ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ

アブデス・パンテラの墓碑(バート・クロイツナハのローマンハレ博物館所蔵)

ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ(Tiberius Julius Abdes Pantera、紀元前22年頃 - 40年)は、古代ローマ兵士である。

2世紀ギリシア哲学者ケルソス英語版が、イエス・キリストの実父だと主張したとされるローマの兵士「パンテラ(Panthera)」を、彼に比定する説がある[1][2]

概説[編集]

発掘当時に描かれたアブデス・パンテラの墓石の絵(左端)

1859年ヘッセン大公国ビンゲン・アム・ライン近郊の村ビンガーブリュック英語版で行われていた鉄道工事の際、ローマ時代の墓石が発見された。そこにはラテン語で下記の碑文が記されていた。

Tib(erius) Ivl(ius) Abdes Pantera
Sidonia ann(orum) LXII
stipen(diorum) XXXX miles exs(ignifer?)
coh(orte) I sagittariorum
h(ic) s(itus) e(st)
ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ
シドニア出身、62歳
かつて弓兵第一コホルスにて軍旗手(?)を務め
40年軍務に服した者
ここに眠る

この碑文から、アブデス・パンテラの出身地はフェニキアのシドン(現チュニジア共和国サイダ)と解釈される。また、長年の兵士としての貢献により彼にはローマ市民権が与えられたと考えられ、ティベリウス帝治下にあって、ティベリウス・ユリウスというローマ人の名を授かったと推定された。

マリアがイエスを身籠もった時期、アブデス・パンテラの所属する弓兵第一コホルスはユダヤの地に駐屯していたことから、彼も同地で軍務に就いていたことが推定される。このことから、その際にマリアとの間で不貞を行い、彼女を孕ませたのではないかとする説が生まれた。

しかし、このような推定は、上記の碑文が唯一の論拠である上に、文は短く簡潔で解釈の余地が多々あり、推論に推論を重ねているに過ぎない。また、ケルソスの主張自体もその著書『真理の教え』が湮滅し、オリゲネスの反論文 『ケルソス駁論』に断片が引用される形で現存するのみであり、明確な学術的根拠がある訳ではない。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • P.Haupt/S.Hornung, "Ein Mitglied der Heiligen Familie? Zur Rezeption eines römischen Soldatengrabsteines aus Bingerbrück", Kr. Mainz-Bingen. In: Archäologische Informationen 27/1, 2004, S.133-140.
  • Marcello Craveri, La vita di Gesù, Feltrinelli, Milano, 1966, 466 pp
  • オリゲネス 著、出村みや子 訳『ケルソス駁論 I』教文館〈キリスト教教父著作集〉、1987年。ISBN 4764229080 
  • オリゲネス 著、出村みや子 訳『ケルソス駁論 II』教文館〈キリスト教教父著作集〉、1997年。ISBN 4764229099 

関連項目[編集]