ニコ・ヒュルケンベルグ

ニコ・ヒュルケンベルグ
Nico Hülkenberg
ニコ・ヒュルケンベルグ
(2019年)
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1987-08-19) 1987年8月19日(36歳)
ニコラス・ヒュルケンベルグ
Nicolas Hülkenberg
出身地 西ドイツの旗 西ドイツ
エメリッヒ・アム・ライン英語版
基本情報
略称表記 HUL
F1での経歴
活動時期 2010,2012-2019,2020,2022-
過去の所属チーム '10 ウィリアムズ
'12,'14-'16 フォース・インディア
'13 ザウバー
'17-19 ルノー
'20 レーシング・ポイント
'22 アストンマーティン
所属チーム '23- ハース
車番 27
出走回数 209 (206スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 533
ポールポジション 1
ファステストラップ 2
初戦 2010年バーレーンGP
2023年順位 16位 (9ポイント)
(記録は2024年第3戦オーストラリアGP終了時)
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ル・マン24時間での経歴
2015
チームポルシェAG
最高位1位 (2015)
クラス優勝1 (2015)

ニコラス・"ニコ"・ヒュルケンベルグNicolas "Nico" Hülkenberg, 1987年8月19日 - )は、西ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州クレーヴェ郡エメリッヒ・アム・ライン出身のレーシングドライバーニコ・ヒュルケンバーグとも表記されることもある。ニックネームはハルク[1]。フジテレビF1中継でのニックネームは「皇帝チルドレン」。身長184cm[2]。実家が運送業のため大型自動車運転免許を所持している[3]

初期の経歴[編集]

カート[編集]

10歳のときにレーシングカートレースを開始[4]。2002年よりドイツ・ジュニアカート選手権に出場すると、翌2003年にチャンピオンを獲得。2004年までカートに参戦した[5]

フォーミュラ・BMW[編集]

2005年にシングルシーターレースにステップアップ、ドイツ・フォーミュラ・BMWのジョセフ・カウフマン・レーシングから参戦しシリーズ・チャンピオンを獲得。しかし、このチャンピオンはセバスチャン・ブエミがブレーキテストをしたとしてシーズン終了後に裁定によりペナルティを受けた為、獲得したチャンピオンであった[5]

フォーミュラ3[編集]

2006年、ドイツF3にジョセフ・カウフマン・レーシングから参戦して5位(1勝)で終えて、2007年からユーロF3ASM・フォーミュラ3(ASM Formule 3 ※現在のART Grand Prix)から参戦し第3戦ノリスリンクではグリッド18番目から優勝し、第6戦ザントフォールトでは雨のレース、第7戦ニュルブルクリンクで優勝しシーズン3位に終えた[6]。また同年のマスターズF3で優勝をしている[7]

2008年もユーロ・F3のARTグランプリから参戦しチャンピオンに輝いた。

A1グランプリ[編集]

ウィリアムズをテスト走行するヒュルケンベルグ(2008年スペイングランプリ

2006-2007A1グランプリにA1チーム・ドイツからクリスチャン・ベトリスと共に参戦し、ヒュルケンベルグは20レース中9勝をあげドイツチームに128ポイントを獲得し2位との差35ポイントをつけドイツチームに優勝をもたらした[5]

ヒュルケンベルグはミハエル・シューマッハなどのマネージャであるウィリー・ウェーバーのマネージメントをこのころから受けることになった。これは2006年末にA1のドイツチームを運営していたウェーバーが初戦のドライバーとしてオファーしたのが切っ掛けだった。

GP2[編集]

ARTグランプリからGP2に出走する。(2009年モナコグランプリ

2009年はARTグランプリからGP2の本シリーズから出場する予定だったが急遽、アジアシリーズに第3戦目、第4戦目の2戦4レースのみ出場し2回のポールポジション、1回の優勝をした。

GP2本シリーズでも活躍を見せ、母国レースとなったニュルブルクリンクではネルソン・ピケJr.以来GP2史上2人目となるフルポイントレース(第1レースでポールポジションファステストラップ、優勝を独占し、リバースグリッドでのスタートとなる第2レースでも優勝とファステストラップを獲得。GP2では20ポイント獲得できる)を達成した。そして第9戦モンツァでGP2チャンピオンを獲得した。最終戦を残してのチャンピオン獲得はGP2史上初めてとなる。

F1[編集]

ウィリアムズ[編集]

ウィリアムズ・FW32をドライブするヒュルケンベルグ。(2010年カナダグランプリ

マネージャーのウィリー・ウェーバーはF1でのテストドライブを行うためにルノーF1フラビオ・ブリアトーレに接触していたが、2007年12月4日にヘレスウィリアムズからテストする機会を得て[8]、2007年12月13日にウィリアムズのテストドライバーとなることが発表された[9]。これにより、2008年及び2009年はF3やGP2と平行してウィリアムズのテストドライバーを務めた。

2010年より同チームのレギュラードライバーに昇格[10]。チームメイトは大ベテランのルーベンス・バリチェロ。第3戦マレーシアGPでは10位入賞を果たし、F1で初ポイントを獲得した。その後はしばらく入賞がなかったが、第10戦イギリスGPで10位入賞を果たすと、第12戦ハンガリーGPでは自己ベストの6位でフィニッシュした。さらに、第18戦ブラジルGPにて予選で雨が降り出す前に好タイムを記録する幸運により自身初のポールポジションを獲得した。所属するウィリアムズにとっては2005年ヨーロッパGP以来5年ぶり、ルーキードライバーのPP獲得は2007年ルイス・ハミルトン以来3年振りの快挙である。ただし、決勝は8位入賞で終わった。シーズン後半は時折バリチェロに肉薄するパフォーマンスを見せることもあったが、8月下旬ごろから、2010年シーズンいっぱいでウィリアムズから放出されるのではないか、という報道がなされるようになった[11][12][13]。その背景としてウィリアムズは2010年末で複数の主要スポンサーの撤退が重なり2011年シーズンの資金が不足していた[14]。その為、最終的には持ち込み資金が豊富なパストール・マルドナドにシートを奪われる形になり、2010年限りでウィリアムズを離脱することを11月15日に発表した[15]

