民族:曖昧さ回避ページ(利用者:ABCEdit/下書き)
  • 国民:簡素な内容に留める。Nationの詳細はネーションに転記。
  • ネーション:民族(Nation)と国民(Nation)の詳細を記述。
  • ネーション (曖昧さ回避):現在のネーションから改名。
  • 民族集団:民族(Ethnic group)の詳細を記述。

です(ふたつ並んでいる「ネーション」の上側は「ネイション」の誤記であるかと思いますが)。ABCEditさんご自身の文章ですよ。どうみても、12月3日になってABCEditさんが言い出されたこと(人類学で用いられている民族の定義(Ethnic groupについての記述)を記事"民族"の「最も主要な意味」に位置付けること)が提案されているようには見えません。--Dalaibaatur会話2020年12月4日 (金) 08:43 (UTC)[返信]

私は、Dalaibaaturさんの2020年12月2日のコメントから、Dalaibaaturさんが2019年3月の結論に納得し、民族で扱うのはethnic groupのみとすることを容認されたものと思っておりました。(私の11月28日の提案はDalaibaaturさんの主張との折衷案として出したものであり、12月2日時点でDalaibaaturさんはその主張自体を取り止められたものと理解し、この折衷案自体が不要になったものと思っておりました。)ともあれ、Dalaibaaturさんは民族を曖昧さ回避ページにしなければならない、とお考えということですね?--ABCEdit会話2020年12月4日 (金) 09:04 (UTC)[返信]

2020年12月2日には、(1)「21:18 (UTC)」と(2)「21:48 (UTC)」と二つコメントしています。(1)では、正確には、「当時、記事"民族"の文面上に存在した文章の処理をめぐる議論とその結論」と「理解」したうえで、「これに同意し尊重する」と述べています。2020年3月「当時、記事"民族"の文面上に存在した文章の処理」としてみとめるという意味です。まだ問題が残っているとは思いましたが、【ABCEditさんが「2020年11月28日 (土) 00:51 (UTC)」の投稿で提案している(民族〜民族集団)の5項目】によって解消されると考えたので、(2)で、この5項目提案に賛成しました。「残っている問題」が何かについては、あらためて「2020年12月3日 (木) 23:27 (UTC)」、「2020年12月4日 (金) 05:16 (UTC)」などの投稿で指摘しました。--Dalaibaatur会話2020年12月4日 (金) 09:44 (UTC)[返信]

端的にお答えください。Dalaibaaturさんは民族を、1.冒頭部に曖昧さ回避部分を設けて本文ではethnic groupのみ記述、2.曖昧さ回避ページ化、することについて、1は反対、2は賛成ということでよろしいですか?--ABCEdit会話2020年12月4日 (金) 10:05 (UTC)[返信]

3も追加してください。内容は、記事「民族」の冒頭部を、機械的・事務的に単語をふりわける単なる「曖昧さ回避」に留めるのでなく、「日本語において民族と訳される概念は全てしっかりと概略を記述したうえで、既存の独立記事へ誘導する」ことです。この文章の役割は、「民族」の諸概念のハブとして位置付け、各概念の詳細についてはネイション・国民・部族・民族集団等の独立記事にふりわける役割を担うものとします。具体的な文面としては、このような文面にまとめました。まずは「典拠」が確認できる5語に言及しています。一方で出典不明の「race」についてははずしました。ただしどなたたが出典付きで改めて加筆することには反対しません。全体の論旨の土台としては津田みわ氏の「民族 Ethnic Group / Tribe / Nation」という文章が参考文献として優れていると考え、使用しました。いわゆる「戻すべき版」でも典拠に利用されている文章なので、主としてこれに基づいてまとめるなら、ABCEditさんやたぬきさんが「政治学よりにかたよりすぎた」と感じるような内容にはならないと思われます。津田のいう「本質論」と「構築論」は、佐藤優のいう「原初主義」と「道具主義」と同じものですね。--Dalaibaatur会話2020年12月4日 (金) 19:07 (UTC)--Dalaibaatur会話2020年12月6日 (日) 01:08修正[返信]

