チップス先生さようなら (1939年の映画)

チップス先生さようなら
Goodbye, Mr. Chips
25歳時のチップス先生(ロバート・ドーナット
監督 サム・ウッド
脚本 ロバート・C・シェリフ
クローディン・ウェスト
エリック・マシュウィッツ英語版
原作 ジェームズ・ヒルトン
製作 ヴィクター・サヴィル英語版
出演者 ロバート・ドーナット
グリア・ガースン
テリー・キルバーン
音楽 リチャード・アディンセル
撮影 フレディ・ヤング
編集 チャールズ・フレンド英語版
製作会社 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
デナム・フィルム・スタジオ英語版
配給 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
公開 アメリカ合衆国の旗 1939年5月15日
イギリスの旗 1939年6月8日[1]
日本の旗 2004年2月28日 (DVD発売、劇場未公開)
上映時間 114分
製作国 イギリスの旗 イギリス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語ラテン語ドイツ語
製作費 $1,051,000[2]
配給収入 $1,717,000(北米)
$1,535,000(海外)[2]
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映像外部リンク
1928年。新任教師のジャクソンにスクールが1492年に創立され、英国の心臓部になっていることを伝えるマーシャム校長(TCMのムービークリップ)
83歳のチップスが教師に着任した58年前から回想を開始する(TCMのムービークリップ)
1870年。クリケットの試合に出場出来ずにチームが敗れ、チップスに怒りをぶつけるジョン・コリー(TCMのムービークリップ)
アルプス山脈でのキャサリンとチップスの出会い(TCMのムービークリップ)
汽車が出発する直前、キャサリンにプロポーズをするチップス(TCMのムービークリップ)
オリジナル予告編(TCMの予告編)

チップス先生さようなら』(チップスせんせいさようなら、Goodbye, Mr. Chips)は、1939年イギリスアメリカ合衆国ドラマ映画

ジェームズ・ヒルトン同名小説を原作としている。監督サム・ウッド。主演はロバート・ドーナットグリア・ガースン

老いたチップスが昔を懐かしみ、教育に携わるようになってからのキャリアや私生活を回想シーンの積み重ねで振り返る形で物語は進行していく。

概要[編集]

本作がグリア・ガースンの記念すべき初出演映画となった[3]。ガースンは後年に「私はチップス夫人がキャリアに与える影響力を完全に過小評価していました。この時ばかりは自分の間違いを嬉しく思います」と述懐している[4]。また、チップスの64年間を当時34歳のロバート・ドーナットが一人で演じている[5]1936年に亡くなったアーヴィング・タルバーグに敬意を表してクレジットタイトルには彼の名前も表示されている[6]

ピーター・オトゥール主演する1969年の映画BBCテレビが製作した1984年ミニシリーズマーティン・クルーンズ英語版が主演する2002年のテレビ映画と計3回リメイクされている[7]

チップス先生はイギリスケンブリッジにあるレイザ・スクール英語版で教師を務めたウィリアム・ヘンリー・バルガーニー英語版ジェームズ・ヒルトンの父、ジョン・ヒルトンらがモデルとなった。チップスは退職した後もスクール近くに下宿し、訪れたすべての少年にケーキお茶を振る舞っている[8]

ストーリー[編集]

回想シーンの始まり。1870年、25歳時のチップスを演じるロバート・ドーナット
チップスの妻キャサリンを演じるグリア・ガースン
おそらく1890年代、中年期のチップスを演じるロバート・ドーナット
回想シーンが始まる直前に眠りに付く。1928年、83歳時のチップスを演じるロバート・ドーナット

1928年のイギリス。83歳のチッピングは15年も前にパブリックスクールの教師を退職しているが、始業式に出席しようとしたところ、風邪のために家で安静にしているように医師から忠告される。「君が寮母だった頃は生徒が飢えていた」と下宿先のウィケット夫人をからかうが、彼女からは「それは大昔の話です。今とは時代が違いますから」と返される。夕暮れ時、暖炉の前で暖まりながら、過ぎ去りし日々が脳裏に去来する。彼の回想シーンは教師生活をスタートさせた1870年から開始される。

普仏戦争のさなかの1870年に、25歳のチャールズ・エドワード・チッピングはラテン語の新任教師としてブルックフィールド・スクールに着任する。初日から生徒達による数々の悪ふざけの標的となり、校長先生(ウェザビー)からはプレッシャーを掛けられる。教室内に厳格な規律を導入して対処した結果、生徒達はクリケットの試合に出場することも出来ず、彼らから憎まれる存在になってしまう。

