ノート:心理学


分類について[編集]

基礎心理学の項に「超心理学」があるのは大変違和感があるのですが。異論なくば関連項目に移動させてください。MH 10:35 2004年2月25日 (UTC)

ビネー、ウェクスラー、ターマンなどの知能検査関係の心理学者はどこに入れるのが適当でしょうか?210.156.73.55 02:59 2004年3月4日 (UTC)

以下の一文を削除します。 「現在、私達が一般に使用する心理学用語、「恐怖症」やそれを治療するカウンセリング等の技術は、大半の心理学に関する出版物がアメリカで英語翻訳されたおかげで、心理学が世界に幅広く普及されたためである。」 理由は以下のとおり。

  • 「恐怖症」は純粋な心理学用語ではなく,例として挙げるにふさわしい代表的なものではない。
  • カウンセリングを治療技術と呼ぶのは適切ではないし,心理学固有のものでもない。
  • 後半部分の記述は米国中心の心理学観だが,日本の心理学は米国からの輸入で始まったわけではない。
  • 何より日本語として不自然。

Diogenesis2004年11月13日 (土) 07:46 (UTC)[返信]

削除はしませんが、現行の本文は大いに問題ありです。たとえば、

  • 実験心理学、臨床心理学、認知心理学、人間性心理学を列挙して「学派」と称している。
  • 「心」なる用語を無反省に用いている。「心」=“mind”ではないし、心とは何かについての議論が収束していないことは初期の版には明記されていたはず。
  • 歴史に関する記述が米国中心の視点に立って書かれている。

文句ばかり言うのも何なので、そのうち全面改稿案を提出しようと思います。Diogenesis 2004年11月13日 (土) 08:24 (UTC)[返信]

以下の3項目の修正を提案します。

  • 児童心理学と青年心理学は発達心理学の下位分類として基礎心理学に移動。ついでに乳幼児心理学、老年心理学を追加。
  • 基礎心理学に文化心理学と進化心理学を追加。
  • 行動遺伝学は関連項目へ移動。

異論がある方は御意見をお寄せください。Diogenesis 2004年11月15日 (月) 18:24 (UTC)[返信]

フロイト、ユングの理論の全てが否定されているわけではないので、「一部の」と加えた。また、書籍にあった「フロイト先生のウソ」はここに示すにふさわしくないと考え削除した。これから示す「」内は一語一句正確ではないが、本にあるものと同様の内容である。「心理学者はアダルトチルドレンや多重人格なんていう無い病気を捏造し」、「カウンセリングの結果、患者が精神障害になることが多い」などと意見を主張する部分に学術的な検証を記載しないこと、「人格形成は先天性か環境のどちらが主に作用するか」という問題に心理学の主張を載せないなどし、フロイトや心理学が「マルクス主義よりも世界に損害を与えた」というわりにこの本そのものが学術論ぶった擬似検証本と言わざるを得ないものだからである。金ピカスライム 2005年9月14日 (水) 10:57

「行動学からの発展」は内容を他の項に移行して削除。「行動学」というならエソロジーの影響を書くべきでしょう。「行動科学からの発展」の項も削除。内容が社会心理学そのものです。また「行動科学」から発展した心理学というのは倒錯しています。逆ならありますが。Diogenesis 2006年10月27日 (金) 03:42 (UTC)[返信]

行動科学の件は了解。行動学というのは比較行動学のつもりで入れていたのですが、選んだ語が誤解を招くものであったことは反省しております。この系統は行動主義の説明に不可欠のため、復活させました。 Hskwk 2006年11月1日 (水) 05:34 (UTC)[返信]


社会や歴史、あるいは文化現象の方面から「ノスタルジア・ノスタルジー」という概念について、このような心の作用に関する心理学的側面からの補強を求めています。お力添え、よろしくお願いいたします。220.148.255.164 2007年6月30日 (土) 03:00

定義と概論[編集]

Kazu 62さんが概論セクションを大幅に加筆してくださった勇気と文章力,労力に敬意を表しますが,「心理学は心を研究対象とする」という定義およびその視点による論述は明らかに独自研究です.通俗本や哲学者の書いた本などにはこのような定義が書かれているものもあるのかもしれませんが,心理学者はこのような定義を,心理学の科学としての客観性を確保するために,注意深く避けてきた事情があります.以前の定義や概論は説明が不十分で,不正確な部分もあったかもしれませんが,それなりに心理学の事情に配慮された記述であったと思います.視点が誤って書かれた文章を修正・訂正するのは困難なので,Kazu 62さんの投稿は独自研究としてとりあえず差し戻させていただきました.Kazu 62さんにはきちんとした心理学の教科書を参照して心理学の視点をご確認のうえ再投稿いただけるとありがたいと思います.

