チェーティル・アンドレ・オーモット

チェーティル・アンドレ・オーモット
名前
本名 Kjetil André Aamodt
基本情報
国籍 ノルウェー
種目 Ski Club Nordstrand IF
生年月日 (1971-09-02) 1971年9月2日(52歳)
生誕地  ノルウェーオスロ
身長 176 cm
ワールドカップ戦歴
デビュー年 1990年
引退年 2007年
総合優勝 1994年
通算成績 通算21勝、表彰台回数42回、種目別優勝8回(スーパー大回転:1993年、大回転:1993年、回転:2000年、複合:1994年、1997年、1999年、2000年、2002年)
獲得メダル
冬季オリンピック
1992 アルベールビル スーパー大回転
2002 ソルトレークシティ スーパー大回転
2002 ソルトレークシティ 複合
2006 トリノ スーパー大回転
1994 リレハンメル 滑降
1994 リレハンメル 複合
1992 アルベールビル 大回転
1994 リレハンメル スーパー大回転
アルペンスキー世界選手権
1993 Morioka 大回転
1993 Morioka 回転
1997 Sestriere 複合
1999 Vail 複合
2001 St. Anton 複合
1991 Saalbach スーパー大回転
1993 Morioka 複合
2001 St. Anton 大回転
2003 St. Moritz 滑降
1996 Sierra Nevada スーパー大回転
1999 Vail 滑降
2003 St. Moritz 複合

チェーティル・アンドレ・オーモット(Kjetil André Aamodt、1971年9月2日 - )は、ノルウェーオスロ出身の元アルペンスキー選手。1990年代から2000年代に活躍しオリンピックと世界選手権で合わせて20個ものメダルを獲得した。日本では「ケトル(ケティル)・アンドレ・オモット」と紹介されることもある。

人物[編集]

1990年アルペンスキージュニア世界選手権で、滑降スーパー大回転、複合の3冠を獲得し、同年アルペンスキー・ワールドカップにデビュー。1991年、オーストリア・ザールバッハで行われたアルペンスキー世界選手権で、スーパー大回転2位となり注目を浴びた。

しかし、その後病気で低迷。1992年アルベールビルオリンピックの3ヶ月前まで入院し、11kg体重が落ちた。しかし、2ヵ月後にトレーニングに戻り、その6週間後にアルベールビルオリンピックのスーパー大回転で優勝。ノルウェーに40年ぶりのアルペンスキーのオリンピックメダルをもたらした。また、大回転でも銅メダルを獲得した。

1993年世界選手権盛岡雫石大会では、大回転と回転で優勝、複合で2位となり、この世界選手権でもっとも活躍した選手として記憶されている。1992-1993シーズンのワールドカップでは大回転と回転の種目別総合で優勝、全体総合で2位となった。

1994年リレハンメルオリンピックでは、滑降と複合で銀、スーパー大回転で銅メダルと、3つのメダルを獲得した。ワールドカップでは全体総合優勝を果たした。

1996年アルペンスキー世界選手権(スペイン、シェラネバダ)では、スーパー大回転で銅メダルを獲得。

1997年アルペンスキー世界選手権(イタリア、セストリエール)では、複合で金メダルを獲得した。

1998年長野オリンピックでは、スーパー大回転での5位が最高と低迷した。

1999年アルペンスキー世界選手権(アメリカ、ヴェイル)では複合で金メダル、滑降で銅メダルを獲得した。

2001年アルペンスキー世界選手権オーストリアサンクト・アントン)では複合で金メダルを獲得。大回転でも銀メダルを獲得した。

2002年ソルトレイクシティオリンピックではスーパー大回転と複合で金メダルを獲得。

2003年アルペンスキー世界選手権スイス、サンモリッツ)では、滑降で銀メダル、複合で銅メダルを獲得。

2006年トリノオリンピックでは滑降4位、スーパー大回転ではオリンピック4個目の金メダルを獲得した。

日本のスキー雑誌にも度々技術が解説される事があったが、競技中ではないフリースキー中になぜか常時舌をだしながら滑る癖がある。また一時は夏季の練習場所としてららぽーとスキードームSSAWSを愛用していたなど、実は日本との縁が少なくない選手である。

アルペンスキー・ワールドカップ通算21勝(2位21回、3位20回)、総合優勝1回、総合2位5回。

ミスター・メダリスト[編集]

オーモットはオリンピックと世界選手権を合わせて通算9個の金メダルを獲得したが、回転、大回転、スーパー大回転、複合と来て、滑降だけは銀メダルに甘んじた。

2003年、スイス・サンモリッツでの世界選手権。その滑降競技で、コース終盤までトップのタイムを刻んでおきながら、大きなミスを犯して銀メダル止まり、わずかの差で金メダルを逃してしまった。そのときの共同記者会見で、オーモットは残念そうに、こう感想を述べた。「金メダルは買うことにした」と。そして、隣に座っていた金メダルのミヒャエル・ヴァルヒホーファーに、「そこで話があるんだが、いくらで譲ってくれるんだい?」と言ったジョークは有名。

2003年、獲得した19個のメダルがノルウェーのオスロにある自宅の金庫から盗まれる被害に遭ったが、その後発見されて手元に戻った[1]

2007年1月、『もう肉体的にも精神的にも競技は続けられない』と35歳で現役を引退した。

脚注[編集]

外部リンク[編集]