ウェザビーが1888年に亡くなったことを示す胸像レリーフが表示される。

年齢も中年に差し掛かり、スクールの寄宿舎の監督者の有力候補になりながら結局は任命されず、チッピングは落胆する。そんな中、ドイツ語の教師マックス・ステュフェルから休暇中のオーストリアでの徒歩旅行に強引に誘われる。チッピングが登山中にが濃くなり、晴れるまでの間、出会ったキャサリン・エリスという名の婦人参政権論者の若いイギリス人女性と情熱的な会話を交わし、彼女に対して恋心を抱く。チッピングとキャサリンはウィーンで偶然にも再会し、二人は舞踏会場で有名な「美しく青きドナウ」の曲に合わせて踊る。この曲はチッピングのキャサリンに対する愛を象徴するライトモチーフとして使用されている。これより前に、ウィーンへ向けて移動するボートからドナウ川を眺めるチッピングはステュフェルに「ドナウ川が青く見えるのは恋をしている人だけ」と話している。別の場面では同じボートからドナウ川を眺めるキャサリンが、旅行に同行した友人(フローラ)に「私には(ドナウ川が)青く見える」と発言している。キャサリンが出発直前の汽車に乗る別れ間際、彼女はチッピングとの別れを惜しみ、彼の口に合わせてキスをする。チッピングは勇気を振り絞ってキャサリンにプロポーズをするが、彼女の乗った汽車は出発してしまう。住所も聞き出せずに別れたが、ステュフェルはそんな二人の気持ちを察して事前に手配してくれていた。キャサリンはチッピングよりも何歳も若く、はつらつとした美人だが、謙虚で寂しがりやな彼の良さを理解しており、プロポーズを受け入れて二人は結婚する。

キャサリンは生徒達を夫婦の住み家に毎週のように招待している。ユーモアに長けた彼女は短い結婚生活の間に、「チップス」というニックネームで呼んだ夫を殻の外に出すきっかけを作り、より良い教師になるための手法を示している。チップスは授業中にカヌレイア法とライアー(嘘つき)を引っ掛けた駄洒落を披露し、生徒達を爆笑の渦に巻き込む。生徒達はチップスに親しみを持ち始め、彼はコリーを筆頭に昔の生徒の多くの子や孫を教えている。チップスは念願の寄宿舎の監督者になるが、キャサリンはいつの日か夫は校長にもなれると信じている。彼女は出産時に自分の赤ちゃんと一緒に亡くなってしまう。

ボーア戦争の志願兵の増加や、ヴィクトリア女王が亡くなったニュースを友人に話す生徒が登場する。

1909年に着任した校長(ラルストン)はスクールの「近代化」を目指し、古い考えの老教師チップスに退職するよう勧告している。チップスは「シセロ」の発音を「キケロ」に変更する必要性を疑問視し、古い伝統が失われて生徒が機械化されていく現状を危惧していた。生徒達だけでなく、スクールの理事会もチップス支持の方針を打ち出し、「100歳まで現役で頑張ってもらわないと」と彼に話している。

「近代化」を主張するラルストンを改心させたチップスは最終的に1914年に引退。第一次世界大戦の長期化に伴う教員不足から終戦までの代理校長という形で復帰する。ドイツ空軍が『ツェッペリン』で爆撃を実施する中でチップスは授業を行い、ユリウス・カエサルに反抗したガリア戦争における好戦的な性質のゲルマン民族を第一次世界大戦におけるドイツ軍と重ね、『ガリア戦記』のある一文を翻訳するように生徒に依頼する。戦争は当初の予想に反して長引き、チップスは戦闘で死亡した名誉戦死者名簿英語版に記載された多くのかつての教師や教え子らの名前を毎週日曜日に読み上げる。1902年までスクールでドイツ語を教え、敵のドイツ軍側で戦闘に参加して死亡したマックス・ステュフェルの名前も同様に読み上げる。チップスは1918年に再び退職する。

1933年に死の床にあるチップスは見舞った人物が身寄りもない彼を哀れんでいるのを耳にして、「子供はいたよ。何千人も。何千人もの子供たちがみんな私の息子なんだ[9]」と返答する。

キャスト[編集]

クレジットに記載されたキャストと、その役を演じた俳優は以下の通り[10]

評価[編集]

批評[編集]

2015年3月22日時点で、ロッテン・トマトには本作についての16人の批評家のレビューが集まっている。そのうち13人からの肯定的な評価を獲得し、「トマトメーター」は81%になっている[13]

映画賞の受賞・ノミネート[編集]

本作が公開された1939年第11回ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞ではトップ10映画英語版の1作品に選ばれている。

ロバート・ドーナットは第12回アカデミー賞アカデミー主演男優賞を受賞した。受賞が有力視されていた『風と共に去りぬ』のクラーク・ゲーブルは賞を逃したばかりでなく、『スミス都へ行く』のジェームズ・スチュワートの後塵を拝する3位に終わった[14]。それ以外にも映画は賞の6部門にノミネートされている。

選考年 映画賞 部門 候補者 結果
1939年 1939年のカンヌ国際映画祭フランス語版[15] パルム・ドール サム・ウッド ノミネート
第11回ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞[16] トップ10映画英語版 受賞
第5回ニューヨーク映画批評家協会賞[17] 主演男優賞 ロバート・ドーナット 3位[18]
1940年 第12回アカデミー賞[19] 作品賞 ノミネート
監督賞 サム・ウッド
主演男優賞 ロバート・ドーナット 受賞
主演女優賞 グリア・ガースン ノミネート
脚色賞 ロバート・C・シェリフ、クローディン・ウェスト、エリック・マシュウィッツ英語版
編集賞 チャールズ・フレンド英語版
録音賞 A・W・ワトキンス英語版