フォース・インディア(第一期)[編集]

2011年シーズンに所属するチームとして、フォース・インディアフェラーリなどが噂になった[16][17]。また、ウェバーがヴァージンから接触があったことを明らかにした[18]。最終的に、フォース・インディアにリザーブドライバーとして加入し[19]、シーズンを通して金曜フリー走行1回目に出走した(ベルギーGPはフリー走行2回目に出走。モナコ、シンガポール、韓国、インド、アブダビの各GPでは出走無し)。 またこの年はF3時代からマネージャーだったウィリー・ウェーバーとの契約を終了し、今後は自身でマネジメントを行うことになった[20]

2012年シーズンエイドリアン・スーティルがチームから離脱し、レギュラードライバーに昇格した[21] 。 開幕戦オーストラリアGPでQ3進出の9番手となったが、決勝はスタート時の接触事故でリタイアとなった。第2戦で9位入賞を果たすが、シーズン前半となる第10戦までの成績は第8戦の5位入賞を筆頭に10戦中計5回入賞にとどまった。母国である第10戦ドイツGPでは予選4番手でスタート時より順位を落とす形で9位入賞。第12戦ベルギーGPでは自己最高位となる4位で完走。特に最終戦ブラジルGPでは、難しい路面コンディションに翻弄されるドライバー達の中で、ドライタイヤで走り続けることを選択すると、ジェンソン・バトンと共に争いながら3位以下のドライバーを一時は40秒近くも引き離し、優勝も射程にとらえた。SC導入によりそのリードを失ってしまうものの、レース再開後も集中力を切らさず首位争いを演じた。しかしレース終盤に濡れた路面に足を掬われルイス・ハミルトンと接触。彼をリタイアに追い込んでしまい、ドライブスルーペナルティを受けたことで優勝争いから脱落。最終的に5位でチェッカーを受けた。後半戦は第12戦の4位を筆頭に10戦中入賞計6回を記録し、ランキングはディ・レスタを上回る11位を記録した。

ザウバー[編集]

ザウバー・C32をドライブするヒュルケンベルグ(2013年ドイツグランプリ

2013年シーズンにはフェラーリへの移籍話なども挙がっていたが、最終的にザウバーから参戦した。

チームは前年は表彰台を計4回獲得する活躍を見せたが、今季はチームの財政難が表面化。現に給料未払いが発生するなど、移籍の決断が正しかったのか問われる状況になった。成績のほうも、サマーブレイク前の第10戦までは第2戦こそ8位入賞を記録したが、それ以外の入賞は10位入賞3回のみとなった。サマーブレイク後の後半戦はマシン開発に成功し、入賞圏内での順位争いができるようになり、韓国GPでは決勝4位を記録し、後半戦の成績だけで前半戦の成績を超える活躍となった。ただしチームの資金不足は深刻なままであり、前年のフォースインディアに続いて所属チームが資金難となってしまった。

フォース・インディア(第二期)[編集]

フェリペ・マッサの後釜としてフェラーリのドライバー候補になったものの、最終的にキミ・ライコネンがシートを得た[22]。次にロータスと契約間近といわれながら、チームと投資家との交渉が難航して交渉が進展しない状況が続いた。最終的にはフォース・インディアに戻ることになった[23]

2014年[編集]

2014年、開幕戦から10戦連続入賞を記録し、特に序盤3戦が終わった時点ではドライバーズポイントではロズベルグ、ハミルトンに続く暫定3位、コンストラクターズランキングでもメルセデスに続く暫定2位につけた。だが、第11戦のリタイアをしてから、前半戦に上位入賞と比べれば、下位での入賞にとどまった。ドライバーズランキングは100ポイント近く獲得した9位と自身最多ポイントを獲得。チームメイトのセルジオ・ペレスの59ポイントの10位を上回ったものの、自身の最高位は5位に対し、ペレスは3位表彰台を獲得と手放しに喜べない面もあった。

2015年[編集]

2015年もフォース・インディアより参戦した。序盤は資金難の影響で他のマシンと比べ後れ[24]を取っていたが、第9戦でBスペックと称されたVJM08Bが投入[25]されてからは完走したレースでは入賞するようになった。最終的にはBスペック投入前は入賞3回、投入後は入賞6回となったが表彰台を獲得するまでには至らずランキングは10位となった。また、表彰台を獲得したペレスにもランキングで敗れた。

2016年[編集]

この年もフォース・インディアに残留。モナコGPでは予選5位を獲得し、レース終了直前にニコ・ロズベルグを抜き、6位を獲得するなどの見せ場を作った。オーストリアGPでは予選3位を獲得し、ロズベルグのペナルティにより2番手スタートとなったが、タイヤのマネージメントに苦しみ最後はトラブルでマシンを止めている。最終的にチームはポイントでウィリアムズを上回り、チームは創設以来最高となる4位の座を獲得したが、ペレスがモナコGPとヨーロッパGPで二度の3位表彰台を獲得したのに対し、ヒュルケンベルグは最高位4位で終わった。

ルノー[編集]

2017年からはフォース・インディアを離れ、ルノーからの参戦を発表した。契約年数は2年プラスオプション1年となっている。しかしメルセデスAMGニコ・ロズベルグが引退を発表した後、ヒュルケンベルグに対しメルセデス側がオファーを出したもの、ルノーに移籍を断られている[26]

2017年[編集]

チームメイトはジョリオン・パーマー。パーマーを相手に予選では全勝。アメリカGPよりカルロス・サインツJr.がチームメイトとなる。序盤にポイントを積み重ねていたが、夏休み後に失速。それでも、予選では3強と呼ばれるメルセデスAMG、フェラーリ、レッドブルの後ろ、7番手を多く獲得するなど活躍を見せた。最終戦アブダビGPで6位に入り、その時の上位チームとなるウィリアムズの2人をかわし、ランキングで10位を獲得する。

2018年[編集]

