スマーティージョーンズ

スマーティージョーンズ
2004年ベルモントステークス
欧字表記 Smarty Jones
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 2001年2月28日
Elusive Quality
I'll Get Along
母の父 Smile
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Someday Farm
馬主 Someday Farm
調教師 John C. Servis(アメリカ
競走成績
生涯成績 9戦8勝
獲得賞金 761万3155ドル
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スマーティージョーンズ (Smarty Jones) はアメリカ合衆国競走馬種牡馬

競走馬時代[編集]

ペンシルベニア州のサムデイファームで生まれ、馬名は共同馬主[1]パトリシア・チャップマンの母であるミリー・"スマーティ・ジョーンズ"・マクネアから名付けられた。

当初はボビー・カマック調教師厩舎に預ける予定であったがカマックが殺害されてしまったため、2003年にジョン・シャーヴィス調教師が管理することとなった。シャーヴィスは無名の存在であった。

2歳となった2003年7月スターティングゲートの練習をしていたところ、スマーティージョーンズはゲートに頭部を打ち意識不明となり、頭蓋骨骨折ニュージャージー州家畜病院で3週間入院、牧場で1ヶ月以上休養したところ無事回復し、競走に使えることとなった。

その後はトレーニングを重ね、11月9日にペンシルベニア州のフィラデルフィア競馬場でデビュー戦に出走することとなった。騎手カナダ生まれのスチュワート・エリオットで、以後全ての競走で手綱を取ることになった。デビュー戦では7 3/4馬身差で圧勝すると、2戦目も15馬身差で圧勝。年が明けて3歳となった2004年1月に上級ステークス競走であるアケダクト競馬場のカウントフリートステークスに出走するとまたもや5馬身差の圧勝で、ケンタッキーダービーを目指すことになり、以後3戦(3勝)を挟んでケンタッキーダービーに駒を進めた。

アメリカ合衆国最大の競走である5月1日のケンタッキーダービーも単勝1番人気に応え2 3/4馬身差で優勝。騎手、調教師ともに同競走は初出走での勝利であり、25年振りの快挙であった。また1977年シアトルスルー以来となる無敗での勝利でもあった。賞金85万4800ドルに加え、レベルステークス、アーカンソーダービー、ケンタッキーダービーの3競走を優勝したため、オークローンパーク競馬場から500万ドルのボーナスが支給された。

ケンタッキーダービーはアメリカ三冠競走の緒戦でもあったため、スマーティージョーンズは残るアメリカ三冠競走に出走し三冠を目指すこととなった。5月15日号のスポーツイラストレイテッド誌の表紙を飾った同日に行われた三冠競走第2戦のプリークネスステークスは11 1/2馬身差の圧勝で、三冠に王手をかけた。

プリークネスステークスの圧勝劇でスマーティージョーンズの人気は沸騰し、馬主には4000万 - 5000万ドルという売買のオファーがあったという。1978年アファームド以来となる三冠を目指したスマーティージョーンズであったが、6月5日に行われた三冠最終戦のベルモントステークスでは120,319人というベルモントパーク競馬場のレコードとなる観客動員数を記録したが、単勝37倍の伏兵バードストーンの2着に敗れた。

その後も調教を受けていたが同年8月2日距骨の慢性挫傷により引退した。同年はエクリプス賞最優秀3歳牡馬を受賞した。

競走成績[編集]

出走日 競馬場 競走 距離 着順 騎手 タイム 着差
2003.11.09 フィラデルフィア メイドン D6f 1着 S.エリオット 1:11.19 7 3/4馬身
2003.11.22 フィラデルフィア ペンシルベニアナーサリーS D7f 1着 S.エリオット 1:21.88 15馬身
2004.01.03 アケダクト カウントフリートS D8f70y 1着 S.エリオット 1:41.42 5馬身
2004.02.08 オークローンパーク サウスウェストS D8f 1着 S.エリオット 1:37.57 3/4馬身
2004.03.02 オークローンパーク レベルS D8.5f 1着 S.エリオット 1:42.0 3 1/4馬身
2004.04.01 オークローンパーク アーカンソーダービー G2 D9f 1着 S.エリオット 1:49.41 1 1/2馬身
2004.05.01 チャーチルダウンズ ケンタッキーダービー G1 D10f 1着 S.エリオット 2:04.06 2 3/4馬身
2004.05.15 ピムリコ プリークネスS G1 D9.5f 1着 S.エリオット 1:55.59 11 1/2馬身
2004.06.05 ベルモントパーク ベルモントS G1 D12f 2着 S.エリオット 1馬身
  • 競走名のSはステークスを示す。

種牡馬時代[編集]

競走馬引退後の2005年よりケンタッキー州スリーチムニーズファーム種牡馬となっている。初年度の種付け料は10万ドル。2005年にはダンスパートナーが種付けしており、その産駒も誕生している。逆輸入馬のため外国産馬扱いとなっているものの社台ファーム名義で生産となっている。2011年からは生まれ故郷のペンシルベニア州に移動し、この年はゴーストリッジファーム、翌年からノースビュースタリオンステーションで繋養される。

初年度にダンスパートナーの配合相手に選ばれた事例にあるように、国内外から多大な期待を集めていたが、当初の期待を大きく下回る産駒成績となっている。種付け料も1万ドルを割り込むほどに下落した。

日本で調教された主な産駒には、いわゆる持込馬として日本で生まれ、プロキオンステークスカペラステークスを勝ったケイアイガーベラがいる。

主な産駒[編集]

※アルファベット順、斜体は国内G1

血統表[編集]

スマーティジョーンズ血統ミスタープロスペクター系 / Bold Ruler5×5×5=9.38%、 (血統表の出典)

Elusive Quality
1993 鹿毛
父の父
Gone West
1984 鹿毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Secrettame Secretariat
Tamerett
父の母
Touch of Greatness
1986 鹿毛
Hero's Honor Northern Dancer
Glowing Tribute
Ivory Wand Sir Ivor
Natashka

I'll Get Along
1992 鹿毛
Smile
1982 黒鹿毛
In Reality Intentionally
My Dear Girl
Sunny Smile Boldnesian
Sunny Sal
母の母
Dont Worry Bout Me
1983 鹿毛
Foolish Pleasure What a Pleasure
Fool-Me-Not
Stolen Base Herbager
Bases Full F-No.1-x (1-s)

血統背景[編集]

父イルーシヴクオリティは種付け料10万ドル[2]を誇る一流種牡馬であったが、競走馬時代に1マイルのコースで1分31秒6という世界記録[3]をマークこそしたものの、当時は無名の存在だった。スマーティジョーンズは2世代目の産駒となる。母アイルゲットアロングはステークス競走を含む北米12勝を挙げている。

脚注[編集]

  1. ^ オーナーブリーダーであり、夫婦で共有していた。
  2. ^ 2007年シーズン(アメリカ合衆国)。
  3. ^ 1998年のポーカーハンデキャップ(G3ベルモントパーク競馬場)。

外部リンク[編集]