ソニック・ユース

ソニック・ユース
2011年時点のメンバー。左からサーストン・ムーア 、キム・ゴードン、リー・ラナルド、マーク・イボルド、スティーヴ・シェリー。
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンル
活動期間 1981年 - 2011年
レーベル
公式サイト Sonicyouth.com
旧メンバー
Sonic Youth 2011

ソニック・ユースSonic Youth)は、1981年に結成されたニューヨーク出身のバンド

1980年代以降におけるアメリカのインディーシーンにおいて、ノイズパンクの雄として君臨。後のグランジオルタナティヴ・ロックムーヴメントへ大きな影響を与え、自身らも満を持してメジャーへと移行。以後、メジャーとインディーを行き来しつつ、活動を続けていたが、2011年に活動停止した。

メンバー[編集]

過去のメンバー[編集]

  • ジム・オルーク(道楽)
    • 2002年から参加。『ソニック・ナース』日本盤発売の際には担当パート「道楽」として紹介される。実際にはベース、ギター、シンセサイザーなど幅広く担当し、ミキシングも手がけた。
    • 2005年、映画音楽やソロ活動に携わる為に一時的にバンドを離脱。以降ジャンルを問わないマルチプレイヤーとして第一線で活動中。

バンドとしては、ボーカリストが3人もいる変則的なスタイル。サーストン・ムーアとキム・ゴードンはおしどり夫婦で有名であったが、2011年10月に27年の結婚生活を終え離婚[8]。一人娘の「ココ」がいる。ココは、ダイナソーJr.のアルバム"Beyond"に収録されている"Been There All The Time"という曲のPVで、父と共演している。

概要[編集]

1970年代後半に活動を開始した。ムーアとゴードンが、デイヴ・キーエイ、アン・デマリニスとともに組んだバンド(バンド名はメイル・ボンディング、レッド・ミルク、アルカディアンズ、そしてソニック・ユースと変化)が母体となった[9]

1981年、デマリニスの脱退後、ムーアとゴードンは、現代音楽家グレン・ブランカが主宰するギター・オーケストレーションのグループで演奏していたこともあるリー・ラナルドと出会い、ソニック・ユースに誘った[10]。ドラムにはあまり恵まれず、実力不足で何回か交代している。

グループ名は、元MC5のギタリスト、フレッド “ソニック” スミス(パティ・スミスの亡き夫)が好きだったのと、サーストンが好きなレゲエのアーティストに“ユース”という言葉の付いた者が多かったので思いついた名前だが、本人曰くあまり意味は無いらしい。バンド名を変えてアルバムを出すことも多かったことから、それほどバンド名に執着は無い様子でもある。

ジャンルとしては、ノイズロックグランジオルタナに分類される(ときおり日本独自のジャンル分けとしてボアダムスらとともに「ジャンク」とも呼ばれることがあったが、サーストンは嫌っていた)。サーストン・ムーアは「エレキ・ギターを聴くということはノイズを聞くこと」との持論があり、ギターノイズだけの曲、ポエトリー・リーディングのような曲など、実験的な曲も多い。自分でオリジナルのコードを考えたり変則的チューニングを多用する。

当初アメリカでは人気が出ず、ニュー・ウェイヴが全盛期だったイギリスを始めとするヨーロッパで評価された。イギリスではパブリック・イメージ・リミテッドのツアーの前座として活動した。長年インディーズ・レーベルで活動。1988年発表のアルバム『デイドリーム・ネイション』が傑作と評され、バンドはメジャーのDGCレコード(当時ゲフィン・レコード傘下、2011年現在はインタースコープ・レコード傘下)と契約を果たした。自分達がメジャーシーンに移行することで、オルタナシーン全体の過小評価を覆したいとの思いが強かった。実験的な楽曲が多く、その音楽性には高い評価があるものの、セールス面との対比から「無冠の帝王」などと揶揄されることもあった。

2006年の『ラザー・リップト』のリリースをもって、インタースコープとの契約が満了したが、バンドはその後マタドール・レコードと契約して(日本のみホステス・エンタテインメントと契約)再びインディーズに戻った。2009年、移籍第1作となる『ジ・エターナル』をリリースした。

