チャールズ・ドーズ

チャールズ・G・ドーズ
Charles Gates Dawes
生年月日 1865年8月27日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オハイオ州マリエッタ
没年月日 1951年4月23日 (85歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イリノイ州エヴァンストン
所属政党 共和党

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
30代目副大統領
在任期間 1925年3月4日 - 1929年3月4日
大統領 カルビン・クーリッジ
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1925年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:ドイツの経済を回復し安定させる計画についての研究

チャールズ・ゲーツ・ドーズ (Charles Gates Dawes, 1865年8月27日 - 1951年4月23日)は、アメリカ合衆国の政治家。カルビン・クーリッジ政権にて30代目アメリカ合衆国副大統領を務めた。

経歴[編集]

1865年8月27日にオハイオ州ワシントン郡マリエッタに誕生した。1884年にマリエッタ大学を卒業し、その後1886年にシンシナティ法律学校を卒業した。同年に法曹界入りし、ネブラスカ州リンカーンで1887年から1894まで弁護士業を行った。ドーズは1894年から1897年まで公益事業会社及び銀行業務を行い、1898年から1901年まで財務省通貨監査長官であった。彼は1902年にアメリカ合衆国上院選挙に出馬したが落選した。

第一次世界大戦中にアメリカ陸軍に少佐として入隊し、その後中佐に昇進して、後に第17工兵隊の准将に昇進した。彼はアメリカ遠征軍の供給調達部長を務め、陸軍省清算委員会のメンバーであった。1919年に軍を退役し、予算事務局の設立で1921年に初代管理者に任命された。彼は1923年に連合軍再建委員会の委員に任命された。ドイツの経済を回復し安定させる計画(ドーズ案)についての研究でドーズは1925年にノーベル平和賞を受賞した。

1924年アメリカ合衆国大統領選挙[編集]

1924年アメリカ合衆国大統領選挙共和党候補としてカルビン・クーリッジ大統領とともに1924年11月5日に副大統領に選出され、1925年3月4日から1929年3月3日まで同職を務めた。

その他[編集]

1929年から1932年まで駐イギリス大使を務め、その後イリノイ州シカゴで銀行業務を再開し、1932年から1951年に死去するまでシティ・ナショナル・バンク・アンド・トラスト株式会社の取締役会長を務めた。彼はイリノイ州エヴァンストンで死去し、イリノイ州シカゴのローズヒル墓地に埋葬された。

作曲家として[編集]

チャールズ・ドーズは独学のピアニスト兼作曲家でもあった。「It's All In The Game(恋のゲーム)」は彼が1912年に作曲した「Melody in A Major」に1951年にカール・ジーグマン英語版が歌詞を加えたもので、同曲はトミー・エドワーズ英語版が1958年に吹き込んでアフリカ系アメリカ人として初めてBillboard Hot 100の1位を獲得した[1]ほか、ヴァン・モリソンクリフ・リチャードエルトン・ジョン山下達郎といったミュージシャンによっても録音された。

脚注[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代
カルビン・クーリッジ
アメリカ合衆国副大統領
1925年3月4日 - 1929年3月4日
次代
チャールズ・カーティス
外交職
先代
アランスン・ホートン
在イギリスアメリカ合衆国特命全権大使
1929年6月15日 - 1931年12月30日
次代
アンドルー・メロン