ダンカン・アームストロング

ダンカン・アームストロング
泳法 自由形
所属 西オーストラリア
大学 フロリダ大学
生年月日 (1968-04-07) 1968年4月7日(56歳)
生誕地 オーストラリアの旗 オーストラリア クイーンズランド州ロックハンプトン
身長 188 cm
体重 74 kg
獲得メダル
男子競泳
オーストラリア
オリンピック
1988年ソウル 200m自由形
1988年ソウル 400m自由形
コモンウェルスゲームズ
1986年エディンバラ 400m自由形
1986年エディンバラ 4×200m自由形リレー
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ダンカン・ジョン・ダーシー・アームストロング(Duncan John D'Arcy Armstrong OAM1968年4月7日 - )は、オーストラリアの元競泳選手である。1988年ソウルオリンピック金メダル銀メダルを獲得したことでよく知られている。アームストロングは、今日では一般的となっている「金メダルを噛む」という行為を、世界で初めて行った人物とされる[1]

若年期[編集]

アームストロングは、1968年4月7日クイーンズランド州ロックハンプトンで生まれ[2]、5歳の時に水泳を始めた。アームストロングに競泳選手の素質があると見込まれたことから、一家でブリスベンに移り、10代のときからローリー・ローレンス英語版が指導するA.C.I.ローレンス・スイミングクラブでトレーニングを始めた[3][4]。このスイミングクラブには、1984年ロサンゼルスオリンピックの金メダリスト、ジョン・シーベン英語版も所属しており、アームストロングはシーベンを手本にし、シーベンのようにオリンピックで金メダルを取ることを目標とした。アームストロングはブリスベン州立高校に通い、水泳部のキャプテンを務め[5]、1985年に卒業した[5]

キャリア[編集]

初めて出場した国際大会は、1986年エディンバラで開催されたコモンウェルスゲームズだった。400メートル自由形では、25メートル近い差をつけられたレース中盤からの追い上げで初の金メダルを獲得した[3]。4×200メートル自由形リレーにオーストラリアチームの一員として出場し、2つ目の金メダルを獲得した[6]

1988年ソウルオリンピックの200メートル自由形では、当時の世界記録保持者であるアメリカのマット・ビオンディ、および、過去に世界記録を保持していたポーランドのアルトゥール・ヴォイダット英語版、西ドイツのミヒャエル・グロスと対戦した[6]。当時世界ランキング46位[3]のアームストロングは優勝候補ではなかったが、何年間も1日20キロメートル泳ぐトレーニングを続けてきたことで、優勝への強い自信を持っていた[7]。ローレンスはアームストロングに対し、隣のレーンのビオンディにできるだけついて行くよう指示した[8]。150メートル通過の時点でアームストロングは3位だったが、ラストの25メートルでスウェーデンのアンデルス・ホルメルツ英語版とビオンディを抜き、1分47秒25の世界新記録で金メダルを獲得した[3][6][7]。2位のホルメルツは1分47秒89、3位のビオンディは1分47秒99だった[9][10]。この表彰式において、アームストロングは金メダルを噛んだ。その理由は不明であるが、一説には、金メダルが本物の金であるか確かめようとしたという[1]。これが、表彰式で金メダルを噛んだ最初の例であるとする説がある[1]

400メートル自由形でもアームストロングは出遅れ、100メートル通過時点では最下位、300メートル通過時点でも最後から2番目だった。そこから追い上げを見せて先頭まで追いついた。決着は写真判定となり、東ドイツのウーヴェ・ダスラー英語版(3分46秒95)に次ぐ2位(3分47秒14)となった[11]。これは、自己ベストを5秒以上更新する記録であり[6]、3位までがそれまでの世界記録を更新した[12]。4×200メートル自由形リレーにもオーストラリアチームで出場し、4位に入賞した[13]。アームストロングは、オリンピックでの活躍により、同年のヤング・オーストラリアン・オブ・ザ・イヤーに選ばれた[14]

ソウルオリンピックの後、アームストロングはアメリカのフロリダ大学に進学し、同大学の水泳部でランディ・リース英語版の指導を受けた[15][16]。アームストロングはサウスイースタン・カンファレンスで500ヤード自由形、400ヤード自由形リレー、800ヤード自由形リレーのタイトルを獲得し、1989年には400メートル自由形リレーと800メートルの自由形リレーで全米大学代表に選ばれた[15]

アームストロングは、1990年ニュージーランドオークランドで開催されるコモンウェルスゲームズでも優勝の期待がかけられていたが、伝染性単核球症を発症したため出場を断念した。1992年バルセロナオリンピックでは、4×200メートル自由形リレーのオーストラリアチームの一員として出場したが、決勝に進出できなかった[17]。1992年のオリンピックを最後に、一旦引退した。

1998年6月、30歳となっていたアームストロングは、2000年に本国オーストラリアで開催されるシドニーオリンピックに向けて、競泳選手として復帰することを表明した。しかし、2か月間トレーニングした後、復帰を断念して引退することを発表した[18]

引退後[編集]

引退後は、オーストラリアのテレビネットワーク「ナイン・ネットワーク」の「ワイド・ワールド・オブ・スポーツ英語版」に水泳解説者として出演するほか、オーストラリアのスポーツ専門チャンネル「フォックス・スポーツ」の水泳中継を担当し、「フォックス・スポーツ・セントラル」という番組の司会を務めた[19]。また、安全な水泳を提唱し、後進の指導にもあたっている。

1989年にオーストラリア勲章英語版[20]を、2000年にオーストラリア・スポーツ・メダル英語版[21]を受章し、2001年には水泳を通じたオーストラリア社会への貢献を賛えてセンテナリー・メダルが授与された[22]。1993年にスポーツ・オーストラリア殿堂英語版[6]、1996年に国際水泳殿堂[3]、2009年にクイーンズランド州スポーツ殿堂[23]にそれぞれ殿堂入りした。

