ノート:井伊直弼

一期一会[編集]

「有名な『一期一会』・・」のくだりですが、「一期一会」は山上宗二著の山上宗二記が初見、とする説が有力のようですので、削除しました。--日陰猫Joga 2006年3月31日 (金) 04:45 (UTC)[返信]

山上宗二記には、「一期に一度」とはありますが、四字熟語「一期一会」という表記は見あたりません。--119.231.129.28 2015年9月16日 (水) 13:10 (UTC)[返信]

彦根藩第16代藩主という記述について[編集]

井伊直政の長男、直勝(直継)を2代藩主と数えるかどうかで異同があるようです。関連項目を見てもまちまちです。どなたか詳しい方の御意見を伺いたいのですが。--Easyman 2007年7月22日 (日) 09:16 (UTC)[返信]


『新修彦根市史2巻 通史編近世』(2008年)66頁では、井伊直継を2代藩主とし、2回藩主を務めた人物は2回と数えて、直弼は「16代藩主」としている。http://www.city.hikone.shiga.jp/0000005811.html

一方、彦根城博物館では、江戸時代以来、親しまれてきた数え方として、直継は含まず、2回藩主を務めた人物も一人一代と数え、直弼を「13代当主」としている。 http://hikone-castle-museum.jp/history/faq.php

少なくとも、15代藩主という数え方は見あたらない。--119.231.129.28 2015年9月16日 (水) 13:05 (UTC)[返信]

「茶歌凡(チャカポン)」のあだ名[編集]

部屋住み身分の頃のあだ名は「茶歌凡(チャカポン)」と言われていますが、その当時、本当にそのように言われていたとはわからないのではないかと思います。茶歌凡の意味には、仕事をしないで遊んでいる人を馬鹿にする意味が込められており、藩主の子息に使うあだ名ではないはずです。--119.231.129.28 2015年9月16日 (水) 13:37 (UTC)[返信]