ノート:小野田寛郎

コメント[編集]

  • 生まれた当時は海南市ではなく内海町
  • 冒頭の陸軍中野学校二俣分校卒とあるが、学歴のように表示しても良いものか
  • 父、種二郎は和歌山県議で教員・記者の経験を持つ。
  • 日本陸海軍総合事典では寛郎は四男
  • 中学は海南中学で昭和14年7月卒業、田島洋行漢口支店に昭和14年4月から昭和17年8月まで勤務
  • 昭和19年1月、久留米第一予備士官学校。(自然塾は誤り)

--代言人(!) 2006年3月23日 (木) 16:36 (UTC)[返信]

任務解除の命令がきていないのだから島田庄一元伍長小野田元少尉小塚元一等兵と元をつけるのはおかしいのでは?

軍国主義の亡霊だの、権化だの記するのは適切ですか?偏向思想で中傷してもいいのでしょうか。--Oresama777 2009年1月8日 (木) 06:52 (UTC)[返信]

Can anyone tell me what is this man's name pronounced like? --2e1a0 2010年5月13日 (木) 14:41 (UTC)[返信]

小野田 寛郎(おのだ ひろお, Onoda Hiroo). First name is 寛郎(ひろお, Hi ro o). Family name is 小野田(おのだ, O no da). --Chichiii 2010年5月13日 (木) 14:46 (UTC)[返信]

軍歴について[編集]

記事本文中において 

> 情報将校として育成され「卒業」ではなく「退校命令」を受領する

との記述があります。この表現では読む人に何やら特殊な事情があるような誤解を招くおそれがあると思います。戦前・戦中の官報を見ればあきらかですが、日本陸軍では「退校」とは学校で教育を修了した者に対してよくある措置で、「卒業」とほぼ同義と考えてよいようです。すくなくとも陸軍中野学校や小野田寛郎見習士官の任務が特殊であったから「退校命令」を受領したとは言い切れませんから、上記の表現をもう少し淡白なものにして、「退校」については脚注で補足することにします。--220.102.104.34 2013年3月7日 (木) 02:19 (UTC)[返信]

中野学校は課程修了者に対して卒業とはせず、退校としたそうですから、わかりやすく説明しておきました。--Chichiii 2013年3月9日 (土) 05:14 (UTC)[返信]
>中野学校は軍歴を残さないため卒業ではなく退校を使用
これはソースがあるんでしょうか? ともかく「退校」は陸軍のいろいろな学校で取られている措置のようですから(上記のリンクを追っていって見ていただきたいですね)、まるで中野学校だけが特別であると取れるような表現は好ましくないと思いますがいかがでしょう。--220.102.104.34 2013年3月10日 (日) 17:58 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます。記憶を頼りに書いたので若干異なっていたようです。調べてみたところ次のような記述がありました。「卒業」でなく「退校」にされたのは、「中野学校出身者」という経歴を消したかったからだろうと小野田は言う。(p54『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月 より引用)。他の学校でも退校という言葉が使われているのでは特別性を感じさせる表現は確かに適切ではないかもしれませんね。--Chichiii 2013年3月11日 (月) 13:15 (UTC)[返信]

修復のお願い[編集]

2014年1月17日[1]で地味に荒らされているような気がします。--Akiyama(tentative)会話2014年8月28日 (木) 09:16 (UTC)[返信]

週刊現代[編集]

[2]週刊現代に基づく加筆がありましたが、情報源の信頼性の点で、これ単独では事実としての記述の典拠には不十分だと思います。 --2001:268:C083:647:3197:CF8F:76CF:D07F 2022年1月30日 (日) 23:12 (UTC)[返信]