スタン・リー

スタン・リー
Stan Lee
誕生 スタンリー・マーティン・リーバー
Stanley Martin Lieber
(1922-12-28) 1922年12月28日
アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク州ニューヨーク市
死没 (2018-11-12) 2018年11月12日(95歳没)
アメリカ合衆国の旗 カリフォルニア州ロサンゼルス
職業 マーベル・コミック編集委員
マーベル・メディア名誉会長
言語 英語
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
最終学歴 デウィット・クリントン・ハイスクール
1939年卒
活動期間 1939年 - 2018年
ジャンル 漫画原作
代表作アメイジング・スパイダーマン
ファンタスティック・フォー
X-メン
アイアンマン
ハルク
マイティ・ソー
デアデビル
ドクター・ストレンジ
アベンジャーズ
主な受賞歴 ジュール・ヴェルヌ映画祭生涯功労賞
(2007年)
親族 マーティン・グッドマン英語版(叔父)
ラリー・リーバー(弟)
署名
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スタン・リーStan Lee、本名:スタンリー・マーティン・リーバーStanley Martin Lieber)、1922年12月28日 - 2018年11月12日)は、アメリカ合衆国漫画原作者マーベル・コミック編集委員、マーベル・メディア名誉会長

マーベル・コミック発行責任者などを務めた。マーベル映画にもカメオ出演したことが何度かあった。

2007年2月28日撮影

概要[編集]

1960年代にマーベル・コミックで『スパイダーマン』、『X-メン』などのスーパーヒーローコミックの原作を手がけ、業界に変革をもたらした。生前はマーベル・コミックの編集委員、マーベル・メディアの名誉会長を務め、マーベル・コミックの実写映画版の製作総指揮などを務めていた[1]

スタンが編集後記の締めに用いる言葉「エクセルシオール(Excelsior)!![注 1] は彼の代名詞的な言葉となった[1]。今では当たり前となった作家陣のクレジット表記もスタンの発案により取り入れられた[1]

来歴[編集]

1922年、マンハッタンウェストエンド街ルーマニア系ユダヤ人の家庭に生まれる。少年時代はジャンルを問わず多数の映画読書を嗜んだ[2]。文章を書くのが好きで1937年にはニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の作文コンテストに応募し、佳作に2度選ばれている[3]。また役者を志し、演劇学校に通っていたのもこの時期である[4]

1939年、タイムリー・コミックス(後のマーベル・コミック)に入社[2]。社長のマーティン・グッドマン(叔父)に編集助手を任されるが、すぐにコミックの原作にも携わるようになる。当時人気だった『キャプテン・アメリカ』は戦前から戦後にかけて脚本を担当している[1][5]

1940年、豊かな想像力を発揮して18歳という若さにして編集長に昇進[6]

1942年、兵役で3年間アメリカ陸軍通信隊に所属。軍部に(当時はまだ無名だったが)コミックライターと知られると教育用映画の脚本部[注 2] に回され、訓練用マニュアル、時事漫画、ポスターを作った[1]除隊後、同僚のジョー・サイモンなどがDCコミックスに引き抜かれる中、社長に「代わりが見つかるまで編集をやってほしい」と頼まれ[5]、グッドマンが指揮するビジネス戦略の下、当時の流行に合わせて西部劇SF戦争物メロドラマなど、多種多様な作品を量産していった[1]

1961年、50年代に出した怪奇・ホラー・SFコミックが不振であったことから方向転換を決意し、倒産を覚悟でスーパーヒーローのコミックに限りなく現実的要素をつぎ込んだ『ファンタスティック・フォー』を創刊[7]。これが人気を博し、以降の数年間でマーベル・コミックの代表作となる幾多のスーパーヒーローコミックをアーティストのジャック・カービースティーヴ・ディッコなどと共に矢継ぎ早に出していく。スタンは「フィクションに現実世界を導入させる」という試みのもとに、舞台を現実の都市としヒーローなのに生活に困窮する様子を描くなど、それまでのコミック[注 3] とは逆の視点で描き出していく[8]。また、それまでは画一的であった登場人物の台詞や言葉遣いを各人物の性格や特徴に合わせたもの[注 4] へと変更することで、物語にも弾みが出るようになり、リアリティ溢れる描写はアメリカン・コミックス全体に大きな変革をもたらした[9]。これまで堅苦しい言葉で綴られていた編集後記は砕けた文法に改め、親しみやすい雰囲気を作り、読者との間に出来ていた垣根を取り払った。

1962年、『ハルク』、『ソー』の原作を手がける。

1963年、『アイアンマン』、『ドクター・ストレンジ』、『スパイダーマン』、『X-メン』、『アベンジャーズ』の原作を手がける。これら全てのコミックにおいて社会の不平等、薬物濫用、偏見といった難題を扱った[6]