ランキング入り[編集]

選考年 媒体・団体 部門 対象 順位
1999年 イギリス映画協会 イギリス映画ベスト100英語版[20] 『Goodbye, Mr. Chips』(『チップス先生さようなら』) 72位
2003年 アメリカ映画協会 アメリカ映画のヒーローベスト50[21] アーサー・チップス(ロバート・ドーナット) 41位

ロケ[編集]

2007年に撮影。レプトン・スクール

架空のブルックフィールド・スクールの外観はレプトン・スクールで撮影された[22]。レプトン・スクールに所属する約300人(記事によっては200人とも)の生徒や教員がエキストラとして出演するために、スクールの休暇中にデナム・フィルム・スタジオ英語版に滞在していた[23]。チップスとキャサリンの出会いの場となったスイスアルプス山脈の霧の山もデナム・フィルム・スタジオで撮影されたものである[24]

グリア・ガースンはロバート・ドーナットとの思い出について後年に「彼について知っているのは一緒に仕事をしていた期間のみですが、並外れた才能の持ち主の非常に特別な人間として、最高の良い思い出になっています」と回想している[25]

出典[編集]

  1. ^ Goodbye, Mr. Chips (1939) - Release dates” (英語). IMDb.com. 2014年10月18日閲覧。
  2. ^ a b The Eddie Mannix Ledger, Los Angeles: Margaret Herrick Library, Center for Motion Picture Study 
  3. ^ Greer Garson - Biography” (英語). IMDb.com. 2014年10月18日閲覧。
  4. ^ Michael Troyan (英語). A Rose for Mrs. Miniver: The Life of Greer Garson. Univ Pr of Kentucky. p. 94. ISBN 978-0813120942 
  5. ^ Goodbye, Mr. Chips (1939) - Trivia” (英語). IMDb.com. 2014年10月20日閲覧。
  6. ^ Goodbye, Mr. Chips” (英語). AFI.com. 2014年11月1日閲覧。
  7. ^ Goodbye, Mr. Chips (1939)” (英語). Filmsite.org. 2014年10月20日閲覧。
  8. ^ Timothy Carroll (2002年12月9日). “Who was the real Mr Chips?” (英語). Telegraph.co.uk. 2014年10月18日閲覧。
  9. ^ Goodbye, Mr. Chips (1939) - Quotes” (英語). IMDb.com. 2014年11月1日閲覧。
  10. ^ Goodbye, Mr. Chips (1939) - Full Cast & Crew” (英語). IMDb.com. 2014年10月20日閲覧。
  11. ^ Variety Staff (1938年12月31日). “Review: ‘Goodbye, Mr. Chips’” (英語). Variety.com. 2014年10月20日閲覧。
  12. ^ Frank S. Nugent (1939年5月16日). “Metro's London-Made Version of 'Goodbye, Mr. Chips' Has Its Premiere at the Astor Theatre At the Fifth Avenue Playhouse” (英語). NYTimes.com. 2014年10月20日閲覧。
  13. ^ GOODBYE, MR. CHIPS (1939)” (英語). RottenTomatoes.com. 2015年3月22日閲覧。
  14. ^ 17. Clark Gable ('Gone with the Wind') loses Best Actor to Robert Donat ("Goodbye Mr. Chips') in 1939” (英語). Goldderby.com. 2014年10月22日閲覧。
  15. ^ Cannes Film Festival Awards for 1939 Palme d'Or” (英語). IMDb.com. 2014年11月3日閲覧。
  16. ^ National Board of Review, USA Awards for 1939 NBR Award” (英語). IMDb.com. 2014年11月3日閲覧。
  17. ^ New York Film Critics Circle Awards Awards for 1939 NYFCC Award” (英語). IMDb.com. 2014年11月3日閲覧。
  18. ^ Goodbye, Mr. Chips (1939) - Awards” (英語). IMDb.com. 2014年10月18日閲覧。
  19. ^ Academy Awards, USA Awards for 1940 Oscar” (英語). IMDb.com. 2014年11月3日閲覧。
  20. ^ Best 100 British films” (英語). BBC.co.uk. 2014年10月18日閲覧。
  21. ^ AFI's 100 GREATEST HEROES & VILLAINS” (英語). AFI.com. 2014年10月20日閲覧。
  22. ^ Repton, Derbyshire” (英語). Derbyshirelife.co.uk (2010年2月1日). 2014年10月18日閲覧。
  23. ^ Cinema: The New Pictures: May 22, 1939” (英語). TIME.com (1939年5月22日). 2014年11月1日閲覧。
  24. ^ Victor Saville、Roy Moseley (英語). Evergreen: Victor Saville in His Own Words. Southern Illinois Univ Pr. p. 127. ISBN 978-0809323159 
  25. ^ Michael Troyan. A Rose for Mrs. Miniver: The Life of Greer Garson. p. 92 

外部リンク[編集]

ストリーミング音声