ノート:エドマンド・バーク

エドマンド・バーク[編集]

日本での紹介状況について、間違いを正します。バーク著作集についても言及の予定です。--以上の署名のないコメントは、59.129.65.242会話)さんが 2005-08-29 16:21:32 (UTC) に投稿したものです。

英語版との参照[編集]

英語版に比べて、日本語版の情報量は少ないです。彼は英国の哲学者ですので不自然なことではないですが、大きなポイントとしては1.自由主義者としての側面2.騎士道御宅(?)としての側面3.歴史に関する側面の要素をもっと付け足しても良いと思います。英語版を参照することも必要かと。

英語版の方がずっと優れています。英語版をそのまま日本語に翻訳したほうが良いバーク解説になります。--Iwanade Akira会話2023年6月21日 (水) 08:10 (UTC)[返信]

守旧派[編集]

コチコチの守旧派みたいな文脈になっていましたので大胆に編集してみました。ぐぐっただけ投稿者にとってはテーマがおおき過ぎるので詳しい方の編集に期待。--大和屋敷 2010年5月17日 (月) 06:11 (UTC)[返信]

時効の国体[編集]

prescriptive Constitutionを「時効の国体」とありましたが、どの翻訳書による邦訳でしょうか?ちょっと「ぐぐった」程度では判然としませんでしたので、立憲主義的解釈によるところのprescriptive~慣習・不文(法)、 descriptive~明文(法)に準じて「慣習法」としておきました。文献情報提示のうえ適宜差換えて頂ければ有り難いです。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2010年5月17日 (月) 12:27 (UTC)慣習法= Customと競合するので、もうちょっと工夫しました。憲法習律(Convention)とも邦訳競合するし、出典がないままの直訳はどうも苦しい・・--大和屋敷 2010年5月17日 (月) 16:05 (UTC)[返信]

  • 「フランス革命の省察」(みすず書房1989.6)「金子賢太郎「政治論略」研究」(日大精神文化研究所)「バークの思想と現代日本人の歴史観・保守改革の政治哲学と皇統継承の理念」(御茶の水書房2002.8)の3冊を読んだのですが「時効の国体」とズバっと記述してある箇所が発見できませんでした。見落としている可能性や他の書籍で使用されている可能性もありますが、Wikipedia:検証可能性のルールもありますので、「金子賢太郎「政治論略」研究」の記述にしたがい「時効の憲法」を邦訳として使用しました。「金子堅太郎「政治論略」研究」付論はprescriptive Constitutionを真正面から論じておりますので参考になると思います。どうしても悪魔の証明になってしまいますので、「時効の国体」としたい方は明確にどの書籍の何ページに記述してある、と指摘して頂きます様お願い申し上げます。WIkipediaだけにしかない術語つかって恥かかされるのイヤヤ・・・--大和屋敷 2010年7月31日 (土) 06:37 (UTC)「国体」については「明治憲法の思想: 日本の国柄とは何か 八木秀次(PHP出版)」に「欧米に国体に似た文字があるかと言えば、強いて言えば、フランス革命がイギリスにも影響を及ぼし、イギリスもまた共和政体に変更すべしという議論があったときにエドマンド・バークが「イギリスの政体は君民共治である。君民共治はイギルスの基礎的政治の原則(Fundamental Political Principle of England)である・・・」と主張した。このバークのいう「基礎的政治の原則」という文字が、やや日本の国体に似ているように思う」(P.123)とあります。また同書同ページには伊藤博文が「憲法制定は国体に影響するものではなく政体を変更するものである」として植木らの自由民権運動に決着をつけた云々との記述もあります。--大和屋敷 2010年7月31日 (土) 06:56 (UTC)[返信]

一意見[編集]

