セノオ楽譜

セノオ楽譜 (セノオがくふ) は、妹尾幸次郎 (せのお こうじろう、1891年 - 1961年、号は幸陽) によって大正期に出版された、一連のピース楽譜。表紙絵には竹久夢二ら有名画家の作品が用いられ、大正時代に一世を風靡したと言われる[1][2]

概要[編集]

東京生まれの妹尾幸次郎は慶應義塾ワグネル・ソサエティーに入会して合唱に加わる一方、在学中に音楽評論家・訳詞家として活動を始め、1911年 (明治44年) 以降に新聞や音楽雑誌で演奏会評やオペラ解説などを発表していた[3]。慶應中退後、時事新報記者を経て、1915年 (大正4年) にセノオ音楽出版社を設立し、楽譜出版を開始した[4]。セノオ楽譜は以降昭和戦前期にかけて、1000点以上が出版された[2]。明治期に日本に導入された西洋音楽は大正期に人々の生活に浸透し、セノオ楽譜は「刷りが乾かないうちに売れて行った」という証言も伝えられている[5]。 セノオ楽譜の人気の秘密は、当時の日本人の音楽趣味をよく捉えた選曲と、斬新なデザインの装幀の美しさにあった。特に夢二の表紙絵は「大正ロマン」の象徴と言われた[6]

1929年 (昭和4年) 頃を境にセノオ楽譜の勢いは衰えた。ラジオやレコードが広く普及し、ヴァイオリンマンドリンを弾く素人の数が激減したため、素人音楽家を目標とする楽譜も売れなくなった。その後、太陽音楽出版社と社名を変えて「太陽樂譜」シリーズを出版したが、往時の勢いはなかった[7][8]

妹尾は楽譜出版業だけでなく、来日演奏家の紹介、ラジオ放送での洋楽担当など、大正期の音楽界を牽引する活動をした音楽事業家であった[9]

楽譜の種類[編集]

セノオ音楽出版社からは、いわゆる「セノオ楽譜」とは別に、「セノオバイオリン楽譜」「セノオ新小唄」「セノオヤマダ楽譜」など何種類かのシリーズで楽譜が出版された。このうち最も出版点数が多いのは「セノオ楽譜」の500点で、次が「セノオバイオリン楽譜」の170点、そのほかは10から50点程度であった[10]

「セノオ楽譜」は小品が1-2曲収められたピース楽譜で、内容はほとんどが声楽作品であり、器楽は2%ほどであった。声楽のうち歌曲が5割強、オペラの抜粋が2割強、軍歌が1割、後は合唱や民謡などである。作品の作曲者は日本人の他、ドイツ・オーストリア、フランス、イタリア、アメリカ、イギリス、ロシアと広範囲にわたっている[11]

販売方法[編集]

新しい印刷技術も得て、セノオ楽譜は20から30銭という庶民的な値段で販売された。楽器店[12]のほかに、三越呉服店白木屋呉服店などの店頭で買うことが出来た。また通信販売も行い、送料2銭で内外地へ販売された[13]

評価[編集]

セノオ楽譜は日本の名歌と共に海外の歌曲を斬新な訳詞で数多く紹介し、西洋音楽の大衆化に大きく貢献した[4]。またレコードの広告にセノオ楽譜の番号を書くなど、メディアミックスの先駆けともいえる販売方法も、セノオ楽譜の大きな特徴であった[14]。現在でも多くの古書店でセノオ楽譜が販売されており[15][16]国立音楽大学[2]民音音楽博物館[4]日本近代音楽館[17]などでセノオ楽譜をテーマにした展覧会が開催されている。2019年10月にはセノオ楽譜を使ったコンサートが、旧東京音楽学校奏楽堂で開催された。同時に旧奏楽堂ではセノオ楽譜の展示も行われた[18]

エピソード[編集]

  • 福島生まれの作曲家古関裕而は、小学生の頃から音楽に親しみ、セノオ楽譜を買うようになった。ハーモニカがはやるとセノオ楽譜をハーモニカ譜になおして吹いた。福島市に来た浅草オペラを見て歌や踊りに魅せられ、「コルネヴィユの鐘」「アルカンタラの医師」「カルメン」などの楽譜を購入した[19]
  • 1000種類を超えるセノオ楽譜のうち、51点が山田耕筰の作曲または編曲によるもので最も多い[20][21]。また、竹久夢二は表紙画は270点以上、作詞も24曲提供している[22]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 越懸澤麻衣 2015, p. 29.
  2. ^ a b c セノオ楽譜展-国立音楽大学附属図書館(PDF) 2019年8月21日閲覧。
  3. ^ 越懸澤麻衣 2015, pp. 35–36.
  4. ^ a b c 民音音楽博物館コレクション「セノオ楽譜~竹久夢二の表紙絵」展を開催いたします 民音音楽博物館 2019年8月21日閲覧。
  5. ^ 『日本の音楽図書館:音楽図書館協議会40年のあゆみ』 (音楽図書館協議会、2019年) pp11-12
  6. ^ 樋口隆一他編著『五線譜に描いた夢:日本近代音楽の150年』図録 (明治学院大学、2013) pp74-76
  7. ^ 越懸澤麻衣 2015, pp. 29–30.
  8. ^ 流浪の民 : 女學校用女聲四部合唱 (太陽樂譜, no.113) CiNii、2019年8月21日閲覧
  9. ^ 越懸澤麻衣 2015, pp. 37–40.
  10. ^ 越懸澤麻衣 2015, pp. 30–31.
  11. ^ 越懸澤麻衣 2015, p. 33.
  12. ^ セノオ楽譜No.136『メーリー (米国流行小唄)』 (大正8年発行) の裏面広告には、特約販売所として東京銀座の共益商社、山野楽器店、十字屋楽器店、大阪の阪根楽器店、前川合名会社の5店舗が掲載されている。
  13. ^ 越懸澤麻衣 2015, p. 31.
  14. ^ 越懸澤麻衣 2015, pp. 38–40.
  15. ^ 【新入荷】竹久夢二「セノオ楽譜」「中山晋平民謡曲」ほか 2019年8月21日閲覧。
  16. ^ 「セノオ楽譜目録」セノオ音楽出版社(1926?) 2019年8月21日閲覧。
  17. ^ 日本近代音楽館館報 終刊号 (通号41号) (日本近代音楽財団日本近代音楽館、2010.3) 付録
  18. ^ 特別コンサート「大正から昭和時代に遺されたピース譜から」開催のお知らせ 2019年12月6日閲覧。
  19. ^ 刑部芳則『古関裕而』中公新書, 2019, pp4-5
  20. ^ 越懸澤麻衣 2015, p. 233.
  21. ^ 栃木県立美術館「山田耕筰と美術」展覧会図録, 2020, pp115-118
  22. ^ 表紙画大全集 2005, pp. 316–320.

参考文献[編集]

  • 越懸澤麻衣「セノオ楽譜からみる大正時代の洋楽受容」『東京藝術大学音楽学部紀要』第41巻、東京藝術大学音楽学部、2015年、2022年7月26日閲覧 
  • 竹久みなみ、大平直輝 編『竹久夢二「セノオ楽譜」表紙画大全集』国書刊行会、2005年。ISBN 978-4-336-05117-2 

外部リンク[編集]