1964年、『デアデビル』の原作を手がける。10年間休載していた『キャプテン・アメリカ』を復活させる。

1968年、『ファンタスティック・フォー』の登場人物である『シルバー・サーファー』を単独シリーズ化し、その原作を手がける。これらの作品群の脚本をある程度手がけた後に、脚本業は後続のロイ・トーマスなどに任せ第一線を離れた[1]。出版業に従事するようになり、スポークスマンとして各地でマーベル・コミックの宣伝を精力的に行うようになる。

1972年、マーベル・コミックの発行責任者(社長)となるが、主な仕事である財務会議に馴染めず、他に適役がいると判断し、すぐさま辞退した[1]

1977年、弟ラリー・リーバーと共に『スパイダーマン』の新聞連載を開始する。このコミックは各国の500紙以上の新聞に掲載され、最も成功を収めたアクション・コミックとして認知されている[1]

1981年、テレビアニメ『スパイダーマン&アメイジング・フレンズ』と『ハルク』の制作総指揮を手がける[1]

1986年、マーベル・コミックとマーベル・プロダクションがニュー・ワールド・エンターテインメントに買収されたことが契機となり、以前から興味のあった映画やテレビなどの映像分野に活躍の場を移した[1]

1992年、テレビアニメ『X-MEN』の製作総指揮をする。

1994年、テレビアニメ『スパイダーマン』の製作総指揮をする。

1996年、テレビアニメ『超人ハルク』の製作総指揮をする。

1999年、ヒーローコミックをアニメ配信する「スタン・リー・メディア」を立ち上げるが、企画者が南米に資金を持ち逃げし詐欺にあうなど[9]、プロジェクトは見事に失敗しスタンは破産する[6]

2001年、ライバル会社、DCコミックスで『スーパーマン』をはじめとするさまざまなコミックをミニシリーズ[注 5] としてリメイクした[1]

2002年、シリーズの興行収入が16億ドルにも及んだ[6] 映画『スパイダーマン』の収益配分が支払われないことに不満を感じ、1000万ドルを求めてマーベル・コミックを提訴。2005年に和解(事実上の勝訴)となり、スポークスマンとして週15時間以内の宣伝活動を行う代わりに、あらゆる面で厚遇する旨の契約が執り行われた[注 6][10]

2007年、ジュール・ヴェルヌ映画祭で生涯功労賞を受賞[11]

2011年、これまでの功績が認められ、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの2428番目の殿堂入りを果たす[12](この時点のアメリカ映画の歴代興行収入100位のうち、7つの作品がスタンの原作によるものである[13])。

2012年、テリー・ドゥーガスやマックス・ワークらと共同で『ロミオ・アンド・ジュリエット・ウォー』を執筆し、米ニューヨーク・タイムズでベストセラー入りとなる[6]

2016年、デジタル形式でグラフィックノベル『スタン・リーズ・ゴッド・ウォーク』を執筆。翌2017年に書籍化され、インディペンデント・パブリッシャー・ブック・アウォードで、インディペンデント・ボイス賞を受賞[6]。東京コミコン名誉親善大使として2016年と2017年に2年連続で来日[14]

2018年11月12日朝(米西海岸時間)、米カリフォルニア州ロサンゼルスのシダーズ・サイナイ医療センターに急送され、肺炎により95歳で息を引き取った[15][16]

人物[編集]

2014年

編集後記では自らをスマイリー・スタンと称しており[1]、インタビューの最中には常に笑顔で接し、ユーモアを交えた巧みな話術を展開する[17]。アニメ『スパイダーマン』(1981年版)のナレーターを自ら担当したり、映画にカメオ出演をするなど目立ちたがりな面がある[1]。ジョン・ジョナ・ジェイムソン[注 7] のことを「短気で馬鹿で自分を過大評価している。まるで他人から見た私だ」と自らの性格を投影させている。映画『スパイダーマン』の制作では、自らジョン・ジョナ・ジェイムソン役を名乗り出たが、ジェイムソンの年齢設定より高齢であることを理由に却下された[1]

世界で最も多くの作品が映画化されたコミック作家[18] およびカメオ出演した映画の興行収入が世界一の俳優[19][20] として、ギネス世界記録に認定されている。

手がけたキャラクターの中ではシルバー・サーファーに強い思い入れがあり[21]、女性向けのロマンス・コミックスを手がけることを好む[22]。物忘れが激しいため、キャラクターの名前のイニシャルを『スパイダーマン』のピーター・パーカー(Peter Parker)のように、同じ頭文字にすることが多いが、『アイアンマン』のトニー・スタークなど例外も存在する[1]

