ソフィー・ド・フランス (1786-1787)

ソフィー・ド・フランス
Sophie de France

出生 (1786-07-29) 1786年7月29日
フランス王国ヴェルサイユ宮殿
死去 (1787-06-19) 1787年6月19日(0歳没)
フランス王国ヴェルサイユ宮殿
埋葬 フランス王国サン=ドニ大聖堂
家名 ブルボン家
父親 フランス王ルイ16世
母親 マリー・アントワネット
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マリー・ソフィー・エレーヌ・ベアトリクス・ド・フランスフランス語: Marie Sophie Hélène Béatrix de France[1][2][3]1786年7月29日 - 1787年6月19日)は、フランス王国ナバラ王国国王ルイ16世と、その王妃マリー・アントワネットの間に産まれた第二王女、第四子である。フランス革命勃発二年前の1787年に夭折している。ベアトリクス (Béatrix) をベアトリス (Béatrice)と表記することもある[1][4]

生涯[編集]

1786年7月29日、ヴェルサイユ宮殿において、フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの間に産まれた2番目の女児で、4番目の子である。末子でもあり、姉のマリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス王女や、兄のルイ=ジョゼフ・ド・フランス王子のように、盛大に生誕を祝われなかった。その頃のフランス王国は、民衆の怒りが王室一家に集中していたため、民衆には関心を持たれず、宮殿の人々たちもそれどころではなかったこともある。

結核により、10か月21日で夭折した。マリー・アントワネットとルイ16世の間に産まれた子女の中では、最も短命であった。

脚注[編集]

  1. ^ a b geni.com
  2. ^ Revue historique nobiliaire et biographique』第7巻、1872年
  3. ^ Louis Dussieux『Genealogie de la maison de Bourbon de 1256-1869』1869年
  4. ^ comte Charles Pierre Victor Pajol『Les guerres sous Louis XV: (1749-1759) Guerre de sept ans』、1885年

参考文献[編集]

  • 遠藤周作 『王妃マリーアントワネット 上・下』 新潮文庫、1985年3月27日
  • 田中久美子 『マリー・アントワネット 華麗なる激動の人生』 別冊宝島 2500、2016年9月15日
  • 安逹正勝 『マリー・アントワネット フランス革命と対決した王妃』 中公新書、2014年9月24日
  • 中野京子 『美術品でたどる マリー・アントワネットの生涯』 NHK出版新書、2016年9月8日
  • エヴリーヌ・ルヴェ、塚本哲也(訳) 『王妃マリー・アントワネット』 「知の再発見」双書、2001年11月1日