3は個人的には難しいと思いますが、選択肢としては承知しました。私が1に反対かどうか聞いている理由は、コメント依頼の要否に関わるからです。もし反対であるならコメント依頼を行い、私が11月28日に提案した再編等について意見募集することになります。Dalaibaaturさんは、1.冒頭部に曖昧さ回避部分を設けて本文ではethnic groupのみ記述することに反対ですか?賛否だけを答えてください。--ABCEdit会話2020年12月4日 (金) 22:11 (UTC)[返信]

私の妥協案を「選択肢としてご承知」いただきありがとうございます。この妥協案(3)の内容は「こちらの旧版」の「曖昧さ回避部分」と「民族の定義」部分を大幅に増補したものとなります。「民族」というこの記事の主題そのものの内容であり、特筆性もあると考えますので、さっそく投稿しました。「個人的には難しい」とのことですが、30分ほどでまとめることができ、ちっとも難しくありませんでした。
これで、「記事"民族"」において「特定学問分野のみの定義」があたかも「日本語におけるこの概念の普遍的な定義」であるかのように記されてはならないという、「私にとっての問題点」は解消されことになります。
「賛否だけを答え」るようお求めの「1.冒頭部に曖昧さ回避部分を設けて本文ではethnic groupのみ記述すること」、「2.曖昧さ回避ページ化」ですが、冒頭部は「曖昧さ回避部分」ではなくなりましたし、本文も「ethnic groupのみ」ではなくなりましたので、ご質問そのものが消滅したようにおもいます。本文に引き続き「ethnic groupについての記述」を置いておくことについては、賛否いずれもありません。--Dalaibaatur会話2020年12月5日 (土) 08:02 (UTC)[返信]

何だか議論がぐちゃぐちゃになっています。前提と議論対象を勝手に変えないでください。
私は貴方が編集した最新版に明確に 反対 します。
ではこれからコメント依頼の準備をします。--ABCEdit会話2020年12月5日 (土) 08:14 (UTC)[返信]


※私の方から一方的に先走ってコメント依頼を提出してしまったこともあり、その後体裁についての議論(利用者‐会話:ABCEdit#コメント依頼)がありました。体裁についての議論を踏まえ、再度依頼を行った結果が下節となっております。体裁についての議論が行われる前のコメント依頼について(既に廃案)はコメントアウトしております。ご覧になるにはこちら。--ABCEdit会話2020年12月6日 (日) 06:50 (UTC)[返信]

(原文)--Dalaibaatur会話) 2020年12月6日 (日) 21:29 (UTC)--Dalaibaatur会話2020年12月7日 (月) 04:16 (UTC)削除しました。[返信]


コメント依頼:記事の再編について[編集]

民族の記事のあり方について、合意形成のため意見募集いたします。

本コメント依頼に至る経緯は、前節で長々と議論しておりますので、ご参照いただきたいのですが、一言で申しますと、「民族」という語について、人類学と政治学で指す概念が異なることが、問題の根底にあります。

人類学での「民族」はethnic group、政治学での「民族」はnationを指すようです。

今までの議論の結果、「民族」の記事で内容の大幅な整理が必要になってくる可能性が高く、それに伴い記事の再編を要するため、コメントいただきたく存じます。

さしあたり、以下の3案を考えていたところです。

案1:記事「民族」を「ethnic group」を記述する場として用い、冒頭部にはABCEdit版曖昧さ回避(仮称)を置く。
案2:記事「民族」はABCEdit版曖昧さ回避(仮称)を用いた曖昧さ回避ページとする。「ethnic group」についての記述は独立記事の民族集団に移す。
案3:記事「民族」Dalaibaatur私案(D私案)を記事の本文とし、「ethnic group」についての記述は独立記事の民族集団に移す。

また、

  • (ローカルルール)「今後この記事に加筆される個別の概念(=民族と訳される各概念)がスタブ以上に達した場合、各独立記事へ分割転記する。」への賛否

についても教えてください。

よろしくお願いいたします。

(文責 ABCEditDalaibaatur

--ABCEdit会話) 2020年12月6日 (日) 06:41 (UTC) 一部修正--ABCEdit会話2020年12月6日 (日) 13:26 (UTC)[返信]

第1、2案の提案者からの主張[編集]

