タイソン・チャンドラー

タイソン・チャンドラー
Tyson Chandler
ニューヨーク・ニックスでのチャンドラー
(2012年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1982-10-02) 1982年10月2日(41歳)
出身地 カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州ハンフォード
身長 213cm (7 ft 0 in)
体重 107kg (236 lb)
キャリア情報
高校 ドミンゲス高等学校
NBAドラフト 2001年 / 1巡目 / 全体2位[1]
プロ選手期間 2001年–2020年
ポジション C
背番号歴 3, 6, 4, 5, 19
経歴
20012006シカゴ・ブルズ
20062009ニューオーリンズ・ホーネッツ
2009–2010シャーロット・ボブキャッツ
2010–2011ダラス・マーベリックス
20112014ニューヨーク・ニックス
2014–2015ダラス・マーベリックス
20152018フェニックス・サンズ
2018–2019ロサンゼルス・レイカーズ
2019–2020ヒューストン・ロケッツ
受賞歴
NBA通算成績
得点 9,509 (8.2 ppg)
リバウンド 10,467 (9.0 rpg)
ブロック 1,335 (1.2 bpg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
金メダル - 1位 2012 ロンドン
世界選手権
金メダル - 1位 2010 トルコ
アメリカ選手権
金メダル - 1位 2007 ラスベガス

タイソン・クレオティス・チャンドラーTyson Cleotis Chandler, 1982年10月2日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州コンプトン出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはセンター

経歴[編集]

学生時代[編集]

チャンドラーがバスケットボールを始めたのは14歳からだが、その頃にはすでに身長2mを越えていた。高校はドミンゲス高校に進学。チームメイトのテイショーン・プリンスとともに同校を州チャンピオンに導き、同校は全米ランキング1位に輝いた。チャンドラー自身は4年生の時には26得点15リバウンド8ブロックのアベレージを残し、パレード誌、USAトゥデイ誌、マクドナルド・オール・アメリカンチームに選ばれた。高校卒業後、大学には進学せず2001年のNBAドラフトにエントリーした[1]

ブルズ時代[編集]

ドラフトにてチャンドラーはロサンゼルス・クリッパーズから1巡目2位指名という高順位指名を受けるが、ドラフト当日にクリッパーズとシカゴ・ブルズとの間でトレードが成立し、チャンドラーはブルズに入団した。クリッパーズ側の高卒ルーキーであるチャンドラーとブライアン・スキナーに対し、ブルズ側のエルトン・ブランドというトレード内容は、チャンドラーに対するブルズの期待の高さが窺い知れることとなった。また同じく高卒で同年にブルズ入りしたエディ・カリーと共に将来を嘱望され、ブルズの伝説的プレイヤーであるマイケル・ジョーダンの背番号「23」にあやかって、カリーは「2」、チャンドラーは「3」の背番号を与えられた。

ルーキーイヤーとなった2001-02シーズンはあまり出場機会を得られることはできず、6.1得点4.8リバウンド1.3ブロックの成績で終わった。翌02-03シーズンには先発に定着し、出場時間の増加に伴い個人成績も上昇した。このオフにカリーがチームを去り、主にディフェンスで力を発揮していたチャンドラーは、カリーが担っていたオフェンス面での働きを求められるようになった。チャンドラーはチームの期待に応える活躍を見せ、03-04シーズン序盤11月の月間MVPを獲得した。しかし12月に入り腰の故障を患ったチャンドラーは47試合を欠場し、不本意なシーズンを過ごした。翌04-05シーズンには前シーズンより就任したスコット・スカイルズHCの方針により、再び控えに回るようになった。チャンドラーは平均9本以上を稼ぎ出す有力なリバウンダーへと成長し、このシーズンのジョーダン時代以来となるプレイオフ進出に貢献したが、一方でオフェンス力はなかなか向上の気配を見せず、チャンドラーに対するドラフト当時の期待は徐々に薄れていった。05-06シーズンも2シーズン連続でプレイオフに進出したが、プレイオフではわずか平均17.3分間の出場時間しか与えられず、平均得点は1.8得点だった。このオフ、ブルズはディフェンスのスペシャリストである名センターのベン・ウォーレスを獲得。チャンドラーはトレードに出されることになった。

ホーネッツ時代[編集]

チャンドラーのトレード先はニューオリンズ・ホーネッツだった。新天地での最初のシーズンとなった2006-07シーズンには飛躍的に出場時間が伸び、リバウンドは平均12.4を記録、リーグ全体で3位となった。チャンドラーの加入で活性化されたホーネッツはシーズン前半こそカンファレンス上位に入っていたものの、後半になると主力選手の故障などで失速し、プレイオフ進出は逃した。