「自分の仕事は所詮雇われ仕事に過ぎない」と、自分が原作したコミックの著作権がすべて会社に帰属することが圧倒的に多いアメリカン・コミックスの現状を皮肉る一方、マーベル・コミックで原作を手がけたコミックの扉頁には「スタン・リー・プレゼンツ」と長年に渡って表記されるなど格別の扱いを受けている[23]

多数の特殊能力を持つヒーローを生み出したことから、ファンから「最強の能力はなにか?」と問われることが度々あったが、その時は決まって「運こそが最高。幸運さえあれば全てがうまくいくからだ」と語っていた[6]

マーベル・メソッド[編集]

一時期、マーベル・コミックのライターはほぼスタンしかおらず、1950年代には多いときで月に82本のコミックの脚本を担当していたこともあった[24]。そうした状況から偶然生み出されたのが「マーベル・メソッド」である[1]。スタンはアーティストたちに仕事を滞りなく与えるため、まず物語のプロットだけを渡し、作画ができ上がった状態で具体的な台詞を入れていった[25]。最初は苦肉の策に過ぎなかったが、でき上がってみると以前よりも作品の質は向上し、この手法を導入してからコミックの売り上げも上昇した。その後もアーティストと脚本家間で物語をフィードバックする目的で用いられ、1970年代にはDCコミックスにもマーベル・メソッドは取り入れられることとなった[26]

ライターとアーティストの境界があいまいなマーベル・メソッドは、著作物の権利を巡る争いを生むこともあった。1960年代のマーベルでは、アーティストが実質的に原作の一部を担っていることが作者クレジットに反映されていなかった。この時期にスタン・リーとコンビを組んでいた中でも特に名高いジャック・カービースティーヴ・ディッコは、それを不服として相次いでマーベルを去っている。また、創作物のアイディアが原作者リーとアーティストのどちらから出たかが争われることもあった。カービーとディッコは後年のインタビューや自己出版で、『ファンタスティック・フォー』や『スパイダーマン』などの中心的なアイディアが自分たちのものだったと主張し、制作の内幕についてのリーの証言を真っ向から否定している[27]

評価[編集]

2008年

第43代アメリカ大統領のジョージ・W・ブッシュは「彼の作品は若者達の創造性を伸ばすことに大いに貢献した」と評している[1]

映画監督スティーヴン・スピルバーグは「彼と私の創っているものは同じ。ただ私の絵が動くだけ」と明言している[1]

DCコミックスの発行責任者だったポール・レビッツは「同年代のライターにとって手本となる存在。その功績は大きい」と評している[1]

作品[編集]

原作[編集]

脚本[編集]

  • キャプテン・アメリカ(100–141号の脚本)
  • ホワット・イフ(200号の脚本)

製作総指揮[編集]

実写映画・アニメ化された際に製作総指揮を務めた作品。※印の作品は作品中に本人がカメオ出演したもの。

その他[編集]

出演[編集]

劇場映画[編集]

テレビドラマ[編集]

その他[編集]

  • Pryde of the X-Men(1989年、テレビアニメ) - ナレーター(本人役)
  • スパイダーマン(2000年、ゲーム) - ナレーター
  • ザ・シンプソンズ(2002年、テレビアニメ) - 本人役
  • SPIDER-MAN2 ENTER:ELECTRO(2002年、ゲーム) - ナレーター
  • コミックブック・ザ・ムービー(2004年、オリジナルビデオ) - 本人役
  • Robot Chicken(2007年、テレビアニメ) - 本人役、映画のナレーション
  • Spider-Man: Shattered Dimensions(2010年、ゲーム)
  • The Amazing Spider-Man(2012年、ゲーム) - ナレーター。他、有償DLC「The Amazing Spider-Man Stan Lee Adventure Pack」導入にて、スパイダーマンの能力を持つ超人として操作可能になる。
  • The Amazing Adventures of Spider-Manユニバーサル・スタジオ・テーマパークのアトラクション) - 清掃車の運転手役

