ドン・マッティングリー

ドン・マッティングリー
Don Mattingly
トロント・ブルージェイズ ベンチコーチ #23
マイアミ・マーリンズでの監督時代
(2021年4月20日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州エバンズビル
生年月日 (1961-04-20) 1961年4月20日(63歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1979年 MLBドラフト19巡目
初出場 1982年9月8日
最終出場 1995年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

ドナルド・アーサー・マッティングリーDonald Arthur Mattingly, 1961年4月20日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州エバンズビル出身のプロ野球監督、元プロ野球選手一塁手)。左投左打。愛称はマット[1]

1982年から1995年までニューヨーク・ヤンキース一筋でプレーし、シーズンMVP首位打者打点王シルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞などを獲得。背番号『23』は球団の永久欠番に指定されている。2011年から2015年まではロサンゼルス・ドジャースの監督を務め、2016年から2022年までマイアミ・マーリンズの監督を務めた。2020年最優秀監督賞を受賞。

経歴[編集]

現役時代[編集]

現役時代のマッティングリー(1988年)

1979年MLBドラフトニューヨーク・ヤンキースから19巡目に指名を受け入団。

1982年にAAA級コロンバスで打率.315を記録してメジャー昇格を果たし、9月8日ボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。

1983年6月24日のボストン・レッドソックス戦でジョン・テューダーからメジャー初本塁打を放つ。1984年は開幕からメジャーに定着し、前半戦で打率.330をマークしてオールスターゲームに初出場し、以後5年連続で選出された。後半戦で打率.357と更に数字を伸ばし、打率.343・23本塁打・110打点、共にリーグ最多の207安打・44二塁打の成績で首位打者のタイトルを獲得した。同年はチームメイトのデーブ・ウィンフィールドと激しい首位打者争いを演じ、シーズン最終戦で逆転した。MVPの投票では5位に入った。

1985年は打率.324、共にキャリアハイの35本塁打・145打点、ウェイド・ボッグスに次ぐリーグ2位の211安打、リーグ最多の48二塁打を記録して最多打点のタイトルを獲得し、初のMVP・シルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞を受賞した。

1986年はボッグスに次ぐリーグ2位の打率.352、31本塁打・113打点、共にリーグ最多で現在も球団記録の238安打・53二塁打を記録。長打率.573もリーグトップだった。MVPの投票ではロジャー・クレメンスに次ぐ2位に入った。

1987年は6月に故障者リスト入りするが7月8日ミネソタ・ツインズ戦から、オールスターゲームを挟んで7月18日テキサス・レンジャーズ戦にかけて、史上2人目となる8試合連続本塁打を達成。7月16日には満塁本塁打を含む7打点を記録した。同年はメジャー記録となる1シーズン6本の満塁本塁打を放つなど[2]、打率.327・30本塁打・115打点を記録した。

1989年は23本塁打・113打点を記録したが1990年は不振に陥り、故障もあって102試合の出場で打率.256・5本塁打に終わり同年を境に成績は下降。

1991年はチームの10代目キャプテンに就任。8月16日、髪を切らないことを理由に試合への出場停止と罰金250ドルの処分を受けた[3]1994年8月11日まで打率.304・出塁率.397を記録し、チームも地区首位に立っていたが翌日から1994年から1995年のMLBストライキに突入。そのままシーズンが打ち切られ、史上初めてワールドシリーズが中止となり、ポストシーズン出場のチャンスを逃してしまった。

ストライキが収拾された1995年にチームはワイルドカードを獲得する。自身初のポストシーズンとなったシアトル・マリナーズとのディビジョンシリーズでは第2戦で本塁打を放つなど打率.417と活躍。しかしチームは最終第5戦で逆転サヨナラ負けを喫し、2勝3敗で敗退した。オフに背中の故障を理由に34歳で現役を引退。プロ入りから引退までヤンキース一筋でプレーした、近年では数少ないフランチャイズ・プレイヤーだった。

マッティングリーの背番号「23」。
ニューヨーク・ヤンキースの永久欠番1997年指定。

1997年に自身の背番号23』がヤンキースの永久欠番に指定された。歴代のヤンキース永久欠番選手で唯一、ワールドシリーズ出場を果たすことができなかった。

コーチ・監督時代[編集]