2007-08シーズンは、オフェンスでも力を発揮するようになった。チームのエースクリス・ポールとのピック&ロールからの得点は、ホーネッツにとっての重要な得点源の一つとなり、特にポールのアシストから繰り出されるチャンドラーのダンクはリーグでも最も阻止が難しい得点ラインの一つとなった。得点アベレージは初めて二桁を突破し、11.8得点11.7リバウンドの成績を記録、FG成功率62.3%はリーグ3位の記録だった。主力選手が大きな怪我なく過ごしたホーネッツは、チャンドラーの成長やポールの目覚しい活躍などに後押しされ、56勝26敗と大躍進を遂げ、プレーオフではカンファレンス準決勝まで進出した。

2008-09シーズンは更なる飛躍が期待されたが、チャンドラーは37試合を欠場するなどし本来の力を発揮できず、チームも思うように勝率が伸びなかった。またこの頃ホーネッツは財政難になっており、チャンドラーの放出の機会を窺っていた。そしてトレードデッドライン直前にオクラホマシティ・サンダーとのチャンドラーを中心としたトレードが成立したが、その際の健康診断でチャンドラーに問題が見つかったため、このトレードは破談となった。しかしシーズン終了後にはエメカ・オカフォーとのトレードで、シャーロット・ボブキャッツへの移籍が決まった。

ボブキャッツ時代[編集]

ボブキャッツ移籍後、インサイドの主力として期待されたが、怪我の影響で51試合の出場に留まった。シーズン後、エリック・ダンピアー等とのトレードでダラス・マーベリックスに移籍した[2]

マーベリックス時代[編集]

マブスは2006年のNBAファイナルに出場後、4シーズン、カンファレンスセミファイナル進出が最高の成績であった。悲願であったファイナル制覇にとって課題となっていたのはインサイド。チームのインサイドのエースであるダーク・ノヴィツキーはディフェンスがあまり得意ではなく、全体的にインサイドの守備が弱いチームであった。チャンドラーの加入はまさにそのピースを埋めるためだと言っても過言ではなかった。シーズンが始まって出場した74試合全てに先発し平均10,4得点、9,4リバウンドの成績を上げた。このシーズン、マブスは好調で57勝25敗のカンファレンス2位タイの第3シードでプレーオフに出場した。ファイナル出場から4シーズン、プレーオフでは不調が続いていたマブスは1回戦でポートランド・トレイルブレイザーズを4勝2敗で破り、カンファレンスセミファイナルで3連覇を狙うロサンゼルス・レイカーズを4勝0敗とスイープで下した。勢いは止まらずカンファレンスファイナルでは4勝1敗でオクラホマシティ・サンダーを破ってマブスは5年ぶり2度目のファイナルに出場した。ファイナルの相手は奇しくも5年前と同じマイアミ・ヒートだった。ヒートはレブロン・ジェームズドウェイン・ウェイドクリス・ボッシュのビッグ3を擁し、優勝候補筆頭とも言われていた。マブスは初めのアウェー2試合を1勝1敗とし、ホームに戻るも3戦目に敗れ1勝2敗となった。しかし残りホーム2試合を連勝し、3勝2敗で再びマイアミに乗り込んだ6戦目105-95で勝利し、マブスは悲願の初優勝、チャンドラーも初のチャンピオンリングを手に入れた[3]

ニックス時代[編集]

2011年12月12日、ニューヨーク・ニックスと4年総額5600万ドルで契約した[4]。背番号は6。

マーベリックス復帰へ[編集]

2014年6月25日、ニューヨーク・ニックスからレイモンド・フェルトンと共にサミュエル・ダレンベアホセ・カルデロン他、6選手が絡むトレードで2010-2011シーズンにチャンピオンリングを手にしたダラス・マーベリックスに復帰した[5]

サンズ時代[編集]

2015年7月1日、フェニックス・サンズと3年5200万ドルで契約した[6]

ロサンゼルス・レイカーズ[編集]

2018年11月6日、ロサンゼルス・レイカーズと契約した[7]

ヒューストン・ロケッツ[編集]

2019年7月19日、ヒューストン・ロケッツと契約した[8]

引退後[編集]

その後、2021年の夏にダラス・マーベリックスの選手育成コーチに就任したこが発表された[9]

個人成績[編集]

