ノヨン・オール

ノヨン・オールモンゴル語: Ноён уул)またはノイン・ウラとは、モンゴルウランバートル北方、トゥブ県にある山で、西暦紀元前後の匈奴古墳群によって知られる。

遺跡の概要[編集]

ノヨン・オールの「ノヨン」は領主、「オール」は山を意味する[1][2]

ノヨン・オールには200を越える古墳群があることで知られる[3]。古墳群には規模の大きな方墳(日本でいう前方後方墳の形)が多く含まれている[4]

主な出土遺品には、青銅製容器・装身具・玉器・馬具と車蓋などその装具類がある。漢の遺物も多く出土しており、漆器には建平5年(紀元前2年)の銘があった[3][5]。絹織物も多数出土した。一方、棺の下に敷いた毛氈や壁飾りの装飾はスキタイサルマタイの文物の特徴を持つという[3]

ノヨン・オール遺跡は1924年から1927年にかけてピョートル・コズロフ率いるソ連の探検隊によって調査された。出土品はエルミタージュに集められたが、中国製品が多かったために、中国考古学に通じた梅原末治が研究に参加した[6]。ところがその後、研究者の多くがスターリン大粛清の犠牲となり、報告書は長く刊行されなかった。そこで、梅原は日本で『蒙古ノイン・ウラ発見の遺物』(東洋文庫1960)を刊行し[6]、その後ソ連でも1962年にセルゲイ・ルデンコ(考古学者)ロシア語版によるこの古墳の研究書が出版された。

1950年代にはモンゴル人研究者による発掘も行われ[7]、2000年代には再びロシアとモンゴルとの共同発掘調査が行われた[8]

脚注[編集]

  1. ^ 林(2007) p.283
  2. ^ 「ノヨン・オール」はモンゴル語。「ノイン・ウラ」はそのロシア語読み。したがって、どちらの読みも正しい。
  3. ^ a b c 「ノイン・ウラ」『アジア歴史事典』 7巻、平凡社、1961年、292頁。 
  4. ^ 林(2007) pp.285-287
  5. ^ 林(2007) pp.287-288
  6. ^ a b 林(2007) p.284
  7. ^ 林(2007) p.285
  8. ^ 愛媛大学シンポジウム

参考文献[編集]

  • 梅原末治『蒙古ノイン・ウラ発見の遺物』東洋文庫、1960年。 NCID BN07651046 
  • 林俊雄『スキタイと匈奴:遊牧の文明』講談社〈興亡の世界史02〉、2007年。ISBN 9784062807029 
  • 「匈奴」(草原考古学会編『ユーラシアの大草原を掘る:草原考古学への道標』勉誠出版〈アジア遊学238〉、2019年。ISBN 9784585227045 )

外部リンク[編集]