2011年、11月に行われた南米ツアーを最後に、バンド活動を停止した。

交流[編集]

ソニック・ユースを尊敬している、または親交のあるバンド、メンバーに曲のプロデュースを手伝ってもらったバンドは非常に多い。特に、アンダーグラウンドのバンドやアートスクール系のバンドが多い。

メンバーであるスティーブ・シェリーは、自主レーベル、スメルズ・ライク・レコードを運営するなど、アンダー・グラウンドへ目を向け、有能なアーティストをメジャー・シーンへ紹介することもしばしばあり「ソニック・ユースがお気に入りにあげている」といった冠詞はよく目にするものである。ニルヴァーナダイナソーJr.といったバンドも、ソニック・ユースに見初められたバンドである。

日本のバンドでは、ボアダムス少年ナイフ灰野敬二らと親交がある。

その他[編集]

  • サーストンは半分以上の曲でギターの変則チューニングを使っているため、多くの曲はレギュラーチューニングでコピーすることが難しい。
  • キムについて歌ったレイプマンの"Kim Gordon's Panties"と言う曲がある(なお、レイプマンとのスプリット・ギグ時に、彼らがこの曲を演奏したことにサーストンが激怒し、後でボーカルのスティーヴ・アルビニをボコボコにした、という真偽不明のエピソードもある)。

ディスコグラフィー[編集]

スタジオアルバム[編集]

コンピレーション[編集]

EP[編集]

SYR(ソニック・ユース・レコーディング)シリーズ[編集]

ソニック・ユースが立ち上げた実験音楽レーベル

  • SYR1 - SYR1: Anagrama1997年
  • SYR2 - SYR2: Slaapkamers Met Slagroom1997年
  • SYR3 - SYR3: Invito Al Ĉielo1997年
  • SYR4 - SYR4: Goodbye 20th Century (1999年)Sonic Youth and others
  • SYR5 - SYR5: ミュージカル パースペクティブ2000年)Kim Gordon/Ikue Mori/DJ Olive
  • SYR6 - SYR6: Koncertas Stan Brakhage Prisiminimui2005年
  • SYR7 - SYR7: Ted Hughes2008年
  • SYR8 - SYR8: Andre Sider Af Sonic Youth2008年)with Mats Gustafsson and Merzbow
  • SYR9 - SYR9: Simon Werner a Disparu2011年

DVD[編集]

  • コーポレイト・ゴースト-ザ・ビデオ: 1990-2002(2004年)

参考文献[編集]

参照元[編集]

  1. ^ Schinder, Scott; Schwartz, Andy (2008). “Freedom and Glory”. Icons of Rock: An Encyclopedia of the Legends who Changed Music Forever. Greenwood Press. p. 474. ISBN 978-0-313-33845-8 
  2. ^ McFarland, Kevin (2013年11月14日). “Where to start with noise-rock pioneers Sonic Youth”. The A.V. Club. G/O Media. 2023年4月23日閲覧。
  3. ^ Lukarcanin, Emina (2018年10月25日). “Sonic Youth’s ‘Daydream Nation’ 30th Anniversary Release”. Billboard. 2023年4月23日閲覧。
  4. ^ a b Davis, Ted (2022年3月11日). “The 10 Best Sonic Youth Songs, Ranked”. Paste Magazine. Paste Media Group. 2023年4月23日閲覧。
  5. ^ Phares, Heather. Sonic Youth Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2023年4月23日閲覧。
  6. ^ “NO WAVE”って何だ!?”. CDJournal リサーチ. シーディージャーナル (2007年5月25日). 2023年4月23日閲覧。
  7. ^ 若杉実 (2009年4月23日). “第36回 ─ NO WAVE”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2023年4月23日閲覧。
  8. ^ Caryn Ganz (2011年10月14日). “Kim Gordon and Thurston Moore Announce Split | SPIN.com”. Spin. 2011年10月15日閲覧。
  9. ^ デイヴィッド・ブラウン(岡田正樹訳) (2019). 『ソニック・ユース』. 水声社. pp. 46-48 
  10. ^ デイヴィッド・ブラウン. 前掲書. pp. 53-54 

外部リンク[編集]