私生活[編集]

アームストロングは、アメリカの競泳選手であるタミ・ブルース英語版と1989年に結婚し、2人の息子をもうけた[24][25]が、後に離婚した[2]。その後に結婚したレベッカとの間に3人の子供がいる[19]

アームストロングはキリスト教信者であり、キリスト教に関する講演も行っている[19][26]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 木村直樹(編集部員)「「金メダルを噛む」ポーズ、日本人第1号は誰? 当時を知る人に聞くと...」『J-CASTニュースジェイ・キャスト、2019年7月28日。2020年3月12日閲覧。
  2. ^ a b "Duncan Armstrong". Sports-Reference.com. Sports Reference LLC. 2015年3月10日閲覧
  3. ^ a b c d e International Swimming Hall of Fame, Honorees, Duncan Armstrong (AUS) Archived 2 April 2015 at the Wayback Machine.. Retrieved 9 March 2015.
  4. ^ John Lohn, Historical Dictionary of Competitive Swimming Archived 9 June 2015 at the Wayback Machine., Scarecrow Press, Lanham, Maryland, p. 3 (2010). Retrieved 7 March 2015.
  5. ^ a b Brisbane State High School, Legends of State High Archived 10 March 2015 at the Wayback Machine.. Retrieved 10 March 2015.
  6. ^ a b c d e Sport Australia Hall of Fame, Athlete Members, Duncan Armstrong Archived 21 July 2020 at the Wayback Machine.. Retrieved 24 September 2020.
  7. ^ a b “Olympic Champion Duncan Armstrong and Why You Should Dream Big and Train Bigger”. YourSwimLog.com. (2018年10月19日). オリジナルの2018年10月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181031052350/https://www.yourswimlog.com/dream-big-and-train-bigger/ 2018年10月30日閲覧。 
  8. ^ Australian Olympic Committee, Duncan Armstrong Athlete Biography Archived 3 November 2013 at the Wayback Machine.. Retrieved 12 March 2015.
  9. ^ Sports-Reference.com, Olympic Sports, Swimming at the 1988 Seoul Summer Games, Men's 200 metres Freestyle Final Archived 7 December 2014 at the Wayback Machine.. Retrieved 9 March 2015.
  10. ^ Ross Atkin, "Aussie attack blows US out of the water again Archived 2 April 2015 at the Wayback Machine.," The Christian Science Monitor (20 September 1988). Retrieved 13 March 2015.
  11. ^ Sports-Reference.com, Olympic Sports, Swimming at the 1988 Seoul Summer Games, Men's 400 metres Freestyle Final Archived 7 December 2014 at the Wayback Machine.. Retrieved 9 March 2015.
  12. ^ Sharon Robb, "Cetlinski Slips To Fourth Archived 2 April 2015 at the Wayback Machine.," Sun Sentinel (23 September 1988). Retrieved 13 March 2015.
  13. ^ Sports-Reference.com, Olympic Sports, Swimming at the 1988 Seoul Summer Games, Men's 4 × 200 metres Freestyle Relay Final Archived 7 October 2014 at the Wayback Machine.. Retrieved 10 March 2015.
  14. ^ Australian of the Year Awards, Honour Roll, Duncan Armstrong OAM Archived 2 April 2015 at the Wayback Machine.. Retrieved 13 March 2015.
  15. ^ a b Florida Swimming & Diving 2014–15 Media Supplement Archived 18 February 2015 at the Wayback Machine., University Athletic Association, Gainesville, Florida, pp. 79, 83, 87, 100 (2014). Retrieved 9 March 2015.
  16. ^ Ron Kaspriske, "Florida swimming team signs gold medal winner Archived 24 September 2020 at the Wayback Machine.," The Gainesville Sun, pp. 1C & 4C (10 January 1989). Retrieved 12 March 2015.
  17. ^ Sports-Reference.com, Olympic Sports, Swimming at the 1992 Barcelona Summer Games, Men's 4 × 200 metres Freestyle Relay Final Archived 12 July 2015 at the Wayback Machine.. Retrieved 9 March 2015.
  18. ^ "Armstrong re-retires Archived 6 April 2015 at the Wayback Machine.," Swimming World Magazine (12 October 1998). Retrieved 13 March 2015.
  19. ^ a b c Calvary Christian College, News, "Learn success with Duncan Armstrong, gold Olympic medallist Archived 30 June 2015 at the Wayback Machine.". Retrieved 27 June 2015.
  20. ^ Duncan John D'Arcy Armstrong OAM”. Department of the Prime Minister and Cabinet. 2011年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月4日閲覧。
  21. ^ Duncan John Armstrong”. Department of the Prime Minister and Cabinet. 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月4日閲覧。
  22. ^ Duncan John Armstrong”. Department of the Prime Minister and Cabinet. 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月4日閲覧。
  23. ^ Qsport, Queensland Sport Hall of Fame, Mr Duncan Armstrong OAM Archived 27 January 2014 at the Wayback Machine.. Retrieved 12 March 2015.
  24. ^ "Armstrong's lack of form worries trainer Archived 24 September 2020 at the Wayback Machine.," The Age, p. 23 (23 October 1989). Retrieved 10 March 2015.
  25. ^ Alan Clarkson, "Our New Supermum Archived 4 March 2015 at the Wayback Machine.," The Sun Herald (14 November 1993). Retrieved 10 March 2015.
  26. ^ https://www.acc.edu.au/podcast/duncan-armstrong/The Archived 3 July 2020 at the Wayback Machine. Inspiration Project

参考文献[編集]

外部リンク[編集]