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ

レギュラーシーズン[編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2001–02 CHI 71 31 19.6 .497 --- .604 4.8 .8 .4 1.3 6.1
2002–03 75 68 24.4 .531 --- .608 6.9 1.0 .5 1.4 9.2
2003–04 35 8 22.3 .424 .000 .669 7.7 .7 .5 1.2 6.1
2004–05 80 10 27.4 .494 .000 .673 9.7 .8 .9 1.8 8.0
2005–06 79 50 26.8 .565 .000 .503 9.0 1.0 .5 1.3 5.3
2006–07 NOH 73 73 34.6 .624 .000 .527 12.4 .9 .5 1.8 9.5
2007–08 79 79 35.2 .623 .000 .593 11.7 1.0 .6 1.1 11.8
2008–09 45 45 32.1 .565 --- .579 8.7 .5 .3 1.2 8.8
2009–10 CHA 51 27 22.8 .574 --- .732 6.3 .3 .3 1.1 6.5
2010–11 DAL 74 74 27.8 .654 --- .732 9.4 .4 .5 1.1 10.1
2011–12 NYK 62 62 33.2 .679 .000 .689 9.9 .9 .9 1.4 11.3
2012–13 66 66 32.8 .638 --- .694 10.7 .9 .6 1.1 10.4
2013–14 55 55 30.2 .593 .000 .632 9.6 1.1 .7 1.1 8.7
2014–15 DAL 75 75 30.5 .666 --- .720 11.5 1.1 .6 1.2 10.3
2015–16 PHX 66 60 24.5 .583 .000 .620 8.7 1.0 .5 .7 7.2
2016–17 47 46 27.6 .671 --- .734 11.5 .6 .7 .5 8.4
2017–18 46 46 25.0 .647 --- .617 9.1 1.2 .3 .6 6.5
2018–19 7 0 12.7 .667 --- .556 5.6 .9 .3 .1 3.7
LAL 48 6 16.4 .609 .000 .594 5.6 .6 .4 .5 3.1
2019–20 HOU 26 5 8.4 .778 --- .462 2.5 .2 .2 .3 1.3
Career 1,160 886 27.3 .597 .000 .644 9.0 .8 .5 1.2 8.2
All-Star 1 0 17.0 .400 --- 1.000 8.0 .0 .0 .0 7.0

プレーオフ[編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2005 CHI 6 0 28.7 .475 --- .696 9.7 1.3 .2 2.2 11.7
2006 6 0 17.3 .667 --- .300 4.5 .5 .3 .3 1.8
2008 NOH 12 12 34.3 .632 --- .625 10.3 .4 .4 1.7 8.0
2009 4 4 23.5 .500 --- .500 5.3 .5 .5 .3 3.8
2010 CHA 4 0 15.0 .545 --- .667 2.5 .5 .5 .8 3.5
2011 DAL 21 21 32.4 .582 --- .679 9.2 .4 .6 .9 8.0
2012 NYK 5 5 33.4 .440 --- .600 9.0 .8 1.4 1.4 6.2
2013 12 12 29.2 .538 --- .750 7.3 .3 .7 1.2 5.7
2015 DAL 5 5 32.0 .655 --- .500 10.8 .2 .6 1.2 10.2
2020 HOU 1 0 0.0 --- --- .000 .0 .0 .0 .0 .0
Career 76 59 29.3 .566 --- .634 8.3 .5 .6 1.1 7.0

アメリカ代表[編集]

2010年8月、トルコで行われた世界選手権にてアメリカ代表として出場。ブルック・ロペスロビン・ロペスなどのセンタープレイヤーが相次いで欠場する中、唯一のセンタープレイヤーとして金メダル獲得に貢献した。2012年8月に行われたロンドンオリンピックでは金メダルを獲得した。

プレイスタイル[編集]

ディフェンスで才能を発揮するビッグマンで、恵まれたサイズと俊敏性でリバウンドを量産する。特にオフェンスリバウンドの争いでは無類の強さを誇る。オフェンスではダンクシュートを主としており、忘れた頃にやってくるアリウープダンクは、相手チームにとっては脅威である。

エピソード[編集]

  • 既婚者で2人の子持ち。

脚注[編集]

  1. ^ Tyson Chandler — Biography”. NBA.com (2015年7月2日). 2015年7月3日閲覧。
  2. ^ Mavericks acquire chandler and ajinca in five-player trade”. NBA.com (2010年7月13日). 2010年7月13日閲覧。
  3. ^ “What's next for the Dallas Mavericks?”. Espn.com. (2011年6月14日). http://sports.espn.go.com/nba/playoffs/2011/news/story?page=5-on-5Mavs-110614 2011年6月15日閲覧。 
  4. ^ Tim MacMahonESPNDallas.comFollowArchive (2011年12月10日). “Center Tyson Chandler agrees to terms with New York Knicks - ESPN Dallas”. ESPN.com. 2012年4月24日閲覧。
  5. ^ Mavs acquire Tyson Chandler, Raymond Felton from Knicks”. NBA.com (2014年6月25日). 2014年6月25日閲覧。
  6. ^ Tyson Chandler agrees to four-year, $52 million deal with Suns”. ESPN.com (2015年7月2日). 2015年7月3日閲覧。
  7. ^ Lakers Sign Tyson Chandler”. NBA.com (2018年11月6日). 2018年11月6日閲覧。
  8. ^ Rockets Sign Free Agent Tyson Chandler”. NBA.com (2019年7月19日). 2019年7月19日閲覧。
  9. ^ Tyson Chandler is - unofficially - back with the Mavs”. Dallas Mavericks. 2021年10月29日閲覧。

外部リンク[編集]