また歴史#現在のサブセクションを修正のうえ概論に移動してボリュームを増やしておきました.

以下参考までに教科書から定義を引用しておきます.著者は心理学史にも精通していた方々です.

「斯くの如く見来れば、私たちが心といっているものは、人間の行動の原理である。行動するものは個々の人間又はその他の生活体であり、直接観察されるものは現に行われつつある行動であり、その行動を一貫した原理を認めてこれを心と云うのである。かくの如き心は、人間をして斯く行動せしめる所以のものであるから、それは又人間性であるといってもよい。現代心理学において、心理学が、行動(Behavior)を研究する学問であるとか、人間性(Human nature)を研究する学問であると定義される所以である。」今田恵『心理学』岩波書店 1952年 pp.4-5(引用者注:引用元での強調は傍点.旧字は新字に改めた.)

「(前略)字義通りに解すると,心理学とは〈こころ〉の学問である.psychologiaというのはそういう意味のことばである.しかし,〈こころ〉とはいったい何か.〈こころ〉ということばを聞いてまず思い浮かべるのは,日常生活の多彩な心的経験であろう.たとえば,記憶や感情や思考はそのような心的経験の一種であり,したがってそれらは当然心理学において取り扱われるべき対象であるといえる. (中略)  それでは先にあげた記憶や感情や思考は,どのようにして客観的に研究されるのか,さいわいにしてわれわれは自分の意識的経験をことばに表現することができる.また,ことばにあらわせないものは表情や動作のなかにそれを読み取ることができる.これらはいずれも〈こころ〉の働きによって生じたものであり,しかも,すべての研究者が共通の対象として取り扱うことができるという意味では客観性を備えている.心理学では,そうした言語的表現,表情,動作をひっくるめて〈行動(behavior)〉と呼んでいる.心理学はこのような広い意味の行動を研究する学問なのである.さらに詳しくいうと,心理学はどのような条件のもとにどのような行動がおこるのかということ,いわば行動の法則を究明しようとする科学なのである.」末永俊郎「序説」末永俊郎編『新版現代心理学入門』有斐閣 1989年 ISBN 4-641-11050-6 pp.1-2(引用者注:引用元での強調は傍点.) --HIw 2009年9月28日 (月) 15:10 (UTC)[返信]