チームに残留。チームメイトはサインツJr.とのコンビ。予選の成績も前年に比べ予選での3強の後ろにあたる7番手の獲得は減っているが、決勝ではメルセデス、フェラーリそしてレッドブルの上位陣をなかなか崩せないものの、着実に入賞を積み重ねた。チームメイト対決でも予選・決勝共にサインツを上回っていることが多く、第11戦の段階で前年の獲得ポイントを上回る結果を残している。その後も「リタイヤか中段上位か」といった成績ではあったが、最終戦アブダビGPこそマシンが一回転したものの、ポイント面でのリードを生かして今季の中団グループでの年間王者と言えるドライバーズランキング7位を獲得。ただし、ランキング7位という点ではキャリア最高位だが、ポイント面では最多ポイントの2014年を超えることはできなかった。ちなみにリタイアは7回と、8回のダニエル・リカルドに次ぐ2番目に多い記録であり、一種のハンデがありながらもランキング7位を獲得する結果を残した。

2019年[編集]

引き続きルノーから参戦。レッドブルから移籍してきたリカルドとコンビを組むも、前半12戦を終えて予選成績で敗北[27]。決勝も入賞数やポイント面では大差はついていないものの、リカルドの前でゴールすることはできていなかった。 そんななか、第13戦ベルギーGPを前にルノーは、エステバン・オコンとの2年契約を発表した。この背景は、ルノー側は2021年のオプション付きの1年契約に対し、ヒュルケンベルグ側は2年契約を求めていた[28]が、交渉期限までに折り合いがつかなかったのが原因とされている。ヒュルケンベルグはルノーのオコン起用について、国籍が要因だと仄めかしたが、ルノーはこれを理由に起用したわけではないと否定している[29]

代役で復帰(2020年)[編集]

シートを失ったものの、F1復帰は諦めておらず[30]、1年間休養という形で2021年の復帰を候補に入れていた。だが、2020年に入るとコロナウイルスの世界的流行の影響が深刻化し、ドライバー市場もその影響でシートが変動する可能性が低くなり、2021年に復帰するのは絶望的な状況となった[31]。ところが、同シーズン第4戦の直前にレーシング・ポイントセルジオ・ペレスがGP開始前の7月30日のウイルス検査にて新型コロナウイルスの陽性反応が出たため、そうなった場合の規定に従い欠場が決定[32]。当初の予定ではメルセデスのリザーブドライバーを共有することで合意していたため、その登録者を出走させる予定だったが、いくつかの問題が立ちふさがった。登録者の2名のうちストフェル・バンドーンはドイツで行われるフォーミュラE参戦を優先していたことや移動や手続きなどの時間的問題がネックとなり事実上断念。エステバン・グティエレスはメルセデスチームに同行しイギリス国内にいたものの、スーパーライセンスの条件[33][34]やチームとの関係構築の時間的余裕がない点が懸念された。そこで出走に関して条件面で問題がなく、フォース・インディア時代に複数年在籍しチームの環境を知っているヒュルケンベルグに白羽の矢が立った。本人はドイツでの仕事のため、連絡を受けた時点ではそちらに到着したばかりでイギリス国外にいたものの、連絡を受けシルバーストンへ急行。そして、シルバーストン近郊にあるチームの拠点で手続きなどの準備を行い、チームはフリー走行1回目開始時と同時にヒュルケンベルグの起用を発表[35]。代役という形ではあるが、F1キャリアの中で最も長く在籍していたチームから復帰することとなった。

復帰初戦となった第4戦はFP2で7番手タイムを記録し、予選も13番手を記録。だが、決勝はマシントラブルでDNS(スタートできずにリタイア)となり、せっかくのチャンスは失われたかと思われた[36]。だが、第5戦もペレスからウイルスの陽性反応が出たため続投し、予選では3番手を獲得。初めての表彰台も期待された決勝では、4番手スタートで最終的に優勝したマックス・フェルスタッペンに早々にパスされ、その後もタイヤマネジメントに苦しみながら、ピットストップのタイミングもあり順位を下げたものの7位入賞となった。

代役としての出走はこの2回のみと思われていたが、地元ニュルブルクリンクで開催された第11戦アイフェルGPにおいてFP1とFP2が天候不良のため中止[37][38]され、FP3の直前にペレスのチームメイト、ランス・ストロールが体調不良のため欠場することとなり[39]、その代役として母国GPに再びレーシング・ポイントより参戦することとなった。元々このレースではテレビ番組の解説者としてサーキットを訪れる予定ではあったが、午前11時にニュルブルクリンクから1時間のところにあるケルンで友人と珈琲を飲んでいる中での緊急招集であったと本人は語っている[40]。そのためFP3には参加できず、セットアップ等の調整もできないまま予選はぶっつけ本番での参加となった。予選結果は最下位に終わったが、Q1ではチームメイトとなるペレスに対して僅かコンマ9秒差に迫るタイムを叩き出した。決勝では上位勢のリタイアもあったが、堅実なレース運びで着実に順位を上げ8位入賞。このレースのドライバー・オブ・ザ・デイにも選出された[41]

この代役での活躍もあり、2021年のレッドブルの正ドライバー候補にも挙げられたが[42]、最終的には2020年限りでレーシング・ポイントのシートを失ったペレスを起用することとなり、実現とはならなかった。


2021年[編集]

レッドブルでの正ドライバーは実現しなかったものの、アストンマーティンF1ではリザーブ兼開発ドライバー、メルセデスAMG F1ではリザーブドライバーとして加入した[43]。F1復帰については、2022年の復帰は可能性が低いだろうと考えている[44]

インディカーに参戦する動きがあったが、「個人的な理由」で参戦を断念した。これと同時に、FIA 世界耐久選手権に参戦するのではないかという憶測も出ている[45]

2022年[編集]

前年に続きアストンマーティンでリサーブドライバーを務めた。レギュラードライバーのセバスチャン・ベッテルが新型コロナウイルスに感染したことにより、開幕戦バーレーンGPサウジアラビアGPにおいて代役で出走[46]。実戦は2020年アイフェルGPでストロールの代役として参戦して以来だったが[47]、バーレーンGPの予選Q1でチームメイトのストロールを上回る結果を残した。[48]。サウジアラビアGPでは決勝を12位完走を果たし、ストロールを上回る結果を残した[49]。9月頃からミック・シューマッハの後任としてハースからのF1復帰という報道が出始め[50]11月17日にハースより2023年からドライバーとして起用することが発表された[51]