エドマンド・バークに関するこの記事は思想と比較して、生涯、アメリカ独立とフランス革命を除く歴史的な背景についての記述が乏しいようです。

また、参考文献に、反共主義の立場で哲学の成否を論じる保守系の著述家、中川八洋氏による不正確で非学問的な著作が掲載されており、バークの思想について政治的バイアスを含んだ記述があることが憂慮されます。自明のことですが、バークは腐敗した貴族支配、産業革命による資本主義的搾取の拡大、過酷なアイルランド支配が継続した時代の人物で、中川八洋氏や西部邁氏が敵視する共産主義(マルクス主義)が登場する以前、民主主義と民族解放と女性解放の実現以前の人物です。

したがって、現代の反共主義や反ポピュリズム、反平等主義、反フェミニズムの尺度でバーク思想の紹介をしても、そういった記述は歴史学的に無意味で単なる時代錯誤でしかないと考えます。主だった記述はバーク思想を礼賛するものになっていますが、ブリテンの君主制と議会政治には腐敗した数多くの専制的制度が存在しており、これらを支持したバーク主義にもフランス革命と同等に功罪があり、バークと彼を取り巻くブリテン王国での立場から来る欠点もあるが、これらを歴史的に吟味しないのは中立性に欠く視点だと見ています。

バークの日本での影響面にのみ力点を置いて場合、歴史的考察をせずに、江戸時代や幕末の思想家の哲学によって政治や社会・経済を論じるほど非学問的で時代錯誤な内容となっています。奴隷制廃止・カトリック解放・選挙法改正問題に関する記述を増やすべきでしょう。

ポスト冷戦時代の今日においても思想に関する記述も重要と考えますが、冷戦期のイデオロギー闘争的な歴史観に立つのではなく、あくまでも中立の立場を維持しながら科学的な視点で、人物と思想、ブリテン諸島(イングランド・ウェールズ・スコットランド・アイルランド)史における歴史的位置づけを客観的に記述すべきと考えます。つきましては、保守系著述家による実証性の欠如した主観による記述とその参照を削除して内容の再編集を進めるといった抜本的なレベルで編集の方針の再検討を試みて頂きたい。どうぞ、政治的立場を離れてWikipedia:中立的な観点よりご検討頂くようにお願いします。Libman1225会話2017年12月11日 (月) 00:46 (UTC)[返信]

  • 博士号取得論文でちょうどタイムリーなものもあるようなので[1]参考にされるなり、他の文献から引用されるなりして執筆頂ければ大変有意義だと思います。思想論に偏り過ぎており、もうすこし事歴の情報が欲しいところでありますが、ありそうでなかなか無い(´・ω・`)--大和屋敷会話2017年12月10日 (日) 20:31 (UTC)[返信]
  • 大和屋敷氏、ご返答ありがとうございます。

ご助言に従って、紹介していただいた最新研究にアクセスしてみます。

やはり、バークの生涯は英語文献に当たらないといけないようですね。 それにしても日本のバーク論は思想一辺倒になりがちなようです。お勧め頂いた研究論文はさておき、本稿の参考文献の一覧を見るに、学術的な視覚が不十分な気がしてなりません。一番残念なのは、バークという人物が中川八洋氏や西部邁氏、八木秀次氏のような軽薄な保守思想家に利用されがちで、十分な歴史研究がおこなわれず、未だに、歴史的視点という基本的な視点が軽視されているという点です。私は、哲学史についても政治史についても、こういった衒学者を乗り越えて着実で客観的な学術研究を進展させねばならないと考えます。

バークに関する日本での歴史研究が育成されるのを切に願っています。私も本稿、そして「保守」、「保守党 (イギリス)」というページには、強い関心を抱いているので、加筆という形で何かしら貢献できればと思っています。今後、何かとお世話になると思います。よろしくお願いします。Libman1225会話2017年12月13日 (水) 15:21 (UTC)[返信]

「時効の憲法」について[編集]

  • prescriptive Constitutionの邦訳について編集がありましたが、この邦訳については「外部の」「信頼できる邦訳」をわざわざ調査して編集した経緯がありますので、wikipedianが任意に原意を勘案して置き換えるのではなく「他の信頼できる」「外部」からの引用を別途「加筆」する方向で編集して頂くようお願いいたします。--大和屋敷会話2018年12月11日 (火) 04:22 (UTC)[返信]