HIw様、および編集者の皆様お疲れ様です。HIw様がこの度自分の記事を差し戻したことについて、私は異議を申し立てません。むしろ、従来の記事が私が投稿した記事よりより正確かつ優れた記述であったことを確認できたことに満足しています。ただ些細な誤りと気になった点がありますので、その点についてのみ確認することを許して頂ければ幸いです。私は心理学の冒頭の定義として「心を研究対象とする」とは定義しておりません。私は「一般に心理とそれが行動に与える影響を研究する科学である」と定義しております。ちなみに現状の定義である「一般に心と呼ばれるものの様々な働きである心的過程と、それに基づく行動を探求する学問」では「心的過程」という合成語を使用してしまうことで意味するところが不明になっていると思いますが、その議論については別の機会に別の編集者が取り組んでいただきたいと思います。
さらに私の記述が独自研究に基づいて執筆されたものであるという指摘についてですが、「明らかに独自研究である」と結論だけ仰られる限り私はその論拠について、またどの箇所が該当したのかを推測するしかありません。まず検証可能な出典や脚注が不足していたために独自研究であると判断されたのではと推測しています。しかし「視点が誤って書かれた文章」と述べられているので、単なる事実誤認だけではなくより根本的な問題が自分の文章にはあったと思われます。私が執筆した概説は三つの要素から構成されていました。第一に心理学は本質的に実体を持たない対象を研究する事情のために、研究でも研究対象の把握の仕方が複数あること、第二に心理学が具体的に扱う認知や発達、知能などの諸々の論点を示すこと、第三に心理学が客観性を保持するために採用している諸々の研究方法を示すこと、以上の三点でした。恐らくこの文章は少なくとも第一の要素に関して言えば、特定の立場に依拠できていません。もしかすると現在の心理学として完全に否定しているフロイトの見解についての記述が「視点が誤って書かれた文章」に該当したのかとも思いましたが、しかし自分はフロイトの視点に基づいて述べているのではなく、心理学の諸々の立場を列挙する中でフロイトの学説を示したに過ぎません。また行動主義心理学の立場に立脚していないという理由ではないかとも推し量りましたが、この点についても確信は持てませんでした。もしHIw様さえよければこの心理学という項目において「どのような視点に立脚して書かれた文章」が適切であるのかを明確化して頂ければ、心理学という項目を編集する皆様にとっても有意義な参照点になりうると思うのですが、いかがでしょうか。
現状の概説で示されている記述に問題を感じていたのが自分だけならば、この項目の記事は既に十分に役割を果たしています。したがって私は異議を申し立てることはしません。あとHIw様が二つの文献を示してくれたお手間に感謝します。教科書をよく読むように助言を頂くほど自分の知的水準が低いことを恥ずかしながら露呈しましたので、恐らくこの項目を編集することはもう二度とないと思いますが、HIw様が示していただいた資料について簡単に応答しておこうと思います。ただ私は偶然にも『新版現代心理学入門』にはよく目を通していました。「こころ」から出発し、心理学の方法論としての行動主義の立場、つまり行動の動機となっている心理ではなく環境に応じてどのような反応が得られたのかを観察するスキナーなどにより実践されてきた心理学の伝統、を概説することは現代心理学の入門書として優れていると思います。今田氏の定義は初めて知りました。彼の定義も行動主義を踏まえた定義の一例として理解しました。これは議論というよりも、HIw様が示して下さった参考資料への御礼です。最後に細かい注意ですが、HIw様は署名することを忘れているようです。ノートでは署名をしていただくようお願い申し上げます。--Kazu 62 2009年9月29日 (火) 00:26 (UTC)[返信]

お返事が遅れて申しわけありません.またご指摘の前回署名を忘れたのはまったくのうっかりです.大変失礼しました.前回の分にも署名を追加しておきます.

さて,現在の概論は概論とも呼べないお粗末なものです.記述内容も心理学を専攻した人ならわかるとしても,心理学をよく知らない人が「心理学とはどういうものか」を知りたくても全くわからないでしょう.ですからKazu 62さんが書かれたような概論が必要だと考えています.上で指摘されている概論の三つの要素もかなり的確だと思いますし,それは投稿された概論を読んでもわかりました.ですから「視点の誤り」で差し戻すのは残念で,再投稿をお願いしたわけです.視点の誤りはちょっとした思い違いであろうと思っていました.ところが上のノートを読むとKazu 62さんは現在の心理学の主要な立場とは異なる立場を信念として取っておられるように思われます.そうなると再投稿をお願いするのは控えるべきで,ますます残念です.今後概論を投稿される方はKazu 62さんの「概論の三つの要素」をぜひ参考にしていただきたいと思います.

そこで定義についてですが,導入部の定義「一般に心理とそれが行動に与える影響を研究する科学である。」では心理学の研究対象として「心理」と「それ(心理)が行動に与える影響」の二つが挙げられています.まず後半部分「それ(心理)が行動に与える影響を研究する科学である。」から取り上げると,これは哲学における心の研究の方法,演繹的な方向で,心理学の行動から心的過程を解明する,帰納的な方向とは視点が逆なのです.あるいは上のノートの最後の方にある「行動の動機となっている心理」という句から,「問題行動を起した生徒の,その行動の動機となった心理」のような状況を連想したのですが,そういうことを想定しているのだとすれば,もちろん教育心理学や犯罪心理学などで,そういう問題意識で研究が行われることはあるでしょうし,それを否定するつもりはありません.しかし現在心理学の研究者がおこなっている研究の多くでは,実験や調査を通じて前回引用した末永先生のいう「広い意味の行動」のデータを取り,それを分析して心的過程(例えば色の知覚メカニズムとか記憶の構造とか)を推定するという手続きがとられています.少し私見がはいっているかもしれませんが,現代の心理学はこのように推定された心的過程の総体として心を「理解」しようとしているのではないかと思います.