2023年[編集]

ハースからF1復帰。レギュラーシート獲得は2019年以来4年ぶりとなる。チームメイトはケビン・マグヌッセン。第3戦オーストラリアGPでは久々の7位入賞を果たし、第9戦カナダGPでは予選2位を獲得するなど主に予選では速さを見せたが、シーズンを通しては決勝のレースペースが伸びず、入賞は決勝・スプリント1回ずつの2回に終わった。

2024年[編集]

引き続きハースから参戦。前年に続けて開幕戦でQ3に進出。第2戦では10位入賞するが、同僚のケビンがスロー走行し後方を渋滞させて引き離しての入賞だったためハースやヒュルケンベルグは批判を受ける事になった。

WEC[編集]

2015年にはF1のレースの合間を縫って、ポルシェチームよりWECの第2戦スパ6時間耐久レース、第3戦ル・マン24時間レースにも参戦した。そしてル・マン24時間レースでヒュルケンベルグの乗る19号車は終始安定した走りを見せ、優勝を成し遂げた。F1現役ドライバーがル・マンで優勝したのは久々のことであり注目を集めた。ヒュルケンベルグ自身は「来年もル・マンに参戦したい」と語っていたが、2016年はル・マンとアゼルバイジャンでのF1ヨーロッパGPと日付が重なってしまい参戦は見送られることとなった。

エピソード[編集]

  • F1での最高位は4位(3回 /2020年シーズン終了時)で表彰台経験は無い。これは、過去にフォース・インディアに所属したジャンカルロ・フィジケラセルジオ・ペレスを除く多くのドライバーに共通した記録となっており、F1歴代での表彰台未登壇ドライバーの最多出走がエイドリアン・スーティルの128戦[52]だったが、ヒュルケンベルグは129回目の出走となる2017年シンガポールグランプリで一時は表彰台圏内を走行するも、マシントラブルによりリタイアとなり、スーティルの記録を更新した。レース前のインタビューでヒュルケンベルグは「スーティル時代は終わりだ」とユーモアのあるコメントを残している[53]
  • 固定ナンバーは27。かつてのフェラーリのエースナンバーの印象が根強い人気のナンバーであるが、本人がつけた理由は、自分の生まれた月(8)と生まれた日(19)の合計によるもの。
  • 2010年のブラジルで初PPを獲得したときのインタビューでは「車は調子がいいと思ったし、できる限り全力を尽くした。エンジニアがいいペースだと教えてくれたよ。ラジオで5位か6位と言われると期待していたんだけど、ポールポジションと言われたんだ」と語っている[54]。以後ブラジルでは2017年まで全て入賞(2011年はフリー走行のみ)していたが、2018年に初のリタイアとなった。オーストラリアでは初完走は4度目の挑戦で、それまでの3回は全てレースを1周も走れずにリタイアしている。アメリカでは2012年、2013年、2018年と3度入賞。2014年から2017年まで4年連続でリタイアしている。他、自身初入賞を達成したマレーシアGPでは、完走率100%を誇っている。
  • 所属していたチームでは、シーズン前半もしくはシーズン後半に集中して好成績を収める傾向である。ただし、ルノー移籍後はマシントラブルに泣かされることが多く、入賞圏内走行中のリタイアが顕著となっている。
  • 2018年から導入された頭部保護デバイス「Halo」には否定的である。ただ、皮肉にも同シーズンで自身が関わることとなった事故において、Haloの有用性と問題を証明することとなり、ヒュルケンベルグ自身もHaloについては複雑な胸中にあるとしながらも、「安全性の面において有用なデバイスであることを示した」と性能を評価するコメントを残している[55]
有用性という点では同年に自身のブレーキングミスが引き起こしたベルギーグランプリにおける多重クラッシュでは、追突を受け宙へと舞い上げられたフェルナンド・アロンソの車がシャルル・ルクレールの車のHaloの頭上を通過していく形で接触。非常に危険な事故となったが、Haloがコックピットへの衝撃を吸収したことでルクレールはダメージを負うことなくマシンを降りることができた。
問題点という点では、2018年アブダビグランプリではスタート直後にマシンが逆さまになるクラッシュを演じ、マシンから火が出る状況に陥り、マシンから脱出するのに時間がかかったことで(時間がかかった背景はHalo (フォーミュラカー)#議論を参照)、Haloの問題をアピールする結果になった。
  • F1キャリアにおいては運がない面がある。所属したチームのマシンの戦闘力が低い年と重なった時期が多く、その時期でも結果を残し、マシンの当たり年で好成績を収めたことで評価を高めた。そのため、周囲からも彼が表彰台に一度も乗れない状況はおかしいとして擁護されたり、彼の実力をドライバーとして評価する声も多い[56]。実際、2019年の前半戦に当時レッドブルに所属していたピエール・ガスリーの不振に伴い代役として白羽の矢を立てたといううわさ[57]が流れたように、優勝経験のあるチームへの移籍の候補者の一人として度々噂に上がる存在となっていた。だが、結局実現せず、最後まで表彰台の常連のマシンに乗れることはなかった。ただ、そのチャンスがなかったわけではなく、2014年のフェラーリ及び2017年以降のメルセデスのレギュラードライバー候補になったのは事実である。前者はキミ・ライコネン起用により話は流れてしまい、後者はルノー側の拒否もあるが、自身がルノーとの契約を重視したこともあり、トップチームのシートを逃す形となった。また、メルセデスに関しては2013年にルイス・ハミルトンが加入しない決断をした場合、ヒュルケンベルグとの交渉に移る計画[58]があったと後年明かされている。その一方でフォース・インディア(第二期)の在籍時ではチームメイトのペレスが計4回表彰台を獲得したのに対し、自身は0回となっており、F1キャリアで表彰台に上がれるチャンスのあったマシンに乗っていた時期があるのも事実であり、GP2ではチャンピオンとなったり、初参戦のル・マン24時間で総合優勝を収める車両に搭乗するなど、F1以外のカテゴリでは良い巡り合わせの持ち主であるのも事実である。
  • 2016年末でフォース・インディアからルノーに移籍。そのルノーも2019年末で離脱したが、この2度とも自身の後任ドライバーはエステバン・オコンであった。
  • 2020年はF1レギュラーシートを失っていたが、7月に新型コロナウイルス陽性反応が出たペレスの代役としてレーシング・ポイント(旧フォース・インディア)に呼ばれ、10月にも同じく新型コロナ陽性となったストロールの代役として同チーム2回目の代役出走という、「古巣」ではあるが現行体制では所属関係が無いチームに年2回呼ばれる珍しい体験をした。また2022年にも、レーシング・ポイントが体制を変えたアストンマーティンで代役出走しており、2018年以降にフォース・インディア、レーシング・ポイント、アストンマーティンと体制を変えた3チーム全てで出走経験がある唯一のドライバーとなっている。