ヤンキース打撃コーチ当時のマッティングリー

2004年にヤンキースの打撃コーチに就任して現場復帰。同年のヤンキース日本開幕戦にも来日している。2007年シーズンからはヤンキースのヘッドコーチに就任し、ジョー・トーリ監督の後継者の最有力候補と目されたが、同年オフにトーリの監督辞任を受けヘッドコーチを辞任した。2008年にトーリがドジャースの監督に就任し、それに従って打撃コーチに就任する予定であったが、1月になって家庭の理由で打撃コーチを辞し、特別コーチに就任することとなった。

2010年シーズン終了後、トーリの退団に伴い監督に昇格した。

ドジャース監督当時のマッティングリー

2014年1月7日にドジャースとの契約を2016年まで延長したことが報道された[4]

2015年9月29日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦に勝利し3年連続の地区優勝を果たしたことにより、ドジャースでは初めて3年連続でポストシーズン進出を果たした監督となったが、ディビジョンシリーズではニューヨーク・メッツに2勝3敗で敗れ、3年ともリーグ優勝は果たせなかった。10月22日に監督解任が発表された[5]。10月29日にマイアミ・マーリンズの新監督に就任することが発表された[6][7]

2022年11月30日、2023年シーズンからトロント・ブルージェイズのベンチコーチに就任することが決定した[8]

人物[編集]

  • 左投げでありながら、二塁手を1試合(パインタール事件の発生により、行われた1983年8月18日の再開試合)、三塁手を3試合務めたことがある。
  • 現役時代は大スターであるにもかかわらず飾らない気さくな性格で、アンチヤンキースからも支持されていた。
  • ウィリアムズ以外でもルーキーやトレードで移籍した選手が彼のおかげでメジャーに馴染めたと感謝する選手は少なくない。
  • 長髪事件で散髪した髪がオークションで3000ドルで落札され、慈善団体に寄付した

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1982 NYY 7 13 12 0 2 0 0 0 2 1 0 0 0 1 0 0 0 1 2 .167 .154 .167 .321
1983 91 305 279 34 79 15 4 4 114 32 0 0 2 2 21 5 1 31 8 .283 .333 .409 .742
1984 153 662 603 91 207 44 2 23 324 110 1 1 8 9 41 8 1 33 15 .343 .381 .537 .918
1985 159 727 652 107 211 48 3 35 370 145 2 2 2 15 56 13 2 41 15 .324 .371 .567 .938
1986 162 742 677 117 238 53 2 31 388 113 0 0 1 10 53 11 1 35 17 .352 .394 .573 .967
1987 141 629 569 93 186 38 2 30 318 115 1 4 0 8 51 13 1 38 16 .327 .378 .559 .937
1988 144 651 599 94 186 37 0 18 277 88 1 0 0 8 41 14 3 29 13 .311 .353 .462 .815
1989 158 693 631 79 191 37 2 23 301 113 3 0 0 10 51 18 1 30 15 .303 .351 .477 .828
1990 102 428 394 40 101 16 0 5 132 42 1 0 0 3 28 13 3 20 13 .256 .308 .335 .643
1991 152 646 587 64 169 35 0 9 231 68 2 0 0 9 46 11 4 42 21 .288 .339 .394 .733
1992 157 686 640 89 184 40 0 14 266 86 3 0 0 6 39 7 1 43 11 .288 .327 .416 .743
1993 134 596 530 78 154 27 2 17 236 86 0 0 0 3 61 9 2 42 20 .291 .364 .445 .809
1994 97 436 372 62 113 20 1 6 153 51 0 0 0 4 60 7 0 24 8 .304 .397 .411 .808
1995 128 507 458 59 132 32 2 7 189 49 0 2 0 8 40 7 1 35 17 .288 .341 .413 .754
MLB:14年 1785 7721 7003 1007 2153 442 20 222 3301 1099 14 9 13 96 588 136 21 444 191 .307 .358 .471 .829
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]

内野守備


一塁(1B) 二塁(2B) 三塁(3B)




































1982 NYY 1 4 0 0 0 1.000 - -
1983 42 278 12 1 30 .997 1 0 0 0 0 ---- -
1984 133 1107 124 5 135 .996 - -
1985 159 1318 87 7 154 .995 - -
1986 160 1377 100 6 132 .996 - 3 1 11 1 2 .923
1987 140 1239 91 5 122 .996 - -
1988 143 1250 99 9 131 .993 - -
1989 145 1274 87 7 143 .995 - -
1990 89 800 78 3 81 .997 - -
1991 127 1119 77 5 135 .996 - -
1992 143 1209 116 4 129 .997 - -
1993 130 1258 84 3 123 .998 - -
1994 97 919 68 2 95 .998 - -
1995 125 996 81 7 90 .994 - -
MLB 1634 14148 1104 64 1500 .996 1 0 0 0 0 ---- 3 1 11 1 2 .923
外野守備