ですから,導入部の定義の前半部分「一般に心理……を研究する科学である。」だけではなく,概論部分で

  • 「心理学の基礎的な理解のためには心理学の研究対象である心をどのように捉えることが可能であるかを知る必要がある。」
  • 「心理学が心という複雑な現象を明らかにする上で」
  • 心理学は直接的に観察することができない心を対象とする研究であるために、」(以上強調は引用者)

と「心理学が心を研究対象としている」ことを繰返して強調されると,現在の心理学について読者に誤解を与えることになります.あくまでも現在の心理学の主要部分では直接の研究対象は行動で,そこから心的過程を推定しているのです.

心理学でも「心理学は心を研究する学問である」という定義がないわけではありません.古いところで元良勇次郎の「心理学」第1章(『哲學雜誌』第二十一巻第二百二十七號の附録,1906(明治39)年)では「心理學は概して之を云へば心を研究する學に相違なきも(以下略)」とありますし,『新版心理学辞典』(平凡社,1981年)の「心理学」の項目で相良守次は「心理学は,読んで字のとおり,心の学問あるいは心の理(ことわり)を説く学問であり,(以下略)」としています.しかし,元良は直前の緒言でさまざまな学派の意見を紹介し,また定義につづけて演繹的・哲学的な研究から帰納的な研究への変化を述べています.相良も定義の直後から,ギリシャ時代からの「心理学の沿革」を3ページにわたって説明しています.ただ単に「心理学は心を研究する学問である」として済ませているわけではありません.

私は行動主義者ではありません.研究上のスタンスをあえて言えば「情報処理心理学」で,心的過程を情報処理過程と捉えて,その推定には積極的です.末永先生の『現代心理学入門』は「環境への適応」という観点で全体が統一された,通読に耐える教科書です.通読したのは随分以前ですが,特に行動主義的立場で偏っていた印象はありません.今田恵『心理学』も特定の立場に偏らない,1950~60年代の最もスタンダードな教科書だったであろうと推測しています.

もっとも,心理学は客観的で科学的な立場を確立するために行動主義の影響を強く受けました.ですから現在の心理学者が中立的だと考えても,行動主義が登場する以前の心理学と比較すれば行動主義的であることは否めません.定義についてもそうです.その事情を東洋先生は『心理学の基礎知識』有斐閣 1970;1978年 ISBN 4-641-08351-7 の1-18 「心理学が行動の科学といわれるのはなぜか」(p.25)で次のように説明しています. 「(前略)そして,直接の研究対象はあくまでも行動であるものの,刺激と行動との,あるいは行動と行動との関係を説明する仮説的構成概念は,それが刺激および反応のことばではっきり定義されている限りは受け入れてよいとする新行動主義が1930年代から支配的になった.  1945年以後,アメリカの心理学の影響が世界的に強くなった故もあり,いわゆる新行動主義の立場をとらない研究者も,諸概念の行動のことばでの定義の必要性をみとめる点ではほぼ一致し,心理学の直接の研究対象は人や動物の行動であるという考え方が一般的にうけいれられるようになった.」

Wikipediaでは出典の提示が奨励され,また文献で検証できないオリジナルな考えは独自研究と呼ばれ,投稿しないことになっています.ですから心理学の定義も概論も特定の立場に偏らない,「一般的にうけいれられ」ている記述を心がけるべきでしょう.しかし現在の心理学は行動主義の影響を受けているわけですから,心理学の専門家が中立的な記述と考えても,Kazu 62さんは行動主義的と思われるかもしれません.

最後に気になる点について二つほど質問させてください.