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 英語での意味は、名詞としては梱包用の木屑のことを指すが、スタンが用いるような間投詞形容詞としては「向上せよ!」や「より高く!」などを意味する。ニューヨーク市の公式標語でもある。
  2. ^ 同部にはウィリアム・サローヤンフランク・キャプラもいた。
  3. ^ 例えばバットマンは、その正体は大企業の御曹司であり、舞台はニューヨークを元にしているが架空都市のゴッサムシティである。
  4. ^ 例えば、シルバー・サーファーは宇宙人であるため、その英語は完璧ではない。雷神であるソーは、ウィリアム・シェイクスピア神話を組み合わせた威厳のある口調で喋るなど。
  5. ^ 数冊で完結する短編のこと。今回の場合は1年間の連載、全12巻で完結するものが多かった。
  6. ^ CBSのテレビ番組「60ミニッツ」に出演したスタンは「何千万ドルも転がりこんでくる」と話している。
  7. ^ 『スパイダーマン』に登場する新聞社デイリービューグルの編集長。悪人ではないが、正体を明かさないスパイダーマンを怪しみ、社をあげてバッシングを続ける厄介な人物。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t DVD『スパイダーマン 誕生の秘密 -スタン・リーの世界』(2002年、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)。
  2. ^ a b 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)154頁。
  3. ^ 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)171頁。
  4. ^ 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)178頁。
  5. ^ a b 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)161頁。
  6. ^ a b c d e f g BBCニュース【訃報】スタン・リーさん多くのスーパーヒーローを創造した天才 2018年11月13日。
  7. ^ 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)158、159頁。
  8. ^ 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)157、158頁。
  9. ^ a b 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)160、178頁。
  10. ^ 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)229、230頁。
  11. ^ AFPBBニュース「ジュール・ヴェルヌ映画祭」アメコミの巨匠スタン・リーが生涯功労賞受賞 2007年12月16日。
  12. ^ サンスポ.com - 「スパイダーマン」の原作者が殿堂入り! 2011年1月5日。
  13. ^ アメーバニュース - アメコミ・ヒーローの父 スタン・リー氏、ウォーク・オブ・フェイム入り! 2011年1月12日。
  14. ^ “スタン・リーの精神は「東京コミコン2018」に ─ マーベル・コミックス編集長やトム・ヒドルストンもステージで追悼”. THE RIVER (株式会社riverch). (2018年12月3日). https://theriver.jp/tcc2018-stan-lee/ 2019年5月12日閲覧。 
  15. ^ “STAN LEE DEAD AT 95”. TMZ. (2018年11月12日). https://www.tmz.com/2018/11/12/stan-lee-dead-dies-marvel-comics/ 2018年11月12日閲覧。 
  16. ^ “「スパイダーマン」らアメコミ原作者 スタン・リー氏死去”. NHK. (2018年11月12日). https://web.archive.org/web/20181113031535/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181113/k10011708451000.html 2018年11月12日閲覧。 
  17. ^ 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)165、166頁。
  18. ^ 『ギネス世界記録2018(日本語版)』クレイグ・グレンディ(編)、角川アスキー総合研究所、2017年、93頁。ISBN 978-4-04-899609-9
  19. ^ 『ギネス世界記録2015(日本語版)』クレイグ・グレンディ(編)、角川アスキー総合研究所、2014年、165頁。ISBN 978-4-04-899601-3
  20. ^ 『ギネス世界記録2018(日本語版)』クレイグ・グレンディ(編)、角川アスキー総合研究所、2017年、172頁。ISBN 978-4-04-899609-9
  21. ^ 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)192頁。
  22. ^ 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)162、168頁。
  23. ^ 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)186頁。
  24. ^ 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)162、187頁。
  25. ^ 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)187頁。
  26. ^ 小野耕世著『アメリカン・コミックス大全』(2005年、晶文社)188頁。
  27. ^ Abraham Riesman (2016年). “It’s Stan Lee’s Universe”. Vulture. 2019年5月21日閲覧。
  28. ^ a b c d e f g h i j k Jethro Nededog (2014年2月4日). “Stan Lee Reveals More Details on ‘Agents of SHIELD’ Cameo”. The Wrap. 2014年3月26日閲覧。
  29. ^ a b c Andrea Towers (2014年2月4日). “Stan Lee previews his 'Agents of SHIELD' guest stint”. EW.com. 2014年3月26日閲覧。
  30. ^ a b c d e f g h i j Terri Schwartz (2014年2月4日). “Stan Lee appears on 'Agents of SHIELD': 'It's a big moment for me'”. Zap2it. 2014年3月26日閲覧。
  31. ^ 倉本拓弥 (2018年7月27日). “マーベル巨匠スタン・リー、DC映画に念願のカメオ出演!”. シネマトゥデイ. https://www.cinematoday.jp/news/N0102521 2020年3月29日閲覧。 
  32. ^ 『Marvel's Agents of S.H.I.E.L.D.』にスタン・リー御大が特別出演!”. 海外ドラマNAVI (2014年1月9日). 2023年12月22日閲覧。
  33. ^ Agents of S.H.I.E.L.D. (TV Series) - T.R.A.C.K.S. (2014) - Full Cast & Crew”. IMDb. 2014年3月26日閲覧。
  34. ^ ‘Agent Carter’: Stan Lee Sets Cameo”. Variety (2015年1月12日). 2018年8月20日閲覧。

外部リンク[編集]