左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1982 NYY 5 11 1 0 0 1.000 - 1 0 0 0 0 ----
1983 14 16 0 0 0 1.000 - 39 56 3 2 1 .967
1984 13 17 2 1 1 .950 1 2 0 0 0 1.000 6 17 0 0 0 1.000
1988 1 0 0 0 0 ---- - -
1989 - - 1 2 0 0 0 1.000
1990 1 0 0 0 0 ---- - -
MLB 34 44 3 1 1 .979 1 2 0 0 0 1.000 47 75 3 2 1 .975

年度別監督成績[編集]

年度 球団 地区 年齢 試合 勝利 敗戦 勝率 順位/
チーム数
備考 ポストシーズン
勝敗
2011 LAD NL 西 50歳 161 82 79 .509 3 / 5 -
2012 51歳 162 86 76 .531 2 / 5 -
2013 52歳 162 92 70 .568 1 / 5 NLCS敗退 5勝5敗
2014 53歳 162 94 68 .580 1 / 5 NLDS敗退 1勝3敗
2015 54歳 162 92 70 .568 1 / 5 NLDS敗退 2勝3敗
2016 MIA NL 東 55歳 161 79 82 .491 3 / 5 -
2017 56歳 162 77 85 .475 2 / 5 -
2018 57歳 161 63 98 .391 5 / 5 -
2019 58歳 162 57 105 .352 5 / 5 -
2020 59歳 60 31 29 .517 2 / 5 NLDS敗退 2勝3敗
2021 60歳 162 67 95 .414 4 / 5 -
MLB:11年 1677 820 857 .489   10勝14敗
  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はプレイオフ進出(ワイルドカードを含む)。
  • WS…ワールドシリーズ、LCS…リーグチャンピオンシップシリーズ、DS…ディビジョンシリーズ、WC…ワイルドカードゲーム(ワイルドカードシリーズ)。

タイトル[編集]

  • 首位打者:1回(1984年)
  • 打点王:1回(1985年)

表彰[編集]

  • シーズンMVP:1回(1985年)
  • シルバースラッガー賞:3回(1985年 - 1987年)
  • ゴールドグラブ賞:9回(1985年 - 1989年、1991年 - 1994年)
  • ルー・ゲーリッグ賞:1回(1993年)
  • 最優秀監督賞:1回(2020年)

記録[編集]

背番号[編集]

  • 46(1982年 - 1984年)
  • 23(1984年 - 1995年)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 加害者のホールは人格的に難がある人物で、後1993年から1995年にかけて千葉ロッテマリーンズ中日ドラゴンズでもプレーするが、いずれでもトラブルを多く起こし、当時マリーンズやドラゴンズでチームメイトであった愛甲猛小宮山悟ヘンスリー・ミューレンス山崎武司らはいずれもホールを酷評している。引退後は婦女暴行罪で逮捕され、2009年に懲役45年の判決を受けて現在服役中である。

出典 [編集]

  1. ^ Breakdown of Marlins' Players Weekend names MiLB.com (英語) (2017年8月24日) 2017年9月27日閲覧
  2. ^ キャリアで満塁本塁打を記録したのは同年のみ。
  3. ^ ヤンキースでは選手とコーチの長髪と整えられた口髭以外の髭を蓄えることを禁止している。
  4. ^ Alden Gonzalez (2014年1月7日). “Mattingly, Dodgers agree on contract extension” (英語). MLB.com. http://m.dodgers.mlb.com/news/article/66345480 2016年2月5日閲覧。 
  5. ^ Dylan Hernandez; Bill Shaikin (2015年10月22日). “Don Mattingly out as Dodgers manager”. Los Angeles Times. 2015年10月28日閲覧。
  6. ^ “Don Mattingly hired as manager of the Miami Marlins”. USA Today. (2015年10月29日). http://www.usatoday.com/story/sports/mlb/marlins/2015/10/29/don-mattingly-miami-marlins-manager/74791064/ 2015年11月2日閲覧。 
  7. ^ Joe Frisaro (2015年10月29日). “Mattingly to be next manager of Marlins”. MLB.com. 2015年11月2日閲覧。
  8. ^ Blue Jays hire Mattingly as new bench coach” (英語). MLB.com (2022年11月30日). 2022年12月1日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]