  • 投稿された概論中でのフロイトの記述に私は特に大きな問題は感じませんでしたし,いまどきフロイトに言及しただけで目くじらを立てる心理学者がどれほどいるのか疑問です.それで上記ノート中で「現在の心理学として完全に否定しているフロイトの見解」とされているのは何か根拠または出典があるでしょうか.精神分析の分野に詳しくない者としては判断しかねるのですが,前出『心理学の基礎知識』(p.9)で詫摩武俊先生は「フロイトの考えが臨床心理学や人格心理学の領域で高く評価され,重要な位置をしめるようになったのは,それほど古いことではないのである.」としています.つまりこれによると,短くても最近30年はフロイトの考えは心理学に受け入れられていることになるのですが,どうでしょうか.
  • もうひとつは個人的に興味のある事項なのですが,投稿された概論中では「ヴィルヘルム・ヴントは、実験によって心の複雑な構造を個々の要素に還元することを試みた。」とされています.しかし,ヴントは実験室を開設した一方で,自身は哲学的傾向を強め,内観法を重視するようになったという趣旨の記述を文献で読んだ記憶があります.そして意識内容を要素に分析することを試みたのは,現在われわれが考えるような心理学的実験ではなく,主に内観法を通じてであったと理解しています.いかがでしょうか.

投稿された記述に根拠や出典があればご教示いただけると幸いです.--HIw 2009年10月2日 (金) 13:58 (UTC)[返信]

現行の導入部の定義と同様のものが,現在国際的に最も標準的な教科書と思われるAtkinson et al. (1996) Hilgard's Introduction to Psychology, twelfth edition, Harcourt BraceのChapter1のChapter summary (p.31) にありました.導入部の定義には説明の文言が付加されているので,本文に出典を追加するのは控えておきます.原文は以下の通りです.

"Psychology may be defined as the scientific study of behavior and mental processes."

先日探した時に見つけていれば前回・前々回のノートでの説明がもう少し簡潔に済んだと思われ,残念です.

一般の方が心理学に対して描いているイメージと実際の心理学で行われている研究には大きな開きがあることがよくあります.今後加筆される方には,心理学を専攻した人にはあたりまえなことであっても,できるだけ丁寧に出典を付けていただくようご協力お願いいたします.--HIw 2009年10月5日 (月) 13:34 (UTC)[返信]


ちょっと変な文章が時々追加されて編集合戦に近いことになっています。当人の会話ページにも書いてきましたが、みなさんもよろしければ議論に加わってください。

211.5.17.219さんの会話ページにてお返事させて頂きました。--Nasqn 2012年2月11日 (土) 13:55 (UTC)[返信]
Nasqnさんが指摘済みですが念のため。WP:RS#情報源によって百科事典は出典に利用可とされており、「出典のある情報(中略)が、要約欄に理由を書くことなく除去され」たのは白紙化荒らしです。「出典無効」「変な文章」と主張する211.5.17.219さんは「現存する百科事典よりも優れた記事を書こうという大望を」抱いているのですか?元よりWikipediaは真実や「厳然たる事実」を書く場所ではありません。--133.26.200.170 2012年4月17日 (火) 05:42 (UTC)[返信]


利用者‐会話:Nasqn のとおりです。量的に要約欄にはおさまらないので。出典として用いうる情報の集合は莫大であり、書きうるものを全部掲載したらパンクします。 既に会話ページで理由が書かれたので、もはや白紙荒らしとはいえないわけです。さらに

