ノート:武士


ちょっと位置的におかしいので削除します。[編集]

2005年7月12日 (火) 02:07の編集でImage:Samurai in 1880.jpgを除去しました。1880年代のサムライと付記されていましたが、この画像の被写体が武士や侍などではなく、芝居の役者であることは明らかでしたので、取り除きました。shimoxx 2005年7月11日 (月) 17:13 (UTC)[返信]

武士の起源を考えるというのは、同時に武士の定義・社会的認識を考えるということです。では「武士とはなにか」ということをどうとらえるかというと、社会的身分として見ていくものと(「荘園領主論」「在庁官人論」でしたっけ?)、「家」として見ていくもの(「職能論」?)に分けられていると思います。記事の中で「家」としてみている観点が少ないと思いますので、「芸能の家としての武士」を追加しときました。 2005年9月11日 (日) 01:15 (UTC)

「韓国における起源捏造」の節は以下の理由で削除しました。

  1. 妄言・珍説をいちいち紹介することは無い
  2. 内容が無い
  3. また、内容があるなら歴史認識に書くことをお勧めします。

Zorac 2005年11月10日 (木) 13:22 (UTC)[返信]

えーと、大した問題ではないのですが、普通書籍等の名前をあのような場所で書く場合、 著者名『題名』出版社、発行年次。 とします。著者名を後ろに送るなとは申しませんが、変です。 Kzhr 2005年11月18日 (金) 15:49 (UTC)[返信]

まあ、参考文献リストの書き方って別に決まった方法がある訳でなく、『題名』、著者名・・・でも、著者名『題名』・・・でも、必要なことさえ書いてればどっちでも構わない、書く人の好みの問題だ、という風に大学入って最初ごろの講義で教わりました。なので「変」とまでは言えないだろうと、ま、そういうことです。shimoxx 2005年12月24日 (土) 01:30 (UTC)[返信]

起源に関して、「百済のサウラビ説が国際学会で有力となっている」は国際学会ではなく韓国の学会で有力となっていると思われるので削除しました。サウラビ起源説が有力なのはどこの学会でどのような説なのか、執筆者には述べていただきたいと思います。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2001/05/24/20010524000012.html 日本でもサウラビ説が受け入れられている証拠です。

スポーツ新聞記者の一記事で証拠というのは学術的に何の価値もありません。映画に歴史に無知な日本人の俳優が数名登場したからといって日本の学会及び日本全体が百済サウラビ起源説を承認したといいたいのでしょうか? こちらが聞きたいのは 1どこの学会 2主張した人物 3発表年 4どのような説か 5その説を裏付ける文献資料・物的資料の出典元 最低でもこれだけは答えていただきたいと思います。 なお、wikipedia日本語版「侍」項目で 金容雲氏が1983年に主張出したものと思われますが、この人物は歴史学会とは何の関係もない人物であり、内容も現代韓国語と似ているからといった程度で、主張に文献資料・物的資料等裏づけとなる証拠も一切なく、単なる民間語源説であり、当然日本の学界は相手にしません。韓国の学会は金容雲氏のこんないい加減な説をもって学会で有力とするのかどうかは知りません。 サウラビ起源説を唱える方はこの件について明確な反論を求めます。 


開発領主起源論と職能起源論の扱いについて[編集]

221.189.169.50さんの編集によって開発領主起源論と職能起源論の併記の形になり、既存の記述が職能起源論に位置づけられていますが、実は既存の記述は、初期の純粋な職能起源論の限界を乗り越えることを目指す、近年の議論を繰り込んだ形になっています。本来、「古い開発領主起源論」>「職能起源論」>「ここ15年ほどの新しい議論」というような章立てが望ましいのですが、最近の下向井説などを参照した私の武士起源論投稿の骨格が、最後の「ここ15年ほどの新しい議論」に偏って紹介した形になっていたため、ある意味片手落ちの形となっていました。それに対する追加という意味で、221.189.169.50さんの編集は非常に重要なものなのですが、今回の編集投稿では、純粋な初期の職能起源論の議論という形で、下向井氏らによる修正説の提言がかなり紛れ込んだ形となってしまっています。このあたりをうまく分離記述する編集が必要だと思うのですが、私ひとりではちょっと力不足です。最初に分離編集に関する議論をここでしておきたいのですが、参加してくださる方、名乗り出ていただけませんでしょうか。--ウミユスリカ 2006年3月5日 (日) 09:49 (UTC)[返信]

賛成です。ここに書き込みをするような方は当然「開発領主」起源論もご存知なはずなのですが、百科事典という性格上、見る人は素人さんも多いと思われ、よけいなこととは思いましたが書き込みしてしました。ただ、私もしばらく中世史の勉強をして無かったのであまり上手く書き込みができません。下向井さんの本も実家に置きっぱなしで手元になくて確かめもせずに曖昧な記憶で勝手なことを書いてしまいました。武士論はきわめて基礎的ですが重要で奥が深いものですから現役の研究者にもどんどん書き込みをしてもらいたいと思います。--利用者:元221.189.169.50

日本以外の戦闘員との異同[編集]

他の文明における戦闘員との異同に触れておくと良いように思います。たとえばヨーロッパの騎士との比較するとどういう違いがあるのでしょうか。それを記述することで武士の特徴が浮き彫りにできるのではないかと思います。私ひとりでは扱いかねますので協力いただければ幸いです。219.97.105.61 2006年12月20日 (水) 12:46 (UTC)[返信]

一口に武士と言っても、平安、鎌倉、室町、戦国、江戸時代の武士は、それぞれ、かなり異なります。ヨーロッパの騎士も時代によって、大きく変遷しています。世界のほとんどの地域のほとんどの時代に、戦士、兵士は存在しており、類似点もあれば、相異点もあります。武士だけが、特に異なった特徴を持っているわけでもありません。その辺を把握しないで、単なる思い付きで違いを列挙するだけなら無意味なものになるでしょう。 Zorac 2006年12月21日 (木) 14:34 (UTC)[返信]

武士の給料[編集]

どこに書くべきかわからなかったので。 戦国時代、一般的な下級武士に支払われる貫高は年間10貫~50貫(1貫は約15万円)程度であったとされる。また、貫高に応じて、およそ7貫に1名の割合で兵を拠出する義務が課せられており、当時の暮らしは決して楽ではなかった。--赤井彗星/2007年8月4日 (土) 11:54 (UTC)[返信]

まだ発展の余地が高そうな貫高制の記事の方に書かれてみたらいかがでしょうか?--水野白楓 2007年10月29日 (月) 16:30 (UTC)[返信]

武者(むしゃ・むさ)の追記について[編集]

武者と検索すると武士に転送されるようですが、広く一般に武者(むしゃ)という言葉も浸透していると思うのと素人考えですが合戦など鎧付けた武士は一般的に武者と呼称する方が多いと思うので武士との同義語?として、また由緒正しき日本語として加筆させてもらいました。只、武士と武者との違いがあった場合は私は詳しくないので違った場合は構わず削除・編集お願いします。--ラフレシア 2008年1月9日 (水) 17:52 (UTC)[返信]

そもそも日本語として、武者に「むさ」の読みはあるのでしょうか?! 韓国語としてならあるかも知れませんが、それなら、韓国版に記述しておけば良いでしょう。--203.114.218.111 2015年6月17日 (水) 05:06 (UTC)[返信]