コメント 私としては、現時点では、案3には 反対 とさせていただきます。(ただし、議論次第では反対撤回もあり得ます。) 人類学側からすると、日本語において「民族」を意味する語はethnic groupであることの方が多いにもかかわらず、Dalaibaatur私案(D私案) の「「民族」と訳される様々な概念とその定義」という節において、nationがあたかも「民族」の第一義であるような列挙の仕方に大変違和感を覚えます。「民族」について述べるのであれば、まずethnic groupを挙げるべき、というのが人類学側からの主張です。 しかし、政治学側からすると、民族の第一義はnationでしょうから、そこの溝は永遠に埋まらないように思います。従って、妥協案としては、案2にする他ないのかとも思います。(ただしこれとて、厳密には、どちらを先に挙げるのかという問題は残ります。)人類学側の立場だけから申せば、案1にしていただきたいのですが、おそらく政治学側が納得しないでしょう。 解決策としては、日本語で「民族」という場合、ethnic groupを指す方が多いのか、nationを指す方が多いのか、定量的なデータがあればよいのですが、私の情報収集力不足もあり、そのようなデータや資料は現在持ち合わせておりません。どなたか裏付けるデータや資料をお持ちの方がいらっしゃいましたら、教えていただきたいです。--ABCEdit会話2020年12月6日 (日) 07:16 (UTC)[返信]

コメント (ローカルルール)「今後この記事に加筆される個別の概念(=民族と訳される各概念)がスタブ以上に達した場合、各独立記事へ分割転記する。」には 賛成 いたします。かねてより民族の記事には、nationの内容のみを長々と記述する利用者がおり、ethnic groupの内容の割合が著しく低下させられてきました[1][2]。結果、「民族」の記事のほとんどがnationの内容で占められることになってしまいます。(現在、これらnationの内容は、ネーションまたは国民に転記されました。ノート:民族#転記提案も参照。)このローカルルールなしにethnic groupとnationを同一記事に共存させることは、今後もnationの内容ばかりが加筆される恐れがあり、「民族」の実態との乖離を招くことになり、決して望ましくありません。仮に案3を採用するのであれば、このような状態を防ぐために、このローカルルールは必須でしょう。逆に、このローカルルールが設定されない限り、案3には 反対 します。--ABCEdit会話) 2020年12月6日 (日) 07:18 (UTC) (追記)--ABCEdit会話) 2020年12月6日 (日) 07:26 (UTC)(一部修正)--ABCEdit会話2020年12月6日 (日) 13:26 (UTC)[返信]

第3案の提案者からの主張[編集]

第3案では、「民族」という記事の役割として、

  1. 『日本語の中で「民族」と翻訳されている/いた、Nation, tribe, Ethnic groupなどの諸概念を紹介する』ための記事
  2. 『日本語の中で「民族」と翻訳されている/いた、Nation, tribe, Ethnic groupなどの諸概念』を解説するWikipedia内の独立記事のポータル(ハブ,交通結節点)としての役割

のふたつを持たせることを提案します。

上記の2点を達成するため、

  1. この文章(「D私案」)を、上記の1の【当初の文面】として採用
  2. 次の内容を、この記事の編集のローカルルールとして制定する。
  • 「今後この記事に加筆される個別の概念(=民族と訳される各概念)がスタブ以上に達した場合、各独立記事へ分割転記する。」

の2項目について、皆さんに賛否をお尋ねします。

当初の文面(D私案)】として提案する文面を簡潔に紹介すると、次のとおりです。

  • 第1節「"民族"と訳される様々な概念」では、日本語で「民族」という訳語が当てられる主要な概念を紹介しています。
  • 第2節「民族の定義」では、「民族の定義」として、さまざまな学問分野でもちいられている本質論(原初主義)構築論(道具主義)両者の折衷の三定義を紹介しました。

この内容は、【当初の文面】として提案するものであり、「コメント依頼の結果採用となった場合」、この文面に不満を持つ人からの加筆についても可能なものとします。

(私個人については、

  1. 上記の「この記事の役割1,2」を侵害しない

ことを、「新たに行われるかもしれない加筆」に反対しない条件とします。

--Dalaibaatur会話) 2020年12月6日 (日) 10:43 (UTC) --Dalaibaatur会話) 2020年12月6日 (日) 13:17 (UTC)修正--Dalaibaatur会話) 2020年12月11日 (金) 06:32 (UTC)修正--Dalaibaatur会話2020年12月11日 (金) 14:54 (UTC)[返信]