他の○○学のページに、評価が書かれるのが普通ですか

既にNasqnさんは納得されたように見えます。

あなたがNasqnさんと違って納得しない理由はなんですか。

こんにちは210.196.9.106さん。今回の件に関しまして、書き込みをさせて頂きます。
>書きうるものを全部掲載したらパンク
仰る通りです。記事の不適切な大きさは「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは紙製の百科事典ではありません」で禁じられています。しかし、「秀逸な記事」の中にはおよそサイズが100,000バイト、出典や脚注の数は90、文献の数は10以上という記事があります(「日本語」・「キリスト教」などはさらに長大です)。「心理学」の記事は現時点で22,997バイト(履歴を見ると多い時でも30,000バイトに達したことがありません)であり、出典や脚注は4、文献は4です。仮に秀逸であると見なされる大きさを上記の「秀逸な記事」であるとしても、「心理学」の記事は70,000バイトの余裕があります。
>既に会話ページで理由が書かれたので、もはや白紙荒らしとはいえない
Wikipedia:荒らし#白紙化」には「リンクや編集の要約欄で除去に対する明確な理由が示されている場合は、荒らしとは見なされません」とあります(会話ページは含まれておりません)。
>他の○○学のページに、評価が書かれるのが普通ですか
Wikipedia:秀逸な記事」より、記事の品質は百科事典の記事としての「質」・「量」・「書式」に問題がないかで決定されます(普通さは無関係です)。なお、「Wikipedia:中立的な観点」には「事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな」とあります。
>既にNasqnさんは納得されたように見えます
経過をまとめれば、以下のようになります。「211.5.18.4(211.5.17.219)さんの2011年10月1日 (土) 12:34における取り消し」は、「Wikipedia:信頼できる情報源」に含まれる百科事典からの情報を除去していました。また、下記の理由で「Wikipedia:荒らし#白紙化」に該当するため、白紙化と書かせて頂きました。
  • 「記事から全ての、あるいはまとまった部分の記述を理由もなく除去」した
しかし211.5.17.219さんはこの文章の「まとまった部分」という表現に疑問を提示されたため、こちらの理由も併記致しました。
  • 「出典のある情報(中略)が、要約欄に理由を書くことなく除去」された
そして2012年2月18日 (土) 06:36、編集の件とWikipediaのルールを211.5.17.219さんの会話ページでご説明し、お返事を待っておりました。すると133.26.200.170さんが文章を復帰し、210.196.9.106さんが再度それを除去し、このノートページに書き込みをなさったという次第です。
差し支えなければ、今回除去された文章を私が復帰する見通しを持っております。
なお、ノート(会話)ページへの投稿には末尾に署名が義務付けられています(Wikipedia:署名)。また応答コメントでは、相手方のコメントと区別しやすくするために、半角コロン (:) を挿入し"インデント(字下げ)の深さを変える"のが一般的です(Help:ノートページ#ページ上の話題への応答)。--Nasqn会話2012年5月1日 (火) 13:39 (UTC)[返信]

あなたの編集が、笑われていますよ。辞典に書いてあってもいずみの線は市営地下鉄という見解もあるなんて書いたらおかしいわけです。間違いが指摘されたらおとなしく引き下がるべきで、強行されればあなたご自身に不利な結果になりましょう。とくに精神分析学のくだりは噴飯物で、精神分析学の記事と矛盾してしまいます。同一辞典内で矛盾を持ち込まないよう。心理学の展望をお書きになりたければ、Leaheyとか読むんですね。邦訳もあります。買わなくても図書館等で読むことはできるはずなので。他の分野の編集までできなくなってしまうことを避けるためには、この分野の編集から手を引くか、この分野を真剣に勉強なさるか、どちらかしかないのです。--119.173.188.212 2012年5月3日 (木) 00:30 (UTC)[返信]

コメント コメント依頼から来ました。1)電子百科事典を出典とすることの可否について。まず検証可能な情報源です。次に著者が明確でなく一定の匿名性を持つ情報源です。評判が良いかもわかりません。しかし、百科事典である以上、監修又は著者の人選は行っていると考えられます。内容を担保する責任の所在は出版した企業にあると考えられます(免責事項により内容について担保していないなら話は変わります)。語弊を覚悟で言えば有力紙でない新聞(タブロイド紙など。好意的見方も、懐疑的又は否定的見方もあって当然と考えます)と同等の信頼性ではないでしょうか。2)記述自体について。「歴史的には一定の役割を果たしたが、現象学精神分析学精神医学の出現ないし革新、さらに生理学や行動工学の発展につれて急激にその有効性を失っていると見なす評価も存在する」という評価に関してであれば、「反論」に相当するような検証可能な出典を見出すのは難しくないのではないかと思いますが如何でしょうか。まず一点、両論併記をお考えください。3)本記事において心理学そのものに対する評価を記載すべきか否かについて。Wikipediaにおいて、○○については記載しない、とローカルルールを決めることは容易ではありません。しかし、両論あることが自明である場合、それは書くべきことなのでしょうか。心理学の現代的価値を肯定する人、否定する人は両方いるでしょう。例えば「キリスト教」という記事において「信ずる人も信じない人もいる」と検証可能な出典を伴って両論併記すべきでしょうか。その中の「復活」についても「奇跡」についても検証可能な出典を伴って両論併記すべきでしょうか。Wikipediaは編集者の記事に載せたい意志によって成り立ちますが、読者に対する利便性をも考慮することはできませんか。熟慮の上での議論をし、何がしかの合意に至ることを希望いたします。--ジャコウネズミ会話2012年5月6日 (日) 16:54 (UTC)[返信]

