ドーファン

ドーファンの紋章

ドーファン(Dauphin)は、フランス国王法定推定相続人(皇太子)の称号。正式には「ヴィエノワのドーファン」(dauphin de Viennois)という。1350年から復古王政期まで用いられた。1791年立憲王制期と1830年からのオルレアン朝ではプランス・ロワイヤルフランス語版と改称された。

起源[編集]

ドーフィネの紋章

ヴィエンヌ伯ギーグ8世はイルカ紋章を用いていて、ル・ドーファン(le Dauphin, フランス語でイルカ)の異名を持っていた。「ヴィエノワのドーファン」の称号はアルボン伯の家系によって受け継がれてきたが、嗣子のないアンベール2世1349年ドーフィネと呼ばれるようになっていた荘園をフランス王フィリップ6世に売却した際、以後はフランス王位の相続人のみがドーファンの称号を用いるという取り決めがなされた。一方、他にドーファンの称号を使っていたヴィエンヌ伯家の分家であるオーヴェルニュ伯の子孫は「オーヴェルニュのドーファン」(ドーファン・ドーヴェルニュ、dauphin d'Auvergne)の称号を保持・使用し、それはフランス革命まで続いた。

最初にドーファンの称号を与えられたフランス王子はフィリップ6世の孫シャルル5世であった。売却交渉の当時、法定推定相続人であったのはフィリップ6世の息子のノルマンディー公ジャン(後のフランス王ジャン2世)であり、ジャンの所領となることが念頭に置かれていたが、フィリップ6世が亡くなったため、ジャンの息子シャルルに与えられることになった。この称号はおおよそイングランドにおけるプリンス・オブ・ウェールズに相当するものである。1461年以前は正式には「神の恩寵による、ヴィエノワのドーファン、ヴァランティノワおよびディオワの伯爵」(par la grâce de Dieu, dauphin de Viennois, comte de Valentinois et de Diois)といった。当時のヴィエンヌは神聖ローマ帝国領であり、シャルルは成人した後、叔父である神聖ローマ皇帝カール4世にヴィエンヌに関する臣従礼を捧げた。

ヴァロワ=アングレーム朝の祖フランソワ1世は、父の従弟(従叔父)であるヴァロワ=オルレアン家ルイ12世から王位を継承したが、ドーファンの称号は授かっていなかった。また、ルイ14世の治世には、ドーファン・ド・ヴィエノワではなく、ドーファン・ド・フランスと呼ぶようになった。

歴代のドーファン一覧[編集]

