スチュアート・アダムソン

スチュアート・アダムソン

スチュアート・アダムソン(Stuart Adamson、1958年4月11日 - 2001年12月16日)は、イギリス音楽家である。

人物・来歴[編集]

イギリスマンチェスター出身。両親は、スコットランド人であった。スチュアートが4歳のときに、スコットランドのエジンバラ・ダンファームリンに移住した。カントリーミュージックを好んだ両親の影響と、12歳のときにレッドツェッペリンのライブに感化され、ギターを買ってもらう。

1976年に、最初のバンド(後にザ・スキッズになるメンバーも含む)「TATOO」を結成。

1977年、18歳のときに、ボーカルのリチャード・ジョブソンを加えてザ・スキッズを結成。日本でも「恐怖のダンス」というアルバムが発売されている。その後、ジョブソンとの方向性の問題で、グループを脱退。友人のブルース・ワトソンと、元オン・ジ・エアーのマーク・ブレゼジッキ、トニー・バトラーと共にビッグ・カントリーを結成。ザ・スキッズではリードギターだったが、ビッグ・カントリーではボーカルとギターを務めた。叙情的な歌詞は、スコットランドの英雄詩人、ロバート・バーンズに継ぐとも評された。スコットランドのバグパイプの音をギターで出すなどの、特色のある音作りを見せた。

ビッグ・カントリーでは、全英、全米ともにヒットを飛ばし、名前を広めた。後期は、アルコール依存症を病み、治療目的も兼ね、アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルに移住した。

ビッグ・カントリー解散後、彼の最後のバンドとなる ザ・ラファエルズを結成。アルバムを一枚出している。

1999年には、エディ・リーダーと共演し、シングルFragile Thingsを発表。東京国際映画祭に出品されたコメディ映画「おかしなバスジャック」のサウンドトラックも担当した。

音楽的な問題や、二度目の離婚、アルコール依存症による、飲酒運転で捕まる、失踪などの問題などが続き、約3週間の失踪後、2001年ハワイのホテルで首吊り自殺をした(43歳)。