ジャコウネズミさんの意見が大変合理的で整然としていると思います。願わくば、Nasqnさんがそれを熟読され、趣旨を正確に理解するよう期待いたします。

  • マイペディアのサイトには、利用既約の「非保証」というところに「当社は、本サービス及びデータの内容の正確性、完全性、安全性、有用性について一切、保証しません。利用者自身の責任においてご利用願います。」とあります。
  • Nasqnさんは既に指摘されたことに、答えられる部分だけ答えて誤魔化しているように見えます。全部に答えもせず記述を復帰させるとは、どういうことでしょうか。
  • オバマの出生を疑うbirtherムーブメントというのがあり(英語版に詳しくあるはず)、当然それに対してしっかりとした反論があります。それはたとえ荒唐無稽でもムーブメントが大きくなってしまったから。しかし「オバマは金星人である」という主張がかりにどこかにひっそりあっても、それに対する反論を見つけるのは大変でしょう。同様に、精神分析や現象学の台頭で心理学が急速に意義を失っている、などというのはびっくりしてしまうほどの見当違いの文章であり(他に誰も言っていない)、それに対する反論など直接的なものはないでしょう。Nasqnさんは、「これがまともな見解であれば他に同様なことを言っている人がいるはずであるのでそれを示せ」との要求に全くこたえていません。
  • 比較的近い(ただしマイペディアと違って見当違いではない)意見として、既に脚注2「将来的には心理学は・・・・」というのがあります。両論記載され、これで十分、十二分と考えます。見当違いでない証拠に、これは私も他の人も除去していません。
  • お答えいただいてない一例は、生理学が重要性を増していると言うことは、「今後心理学の中心は生理心理学になる」という演繹もできるはずであり、マイペディアの論理展開のどこに根拠があるのか。
  • NatureやScienceに毎年心理学の論文が出るが、精神分析の論文など見たことがない。精神分析は疑似科学として、アメリカでは訴訟も多数おきている。マイペディアと正反対ではないか。
  • 近年急速に、とのことだが、一体いつの話(例:1980年代から、とか)なのか。これらに答えられもせず、編集にかかわるのは無責任ではないですか。

まだ書き足りないくらい(それほど見当違いの記述)ですが、まとめとしては、ジャコウネズミさんの言うとおり、両論あることが自明で書く意義がなく、かつ当該記述に比較的近く、でも見当違いでない記述が脚注に既にある。これらの根拠を持って、マイペディアの記載に意義が皆無であると判断いたしております。以上の発言はIPユーザ210.196.13.103氏による2012年5月7日 (月) 11:33‎ (UTC) によるものです。--ジャコウネズミ会話2012年5月8日 (火) 07:30 (UTC)[返信]

こんにちは、Nasqnです。ジャコウネズミさんのご助言に依拠し、この「評価」は記載しないということでお願い申し上げます。コメントをありがとうございました。--Nasqn会話2012年5月7日 (月) 13:25 (UTC)[返信]
不思議なことに、Nasqnさんの姿勢は応対者がIPユーザの場合とログインユーザの場合とで多大に異なるように見えるのですが。--133.26.200.170 2012年5月8日 (火) 06:39 (UTC)[返信]

参照方法[編集]

文献リストに{{Cite book|ref=harv}}を摘要したので{{Harv}}や{{Sfn}}などを使って本文と関連付けてください。--61.125.223.2 2012年8月29日 (水) 14:33 (UTC)[返信]

単に追加されたアンディ・ベルの著作を削除しました。本文にて使われているか不明の3冊、文章の変更なく追加されているため削除[1][2]。--タバコはマーダー会話2015年6月28日 (日) 18:53 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

心理学」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月4日 (水) 16:07 (UTC)[返信]