レース戦績[編集]

略歴[編集]

シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
2005 フォーミュラ・BMW ADAC ヨセフ・カウフマン・レーシング英語版 20 8 9 6 14 287 1位
フォーミュラ・BMW ワールド・ファイナル 1 0 0 1 1 N/A 3位
2006 ドイツ・フォーミュラ3選手権英語版 18 1 3 5 6 78 5位
V de V チャレンジ・エンデュランス・モダン グリフィスズ 2 1 2 ? 1 50 17位
2006-07 A1グランプリ A1 チーム・ドイツ英語版 20 9 3 5 14 128 1位
2007 フォーミュラ3・ユーロシリーズ ASM・フォーミュラ3 20 4 2 3 8 72 3位
マカオグランプリ 1 0 0 0 0 N/A 23位
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 1 1 0 0 1 N/A 1位
2008 フォーミュラ3・ユーロシリーズ ARTグランプリ 20 7 6 7 8 87 1位
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 1 0 1 0 1 N/A 2位
2008-09 GP2アジアシリーズ 4 1 2 0 2 27 6位
2009 GP2シリーズ 20 5 3 5 10 100 1位
フォーミュラ1 AT&T・ウィリアムズ テストドライバー
2010 19 0 1 0 0 22 14位
2011 フォース・インディアF1チーム テスト/リザーブドライバー
2012 サハラ・フォース・インディアF1チーム 20 0 0 1 0 63 11位
2013 ザウバーF1チーム 19 0 0 0 0 51 10位
2014 サハラ・フォース・インディアF1チーム 19 0 0 0 0 96 9位
2015 19 0 0 0 0 58 10位
FIA 世界耐久選手権 ポルシェ・チーム 2 1 0 0 1 58 9位
ル・マン24時間レース 1 1 0 0 1 N/A 1位
2016 フォーミュラ1 サハラ・フォース・インディアF1チーム 21 0 0 1 0 72 9位
2017 ルノー・スポールF1チーム 20 0 0 0 0 43 10位
2018 21 0 0 0 0 69 7位
2019 ルノーF1チーム 21 0 0 0 0 37 14位
2020 BWT・レーシング・ポイントF1チーム 3 0 0 0 0 10 15位
2021 アストンマーティン・コグニザント・フォーミュラワン・チーム リザーブドライバー
2022 アストンマーティン・アラムコ・コグニザント・フォーミュラワン・チーム 2 0 0 0 0 0 22位
2023 マネーグラム・ハースF1チーム 22 0 0 0 0 9 16位
2024 3 0 0 0 0 3* 13位*
  • * : 現状の今シーズン順位。

シングル・シーター・レーシング[編集]

フォーミュラ・BMW ADAC[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2005年
英語版
ヨセフ・カウフマン・レーシング
英語版
HOC
1

1
HOC
2

1
LAU
1

2
LAU
2

1
SPA
1

4
SPA
2

2
NÜR
1

1
NÜR
2

2
BRN
1

3
BRN
2

4
OSC
1

1
OSC
2

4
NOR
1

19
NOR
2

1
NÜR
1

3
NÜR
2

4
ZAN
1

1
ZAN
2

3
HOC
1

6
HOC
2

1
1位 287

ドイツ・フォーミュラ3選手権[編集]

エントラント エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2006年
英語版
ヨセフ・カウフマン・レーシング
英語版
オペル OSC
1

Ret
OSC
2

2
HOC
1

5
HOC
2

1
LAU1
1

4
LAU1
2

2
NÜR
1

16
NÜR
2

8
NÜR
1

5
NÜR
2

Ret
ASS
1

2
ASS
2

2
LAU
1

14
LAU
2

8
ASS
1

4
ASS
2

3
SAL
1

7
SAL
2

13
OSC
1
OSC
2
5位 78

A1グランプリ[編集]

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 DC ポイント
2006-07年 ドイツ
英語版
NED
FEA

4
NED
SPR

1
CZE
FEA

Ret
CZE
SPR

4
BEI
FEA

5
BEI
SPR

Ret
MYS
FEA

2
MYS
SPR

1
IDN
FEA

5
IDN
SPR

2
NZL
FEA

1
NZL
SPR

1
AUS
FEA

1
AUS
SPR

1
RSA
FEA

1
RSA
SPR

1
MEX
FEA
MEX
SPR
SHA
FEA

3
SHA
SPR

3
GBR
FEA

2
GBR
SPR

1
1位 128

フォーミュラ3・ユーロシリーズ[編集]

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2007年
英語版
ARTグランプリ ダラーラ F305/021 メルセデス HOC1
1

2
HOC1
2

7
BRH
1

4
BRH
2

6
NOR
1

Ret
NOR
2

1
MAG
1

Ret
MAG
2

14
MUG
1

21
MUG
2

14
ZAN
1

6
ZAN
2

1
NÜR
1

1
NÜR
2

4
CAT
1

2
CAT
2

8
NOG
1

3
NOG
2

3
HOC2
1

1
HOC2
2

7
3位 72
2008年
英語版
ダラーラ F308/009 HOC1
1

Ret
HOC1
2

Ret
MUG
1

1
MUG
2

5
PAU
1

Ret
PAU
2

16
NOR
1

1
NOR
2

Ret
ZAN
1

1
ZAN
2

13
NÜR
1

1
NÜR
2

4
BRH
1

1
BRH
2

5
CAT
1

1
CAT
2

Ret
LMS
1

24
LMS
2

8
HOC2
1

1
HOC2
2

3
1位 87

GP2アジアシリーズ[編集]