第三者コメント[編集]

  • 印象として、問題の根源は日本語における定義の問題ではなく、英語の複数の意味が異なる言葉が、「民族」として訳されてしまっていることによる混乱であるように思えます。津田みわ氏の文章にも「ethnic group、nation、tribeなどいろいろな言葉の翻訳語として、同じ「民族」という日本語があてられてきてしまった経緯があります。」と書かれており、このnationを意味する言葉を「民族」と訳さない必要性を津田氏は主張しているように思えます(ネーションと)。また、「学問分野を問わず「民族」という言葉はほぼethnic groupを指すと考えて良くなりつつありますが、まだ定訳とはいえず、依然として注意が必要でしょう」と津田氏が指摘する通り、他言語からの訳を考慮しない場合、日本語では「民族」が指す意味は基本的にethnic groupの定義に近いと思います。津田氏の記事を読んで感じる第一の印象はnationを民族とする誤訳が定着してしまったことによる問題です。民族が訳語以外の状況でネーションの意味として使われることがあるのか、ということは申し訳ありませんが私の不勉強でわかりません。いずれにせよ、XXの訳語としてYYが使われた背景があるからといって、XXの定義がYYの定義に急に含まれるわけでは必ずしも無いと思います。以上から、ネーションの定義を書くにしろある一定の重み付けをする必要があると思います。
津田氏の記事にあるように、民族の定義が複数あったにしても、日本語における主な意味があるとの理解であれば、ネーションの記事が存在する以上は案1か案2が一番混乱を招かず、ネーションの意味を求めている人は曖昧さ回避で誘導する事ができるのでは無いでしょうか。逆に案3は定義に必要な重み付けを欠く点が多少問題かと思います。なお、いずれにせよ英語の単語を元に日本語の単語の定義を書く現在の導入文には少し違和感があります。-Akira YL会話2020年12月6日 (日) 16:50 (UTC)[返信]
コメント 第三者かどうか分かりませんが、現時点で思うところをコメントさせていただきます。民族のありかたについてですが、前述の通り「民族」は術語に留まらず、一般書や新聞などにも現れる身近な言葉であり、特に翻訳書で使われる「民族」の意味は文脈で判断するしかない場合がほとんどと思われます。つまり、「民族」を調べる読者の利便を考えれば、総合的な視点で書かれていることが望ましいと考えます。
文化人類学者の小池誠という方が2000年に書かれた「民族問題試論--民族とは何か、なぜ民族は対立するのか?」(NAID 110004695027)という論文の1-3章が、正直丸写ししたいくらいにこの問題を捉えているので是非お読みいただきたいのですが、その中で「民族の問題を文化論だけで説明しようとはまったく考えていないし、それは意味のないことである」と述べられており、文化人類学が民族問題を対象とする場合でも、政治経済学の側面からのアプローチが不可欠だと述べておられます。論文で触れられている「エスニシティ」というアプローチは社会学でもしばしば現れる概念であり、学問分野ごとの切り分けは必要としても、オーバーラップしている部分も多く、極端な峻別は読者を古典的な理解に留まらせる恐れがあるとも考えられます。
Wikipedia:曖昧さ回避の冒頭には「異なる主題なのに適切な記事名が同じになってしまうときに、それらを判別しやすくすることを曖昧さ回避(あいまいさかいひ、Disambiguation)と呼びます。」とあります。やり方次第なのかもしれませんが、ある事物に対するアプローチの違いを解決する場合、曖昧さ回避よりも{{Main}}などの内部リンク用テンプレートで相互補完したほうが曖昧さ回避の本義に近いと考えます。
つまるところ、私の意見としては民族を総合記事として充実させるのが理想であり、最も近いものは案3案となります。英語と日本語の相対関係を逐一定義するならば、先の論文のように文章のなかで明らかにしていくのが望ましいですが、言うは易しでしょうね。また、「「民族」の定義」節は適切な部分を抽出して、それぞれ導入部と「「民族」と訳される様々な概念」の補強に使った方が、定義のような節が2つあるよりも分かりやすくなるかと思います。--茂林寺たぬき会話2020年12月6日 (日) 23:07 (UTC)[返信]