画像 名称 継嗣と定めた王 出生 ドーファンとなった年月 ドーファンでなくなった理由 死去 ドーファン以外の称号 即位名 ドーフィヌ(皇太子妃)
シャルル・ド・フランス、初代ドーファン・ド・フランス ジャン2世 1338年1月21日 1350年8月22日 1364年4月8日
王として即位
1380年9月16日 ノルマンディー公 シャルル5世 ジャンヌ・ド・ブルボン
ジャン・ド・フランス、第2代ドーファン・ド・フランス シャルル5世 1366年6月7日 1366年12月21日
シャルル・ド・フランス、第3代ドーファン・ド・フランス シャルル5世 1368年12月3日 1380年9月16日
王として即位
1422年10月21日 シャルル6世
シャルル・ド・フランス、第4代ドーファン・ド・フランス シャルル6世 1386年9月26日 1386年12月28日
シャルル・ド・フランス、第5代ドーファン・ド・フランス シャルル6世 1392年2月6日 1401年1月13日 ギュイエンヌ公
ルイ・ド・フランス、第6代ドーファン・ド・フランス シャルル6世 1397年1月22日 1401年1月13日 1415年12月18日 ギュイエンヌ公 マルグリット・ド・ブルゴーニュ
ジャン・ド・フランス、第7代ドーファン・ド・フランス シャルル6世 1398年8月31日 1415年12月18日 1417年4月5日 トゥーレーヌ公 ジャクリーヌ・ド・エノー
シャルル・ド・フランス、第8代ドーファン・ド・フランス シャルル6世 1403年2月22日 1417年4月5日 1422年10月21日
王として即位
1461年7月22日 ポンティユー伯 シャルル7世
ルイ・ド・フランス、第9代ドーファン・ド・フランス シャルル7世 1423年7月3日 1461年7月22日
王として即位
1483年8月30日 ルイ11世 マルグリット・デコス;
シャルロット・ド・サヴォワ
フランソワ・ド・フランス、第10代ドーファン・ド・フランス ルイ11世 1466年12月4日
シャルル・ド・フランス、第11代ドーファン・ド・フランス ルイ11世 1470年6月30日 1483年8月30日
王として即位
1498年4月7日 シャルル8世
シャルル=オルラン・ド・フランス、第12代ドーファン・ド・フランス シャルル8世 1492年10月11日 1495年12月16日
シャルル・ド・フランス、第13代ドーファン・ド・フランス シャルル8世 1496年9月8日 1496年10月2日
フランソワ・ド・フランス、第14代ドーファン・ド・フランス シャルル8世 1497年7月
フランソワ・ド・フランス、第15代ドーファン・ド・フランス フランソワ1世 1518年9月28日 1536年8月10日 ブルターニュ公
アンリ・ド・フランス、第16代ドーファン・ド・フランス フランソワ1世 1519年3月31日 1536年8月10日 1547年3月31日
王として即位
1559年7月10日 オルレアン公、ブルターニュ公 アンリ2世 カトリーヌ・ド・メディシス
フランソワ・ド・フランス、第17代ドーファン・ド・フランス アンリ2世 1544年1月19日 1547年3月31日 1559年7月10日
王として即位
1560年12月5日 スコットランド王配 フランソワ2世 マリー・デコス
ルイ・ド・フランス、第18代ドーファン・ド・フランス アンリ4世 1601年9月27日 1610年5月14日
王として即位
1643年5月14日 ルイ13世
ルイ=デュードネ、第19代ドーファン・ド・フランス ルイ13世 1638年9月5日 1643年5月14日
王として即位
1715年9月1日 ルイ14世
ルイ、グラン・ドーファン、第20代ドーファン・ド・フランス ルイ14世 1661年11月1日 1711年4月14日 マリー・アンヌ・ド・バヴィエール
ルイ、プティ・ドーファン、第21代ドーファン・ド・フランス ルイ14世 1682年8月16日 1711年4月14日 1712年2月18日 ブルゴーニュ公 マリー・アデライード・ド・サヴォワ
ルイ・ド・フランス、第22代ドーファン・ド・フランス ルイ14世 1707年1月8日 1712年2月18日 1712年3月8日 ブルターニュ公
ルイ・ド・フランス、第23代ドーファン・ド・フランス ルイ14世 1710年2月15日 1712年3月8日 1715年9月1日
王として即位
1774年5月10日 アンジュー公 ルイ15世
ルイ・ド・フランス、第24代ドーファン・ド・フランス ルイ15世 1729年9月4日 1765年12月20日 マリー=テレーズ=ラファエル・ド・ブルボン;
マリー=ジョゼフ・ド・サクス
ルイ・オーギュスト・ド・フランス、第25代ドーファン・ド・フランス ルイ15世 1754年8月23日 1765年12月20日 1774年5月10日
王として即位
1793年1月21日 ベリー公 ルイ16世 マリー・アントワネット・ドートリッシュ
ルイ=ジョゼフ・ド・フランス、第26代ドーファン・ド・フランス ルイ16世 1781年10月22日 1789年6月4日
ルイ・シャルル・ド・フランス、第27代ドーファン・ド・フランス ルイ16世 1785年3月27日 1789年6月4日 1791年10月1日
プランス・ロワイヤルと改称
1795年6月8日 ノルマンディー公 ルイ17世
ルイ・アントワーヌ・ド・フランス、第28代ドーファン・ド・フランス シャルル10世 1775年8月6日 1824年9月16日 1830年8月2日
王として即位/退位
1844年6月3日 アングレーム公 ルイ19世 マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス
画像 名称 継嗣と定めた王 出生 ドーファンとなった年月 ドーファンでなくなった理由 死去 ドーファン以外の称号 即位名 ドーフィヌ(皇太子妃)

関連項目[編集]