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 DC ポイント
2008-09年 ARTグランプリ CHN
FEA
CHN
SPR
DUB
FEA
DUB
SPR
BHR1
FEA

4
BHR1
SPR

4
QAT
FEA

1
QAT
SPR

3
MYS
FEA
MYS
SPR
BHR2
FEA
BHR2
SPR
6位 27

GP2シリーズ[編集]

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2009年 ARTグランプリ ESP
FEA

9
ESP
SPR

4
MON
FEA

5
MON
SPR

3
TUR
FEA

5
TUR
SPR

4
GBR
FEA

3
GBR
SPR

5
GER
FEA

1
GER
SPR

1
HUN
FEA

1
HUN
SPR

7
VAL
FEA

2
VAL
SPR

1
BEL
FEA

2
BEL
SPR

Ret
ITA
FEA

6
ITA
SPR

3
POR
FEA

1
POR
SPR

16
1位 100

フォーミュラ1[編集]

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 WDC ポイント
2010年 ウィリアムズ FW32 コスワース CA2010 2.4 V8 BHR
14
AUS
Ret
MAL
10
CHN
15
ESP
16
MON
Ret
TUR
17
CAN
13
EUR
Ret
GBR
10
GER
13
HUN
6
BEL
14
ITA
7
SIN
10
JPN
ret
KOR
10
BRA
8
ABU
16
14位 22
2011年 フォース・インディア VJM04 メルセデス FO 108Y 2.4 V8 AUS
TD
MAL
TD
CHN
TD
TUR
TD
ESP
TD
MON CAN
TD
EUR
TD
GBR
TD
GER
TD
HUN
TD
BEL
TD
ITA
TD
SIN JPN
TD
KOR IND ABU BRA
TD
- -
2012年 VJM05 メルセデス FO 108Z 2.4 V8 AUS
Ret
MAL
9
CHN
15
BHR
12
ESP
10
MON
8
CAN
12
EUR
5
GBR
12
GER
9
HUN
11
BEL
4
ITA
21
SIN
14
JPN
7
KOR
6
IND
8
ABU
Ret
USA
8
BRA
5
11位 63
2013年 ザウバー C32 フェラーリ 056 2.4 V8 AUS
DNS
MAL
8
CHN
10
BHR
12
ESP
15
MON
11
CAN
Ret
GBR
10
GER
10
HUN
11
BEL
13
ITA
5
SIN
9
KOR
4
JPN
6
IND
19
ABU
14
USA
6
BRA
8
10位 51
2014年 フォース・インディア VJM07 メルセデス
PU106A Hybrid 1.6 V6 t
AUS
6
MAL
5
BHR
5
CHN
6
ESP
10
MON
5
CAN
5
AUT
9
GBR
8
GER
7
HUN
Ret
BEL
10
ITA
12
SIN
9
JPN
8
RUS
12
USA
Ret
BRA
8
ABU
6
9位 96
2015年 VJM08 メルセデス
PU106B Hybrid 1.6 V6 t
AUS
7
MAL
14
CHN
Ret
BHR
13
ESP
15
MON
11
CAN
8
AUT
6
10位 58
VJM08B GBR
7
HUN
Ret
BEL
DNS
ITA
7
SIN
Ret
JPN
6
RUS
Ret
USA
Ret
MEX
7
BRA
6
ABU
7
2016年 VJM09 メルセデス
PU106C Hybrid 1.6 V6 t
AUS
7
BHR
15
CHN
15
RUS
Ret
ESP
Ret
MON
6
CAN
8
EUR
9
AUT
19
GBR
7
HUN
10
GER
7
BEL
4
ITA
10
SIN
Ret
MAL
8
JPN
8
USA
Ret
MEX
7
BRA
7
ABU
7
9位 72
2017年 ルノー R.S.17 ルノー R.E.17 1.6 V6 t AUS
11
CHN
12
BHR
9
RUS
8
ESP
6
MON
Ret
CAN
8
AZE
Ret
AUT
13
GBR
6
HUN
17
BEL
6
ITA
13
SIN
Ret
MAL
16
JPN
Ret
USA
Ret
MEX
Ret
BRA
10
ABU
6
10位 43
2018年 R.S.18 ルノー R.E.18 1.6 V6 t AUS
7
BHR
6
CHN
6
AZE
Ret
ESP
Ret
MON
8
CAN
7
FRA
9
AUT
Ret
GBR
6
GER
5
HUN
12
BEL
Ret
ITA
13
SIN
10
RUS
12
JPN
Ret
USA
6
MEX
6
BRA
Ret
ABU
Ret
7位 69
2019年 R.S.19 ルノー E-Tech 19 V6 t AUS
7
BHR
17
CHN
Ret
AZE
14
ESP
13
MON
14
CAN
7
FRA
8
AUT
13
GBR
10
GER
Ret
HUN
12
BEL
8
ITA
5
SIN
9
RUS
10
JPN
DSQ
MEX
10
USA
9
BRA
15
ABU
12
14位 37
2020年 レーシング・ポイント RP20 メルセデス
M11 EQ Performance 1.6 V6 t
AUT STY HUN GBR
DNS
70A
7
ESP BEL ITA TUS RUS EIF
8
POR EMI TUR BHR SKH ABU 15位 10
2022年 アストンマーティン AMR22 メルセデス
M13 E Performance 1.6 V6 t
BHR
17
SAU
12
AUS EMI MIA ESP MON AZE CAN GBR AUT FRA HUN BEL NED ITA SIN JPN USA MXC SÃO ABU 22位 0
2023年 ハース VF-23 フェラーリ 066/10 1.6 V6 t BHR
15
SAU
12
AUS
7
AZE
1715
MIA
15
MON
17
ESP
15
CAN
15
AUT
Ret6
GBR
13
HUN
14
BEL
1817
NED
12
ITA
17
SIN
13
JPN
14
QAT
16Ret
USA
1115
MXC
13
SÃO
1218
LVG
19
ABU
15
16位 9
2024年 VF-24 BHR
16
SAU
10
AUS
9
JPN
11
CHN
-
MIA
-
EMI
-
MON
-
CAN
-
ESP
-
AUT
-
GBR
-
HUN
-
BEL
-
NED
-
ITA
-
AZE
-
SIN
-
USA
-
MXC
-
SÃO
-
LVG
-
QAT
-
ABU
-
13位* 3*
  • 太字ポールポジション斜字ファステストラップ。(key)
  •  : リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
  • 決勝順位右上の小数字はスプリントレースでの順位。
  • * : 現状の今シーズン順位。

