ネクロブッチャー

ネクロブッチャー
Necrobutcher
2022年5月
基本情報
出生名 ヨルン・ストゥッベルド
Jørn Stubberud
別名 ネクロ (Necro)
生誕 (1968-04-13) 1968年4月13日(56歳)
出身地  ノルウェー オスロ
ジャンル ブラックメタル
デスメタル
スラッシュメタル
職業 ベーシスト作曲家
担当楽器 ベース
活動期間 1983年 -
共同作業者 メイヘム
Checker Patrol
Kvikksølvguttene
L.E.G.O
Musta
Septic
トーケ
ブラッドソーン
Fleurety
Corpus Christii
著名使用楽器
Gibson Les Paul Bass
ESP EC-104

ネクロブッチャー (Necrobutcher、本名:ヨルン・ストゥッベルド (Jørn Stubberud)、1968年4月13日 - )は、ノルウェーヘヴィメタルミュージシャンメイヘムベーシストとして著名。

概要・背景[編集]

メイヘム - フィンランド公演 (2008年8月)

1984年のメイヘム結成時[注釈 1]のメンバーである。この時のメンバーは、ネクロブッチャー (B)、デストラクター (後のユーロニモス) (Vo, G)、マンハイム (Ds)の3名である[1]。現在のメイヘムでは、ネクロブッチャーが唯一のオリジナルメンバーである[2]

メイヘム結成後、活動を続けるものの1991年に、ボーカリストデッド自殺した後、メディア警察による警告などに葛藤し、メイヘムを脱退する。この脱退について、ユーロニモスがデッドの自殺の要因である精神状態の悪化の一因であったことと、ネクロブッチャーがデッドと親しかったこととが理由ではないかとも言われている[3]。ネクロブッチャー脱退後、ヴァルグ・ヴィーケネスがセッションベーシストとして、メイヘムに参加するようになる。しかし脱退から約2年後の1993年8月10日、ユーロニモスがヴァルグ・ヴィーケネスに刺殺されるという事件が起こり、メイヘムは解散する。

1994年に、ヘルハマー (Ds)を中心にメイヘムが再結成された際、ベーシストとしてメイヘムに復帰する。これ以降、メイヘムで活動を続けている。ただし、4thアルバム『Ordo Ad Chao』では2曲のみの演奏に留まり、残りの楽曲ではブラスフェマーがベースを兼任した[4]これは、ネクロブッチャーがブラスフェマーの作曲した曲のベースラインを十分に練習する時間が無かったためである。[要出典]

メイヘムの他に、ネクロブッチャーはChecker Patrol、Kvikksølvguttene、L.E.G.O、Musta、Septicといったバンドに参加している。しかしながら、これらのバンドでの活動実績は乏しく、Kvikksølvgutteneで1枚のアルバム及びEPをリリースした程度である。また、ゲスト参加ではあるが、トーケのシングル『Swine of Hades』やブラッドソーンの3rdアルバム『Under the Reign of Terror』等も参加している[5]

ネクロブッチャーの背中には、左肩から右肩にかけてメイヘムのロゴタイプ入れ墨が彫られている。

注釈[編集]

  1. ^ メイヘムというバンドは1984年以前に存在し、そちらにギタリストオイスタイン・オーシェトが参加していたが、そちらの解散後、オーシェトを中心に別メンバーで結成されたのが1984年である。

脚注[編集]

  1. ^ 田村直昭 (1993). 狂魔密儀. De Mysteriis Dom Sathanas (CDライナー). メイヘム. 日本東京都千代田区: ディスクユニオン. ANTI-MOSH-006。
  2. ^ Huey, Steve. “Biography: Mayhem”. Allmusic. 2010年3月9日閲覧。
  3. ^ 宮坂聖一 (2000). グランド・デクラレイション・オヴ・ウォー. Grand Declaration Of War (CDライナー). メイヘム. 日本東京都新宿区下落合: ベル・アンティーク. MAR 00578。
  4. ^ 山崎智之 (2014). エソテリック・ウォーフェア~密儀戦乱~. Esoteric Warfare (Media notes). メイヘム. 日本東京都渋谷区: ケイオスレインズ. p. 3. VOCD-10376。
  5. ^ Overview: Under the Reign of Terror”. Allmusic. 2010年3月9日閲覧。

外部リンク[編集]