ノガイ族

ノガイ族
Ногайцы

ノガイ人の旗
ノガイ人の女性
総人口
約73,700人
居住地域
ダゲスタン共和国北部のテレク川クマ川間の地域など
言語
ノガイ語ロシア語
宗教
イスラム教スンナ派

ノガイ族(Ногайцы)は、カフカスに居住するテュルク系民族。

概要[編集]

1989年時点での人口は約73,700[1]から75,000[2][3]。人口のうち約半分はダゲスタン共和国北部のテレク川クマ川間の地域に居住している[3]テュルク諸語[2]ノガイ語を話す。

かつてジョチ・ウルスを構成した遊牧民族の末裔であるとされる。言語系統はテュルク系に分類され、クミク族に次ぐ規模のグループを構成している。現在、そのほとんどは牧畜農耕を主とした生活を営んでいる。

歴史[編集]

14世紀後半にジョチ・ウルスの有力者であるエディゲによって独立国家ノガイ・オルダが建国された。ノガイ族はこの国家を構成する主要民族で、ヤイク川(現ウラル川)下流の主都サライジュク英語版を拠点にアラル海カスピ海において商業活動を活発におこなっていた。

16世紀にはモスクワカザンに毎年大量に輸出していたという。16世紀後半、カザン・ハン国アストラハン・ハン国が滅亡すると、大ノガイロシア語版Great Nogai HordeGreat Tartary)、小ノガイロシア語版Küçük OrdaLesser Nogai HordeLittle Tartary)、アルティウルAltiul Ordası)の3つのオルダに分裂した。その後、1634年カルムイク族侵攻に伴いヴォルガ川南方へと移住している。18世紀末から19世紀にかけてロシア帝国の支配下に置かれ、一部はクリミア・ハン国の併合(1783年)、コーカサス戦争1817年 - 1864年)末期のチェルケス人虐殺後に行なわれたムスリム住民の人口移動トルコルーマニアへと移住させられた[4][1]。19世紀に、アストラハンクリミアのノガイはヴォルガ・タタール人に同化した[5]1917年ロシア革命までは遊牧民的な生活を送っていたが、以降はほとんどが定住している[2]

北カフカースに居住するノガイは、カラ・ノガイ(ダゲスタン共和国)、アチクラク・ノガイ(スタヴロポリ地方チェチェン共和国)、クバン(アク)・ノガイ(カラチャイ・チェルケス共和国)の3グループに分かれ、それぞれで差異の大きい方言が話されている[1]。グループは内部でさらにいくつかの部族に分かれ、いずれも結束が強い[1]

文化[編集]

多くのノガイ族は、イスラム教スンナ派を信仰している[1][2]

16世紀からノガイにアラビア語を使用した文語を教授する運動が行われ[6]18世紀より彼らはノガイ語をアラビア文字で表記していたが、1928年からラテン文字1938年以降はキリル文字で表記している[1]。現在の文語は、カラ・ノガイ方言が元になっている。

ノガイ・オルダの建国者であるエディゲとジョチ・ウルスのトクタミシュの戦いが描かれている、15世紀前半の叙事詩エディゲイ』は、テュルク系民族の民族的遺産として知られている。

人種[編集]

モンゴロイドをベースにコーカソイドの血も混じっている混合種族であるが、モンゴロイドの要素が濃厚である。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 野坂「ノガイ」『世界民族事典』収録
  2. ^ a b c d 北川「ノガイ[人]」『新版 ロシアを知る事典』収録
  3. ^ a b アルメスト『タイムズヨーロッパ民族事典』、524-525頁
  4. ^ アーカイブされたコピー”. 2009年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年12月29日閲覧。 Yale University paper
  5. ^ アルメスト『タイムズヨーロッパ民族事典』、525頁
  6. ^ アルメスト『タイムズヨーロッパ民族事典』、526頁

参考文献[編集]

  • 北川誠一「ノガイ[人]」『新版 ロシアを知る事典』(平凡社, 2004年1月)
  • 野坂潤子「ノガイ」『世界民族事典』収録(弘文堂, 2000年7月)
  • フェリペ・フェルナンデス=アルメスト編『タイムズヨーロッパ民族事典』(木畑洋一訳, 東洋書林, 2005年6月)

関連項目[編集]