スポーツカー・レーシング[編集]

ル・マン24時間レース[編集]

チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 順位 クラス順位
2015年 ドイツの旗 ポルシェ・チーム イギリスの旗 ニック・タンディ
ニュージーランドの旗 アール・バンバー
ポルシェ・919 ハイブリッド LMP1 395 1位 1位

FIA 世界耐久選手権[編集]

エントラント クラス シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 ランク ポイント
2015年 ポルシェ・チーム LMP1 ポルシェ・919 ハイブリッド ポルシェ 2.0 L Turbo V4
(Hybrid)
SIL SPA
6
LMS
1
NÜR COA FUJ SHA BHR 9位 58

脚注[編集]

  1. ^ "バトンが望む2013年のチームメートとは". TopNews.(2012年9月23日)2013年11月28日閲覧。
  2. ^ Nico Hulkenberg Sauber Formula 1 Driver - Yahoo! Eurosport UK
  3. ^ トラックも運転できます。DTM王者ウィットマンが大型免許を取得」『AUTO SPORT web』、2018年4月3日。2018年4月14日閲覧。
  4. ^ ニコ・ヒュルケンベルグ プロフィール オートスポーツweb
  5. ^ a b c Meet the rookies: Nico Hülkenberg”. F1Fanatic.co.uk (2007年). 2007年8月16日閲覧。
  6. ^ F3 Euro Zandvoort 2: Hülkenberg wins in wet”. MaximumMotorsport.co.uk (2007年). 2007年8月16日閲覧。
  7. ^ Hülkenberg wins F3 Masters as Grosjean stalls”. MaximumMotorsport.co.uk (2007年). 2007年8月16日閲覧。
  8. ^ Hulkenberg to test for Williams at Jerez(autosport.com 2007年12月3日記事)
  9. ^ Williams sign Hulkenberg as test driver(autosport.com 2007年12月13日記事)
  10. ^ Williams set for 2010 with Barrichello and Hulkenberg(Motorsport.com 2009年11月2日記事)
  11. ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、ウィリアムズとの2011年の交渉はまだ”. F1-Gate.com. (2010年8月27日). http://f1-gate.com/hulkenberg/f1_8874.html 2011年1月27日閲覧。 
  12. ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、シート喪失の危機”. F1-Gate.com. (2010年10月8日). http://f1-gate.com/hulkenberg/f1_9430.html 2011年1月27日閲覧。 
  13. ^ “ウィリアムズ、ニコ・ヒュルケンベルグの放出を検討”. F1-Gate.com. (2010年10月19日). http://f1-gate.com/williams/f1_9585.html 2011年1月27日閲覧。 
  14. ^ ウィリアムズ、上場でスポンサー減少か - ESPN F1・2011年2月10日
  15. ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、ウィリアムズ離脱を発表”. F1-Gate.com. (2010年11月15日). http://f1-gate.com/hulkenberg/f1_10016.html 2011年1月27日閲覧。 
  16. ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、フェリペ・マッサに代わってフェラーリ加入?”. F1-Gate.com. (2010年11月17日). http://f1-gate.com/hulkenberg/f1_10037.html 2011年1月27日閲覧。 
  17. ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、フォース・インディアでF1残留を目指す”. F1-Gate.com. (2010年11月16日). http://f1-gate.com/hulkenberg/f1_10024.html 2011年1月27日閲覧。 
  18. ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、ヴァージンからのオファーを蹴る”. F1-Gate.com. (2010年11月19日). http://f1-gate.com/hulkenberg/f1_10447.html 2011年1月27日閲覧。 
  19. ^ “ニコ・ヒュルケンベルグ、フォース・インディアとリザーブドライバー契約”. F1-Gate.com. (2011年1月27日). http://f1-gate.com/hulkenberg/f1_10501.html 2011年1月27日閲覧。 
  20. ^ . F1-Gate.com. (2010年5月14日). http://f1-gate.com/hulkenberg/f1_11706.html =ニコ・ヒュルケンベルグ、ウィリー・ウェバーと決別 2011年12月30日閲覧。 
  21. ^ “フォース・インディア、2012年はヒュルケンベルグとディ・レスタ”. F1-Gate.com. (2011年12月15日). http://f1-gate.com/forceindia/f1_13885.html 2011年12月30日閲覧。 
  22. ^ “ヒュルケンベルグのマネジャー、フェラーリの断り方に不満”. TopNews. (2013年9月13日). http://www.topnews.jp/2013/09/13/news/f1/drivers/nico-hulkenberg/96087.html 2013年11月28日閲覧。 
  23. ^ “フォース・インディア、ニコ・ヒュルケンベルグの起用を正式発表”. F1-Gate.com. (2013年12月4日). http://f1-gate.com/forceindia/f1_21892.html 2013年12月6日閲覧。 
  24. ^ フォース・インディア、いまだアップデートを投入できずf1-gate.com(2015年5月8日)2020年10月18日閲覧。
  25. ^ フォース・インディア、“鼻孔ノーズ”の狙いf1-gate.com(2015年7月6日)2020年10月18日閲覧。
  26. ^ メルセデスのシートは全く考えなかったとヒュルケンベルグja.espnf1.com(2017年1月13日)2019年11月12日閲覧
  27. ^ 一発の速さで勝るのは? 2019年F1前半戦予選結果一覧と平均順位…チームメイト間で大差つくレッドブル・ホンダ”. F1ニュース速報/解説【Formula1-Data】. 2019年8月30日閲覧。
  28. ^ ルノーからの契約オファーを辞退していたニコ・ヒュルケンベルグ”. F1ニュース速報/解説【Formula1-Data】. 2019年9月4日閲覧。
  29. ^ エステバン・オコン、ルノー移籍に際してメルセデスとの関係を精算”. F1ニュース速報/解説【Formula1-Data】. 2019年8月30日閲覧。
  30. ^ 「F1引退にはならないはず」ヒュルケンベルグ、将来に向け“リラックス”jp.motorsport.com(2019年11月24日)2020年7月31日閲覧。
  31. ^ ヒュルケンベルグ「新型コロナによってF1復帰計画は宙ぶらりん」www.topnews.jp(2020年4月17日)2020年7月31日閲覧。
  32. ^ セルジオ・ペレス、新型コロナウイルス検査で陽性…F1イギリスGPを欠場formula1-data.com(2020年7月31日)2020年7月31日閲覧。
  33. ^ 2020年シーズンは特殊なため、多少の例外は認められる可能性はあるが、本来のライセンスの規定に抵触する可能性があった(詳細はスーパーライセンスを参照)。
  34. ^ 24時間の舞台裏…レーシングポイントF1、何故バンドーンやグティエレスではなくヒュルケンベルグを起用したのか?formula1-data.com(2020年7月31日)2020年7月31日閲覧。
  35. ^ 速報︰ヒュルケンベルグ、ペレスの後任としてレーシング・ポイントからF1復帰formula1-data.com(2020年7月31日)2020年7月31日閲覧。
  36. ^ ヒュルケンベルグ、復帰戦は”1本のボルト”で台無しに「努力に見合う結果を残したかった」formula1-data.com(2020年8月3日)2020年10月17日閲覧。
  37. ^ F1アイフェルGP FP1:悪天候の影響によりメディカルヘリが飛べず、ドライバーも走行不可能にauto sport web(2020年10月9日)2020年10月16日閲覧。
  38. ^ F1アイフェルGP FP2:天候不順により一度も走行できずに終了。異例の初日にauto sport web(2020年10月9日)2020年10月16日閲覧。
  39. ^ F1アイフェルGP欠場のランス・ストロール、COVID-19陰性もトイレから出られず…決断はFP3の30分前formula1-data.com(2020年10月11日)2020年10月17日閲覧。
  40. ^ ニコ・ヒュルケンベルグ、珈琲タイムの4時間後に急遽ニュルを限界走行「心臓が止まるかと思った!」formula1-data.com(2020年10月10日)2020年10月11日閲覧。
  41. ^ レーシングポイント:ヒュルケンベルグ、最後尾から8位入賞「この結末を予想していた奴はいないはず!」formula1-data.com(2020年10月12日)2020年10月17日閲覧。
  42. ^ レッドブルF1首脳、ヒュルケンベルグを大絶賛も、ドライバーの第一候補はあくまでアルボン auto sportweb(2020年10月15日)2021年7月13日閲覧。
  43. ^ ニコ・ヒュルケンベルグ、2021年はメルセデス及びアストンマーチンのリザーブを兼任 FORMULA1-DATA(2021年3月27日)2021年9月18日閲覧。
  44. ^ ヒュルケンベルグ、F1復帰を断念。でも「人生が終わったわけではない」他シリーズからのオファーも? yahooニュース(2021年9月10日)2021年9月18日閲覧。
  45. ^ ヒュルケンベルグ、、家族を優先しインディカー参戦を断念か。次の選択肢としてWECが浮上 FORMULA1-DATA(2021年3月27日)2021年9月18日閲覧。
  46. ^ ベッテル、コロナ陽性でF1バーレーン欠場…アストンマーチンの代役はヒュルケンベルグ”. Fomula1-Data (2022年3月17日). 2022年11月17日閲覧。
  47. ^ ヒュルケンベルグ、ブランク2年「最近レースしたかって?ゼロだよ!」緊急招集で僚友ストロールにコンマ1秒差”. Fomula1-Data (2022年3月19日). 2022年11月17日閲覧。
  48. ^ F1バーレーンGP予選Q1速報:角田裕毅が脱落、代役ヒュルケンベルグは僚友超えの17番手”. Fomula1-Data (2022年3月20日). 2022年11月17日閲覧。
  49. ^ 激戦再び…フェルスタッペン、0.5秒差でルクレールを撃破「良いレースだった!」F1サウジアラビアGP《決勝》結果とダイジェスト”. Fomula1-Data (2022年3月28日). 2022年11月17日閲覧。
  50. ^ ヒュルケンベルグ、2023年のハースF1のドライバー候補か。ドライバーリストの“トップ”だとドイツメディアが報道”. auto sport Web (2022年9月14日). 2022年11月17日閲覧。
  51. ^ ニコ・ヒュルケンベルグ、4年ぶりF1復帰が決定「戦いが待ち遠しい!」2023年ハースでマグヌッセンとタッグ”. Fomula1-Data (2022年11月17日). 2022年11月17日閲覧。
  52. ^ 2016ベルギーグランプリ Latest/Feature Spa stats - Formula1.com 2016-08-28
  53. ^ ニコ・ヒュルケンベルグ 「スーティル時代は終わりだ・・・」”. F1-Gate.com. 2017年9月17日閲覧。
  54. ^ FORMULA 1 (2018-11-05), Nico Hulkenberg Puts it on Pole | 2010 Brazilian Grand Prix, https://www.youtube.com/watch?v=zIaYzWYvKys 2019年6月10日閲覧。 
  55. ^ Haloを批判していたヒュルケンベルグ、”複雑な感情”抱くも有用性認めるjp.motorsport.com 2018年8月31日
  56. ^ ベッテル「ヒュルケンベルグがF1に残留できないのは何かが間違っている証拠」www.topnews.jp(2019年11月25日)2020年8月1日閲覧。
  57. ^ ガスリー、ヒュルケンベルグ交代説に憤慨「戯言で時間を無駄にしたくない」formula1-data.com(2019年6月7日)2019年11月12日閲覧
  58. ^ メルセデス移籍の可能性があったニコ・ヒュルケンベルグ…ハミルトンではなくformula1-data.com(2020年8月11日)2020年8月11日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

タイトル
先代
マルセル・フェスラー
ブノワ・トレルイエ
アンドレ・ロッテラー
ル・マン24時間優勝者
2015 with:
アール・バンバー
ニック・タンディ
次代
マルク・リープ
ロマン・デュマ
ニール・ジャニ