スコット・ガーランド

スコット・ガーランド
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プロフィール
リングネーム スコッティ・2・ホッティ
スコッティ・ザ・ホッティ
スコッティ・トゥー・ホッティ
スカリー・2・ホッティ
スコット・テイラー
本名 スコット・ロナルド・ガーランド
ニックネーム トゥー・ホット
身長 175cm
体重 95kg
誕生日 (1973-07-02) 1973年7月2日(50歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
メイン州の旗メイン州
ウェストブルック
デビュー 1989年11月23日
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スコット・ガーランドScott Ronald Garland、男性、1973年7月2日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーメイン州ウェストブルック出身。スコッティ・2・ホッティScotty 2 Hotty)のリングネームで知られる。

来歴[編集]

1989年、地元であるメイン州のプロレス団体でプロレスラーとしてデビュー。同年、マサチューセッツ州を拠点するNEWNew England Wrestling)にて本格的にトレーニングを開始。1991年8月にNEWに所属する仲間からフィル・アポロに紹介してもらったことをきっかけにWWFへ入団。10月にWWFでスコット・テイラーScott Taylor)のリングネームでデビューした。

学生だったということもあり、大学卒業後は一時期レスリングから離れバンクテラースペンサーギフトのアシスタントマネージャーを務めた。

1997年、当時働いていた保険会社から離れ再びプロレスラーになることを志しECWのトライアウトに参加する予定であったが、WWFのタレント部門を担当していたブルース・プリチャードに働いていた会社に恩返しをしたいということを話したことからWWFへの復帰が決まった。復帰後は再びスコット・テイラーとしてリングに上がりライトヘビー級で活躍。

WWF時代

1998年3月、WrestleMania XIVにてWWFタッグ王座挑戦者決定タッグバトルロイヤルにブライアン・クリストファートゥー・マッチToo Much)というタッグチーム名で参加。これをきっかけにブライアンと継続してタッグを組むことが多くなり、華やかに踊れてアクションができる名コンビへと成長し、スコット "トゥー・ホット" テイラーScott "Too Hot" Taylor)と呼ばれるようになった。

1999年5月よりリングネームを現在でも知られるスコッティ・2・ホッティScotty 2 Hotty)へと変更し、ブライアンはグランマスター・セクセイGrand Master Sexay)に。タッグチーム名もトゥー・クールToo Cool)としてヒップホップデュオというギミックへと一新。同年後半にはリキシが加入したことにより名ユニットとして活躍し、2000年3月29日のRAWにてエッジ & クリスチャンから世界タッグ王座を奪取。

2000年後半、リキシが裏切りユニットから脱退。2001年2月にスコッティは椎間板の手術することになり長期間離脱。さらにはセクセイが違法薬物をアメリカからカナダへ運んでいたことが知られてしまい解雇されてしまったためにトゥー・クールは自然消滅となった。スコッティは6月に復帰し、アルバート動物園のクルーというギミックのタッグを結成。アルバートはヒップホップ・ヒッポThe Hip Hop Hippo)というニックネームで呼ばれるようになり、パロディユニットとして活躍。

2003年、リキシと再びトゥー・クールを再結成し、2004年2月5日にWWEタッグ王座を獲得するが、わずか2ヶ月余りの4月22日に王座を陥落すると7月26日にリキシは解雇となったため、シングルで活動。SmackDown!に所属し、クルーザー級戦線へと加わる。観客からの人気は高く一貫してベビーフェイスで通した。2005年からはヘビー級戦線の新人レスラーたちの踏み台になることが多くなった。徐々にテレビマッチでの登場は減っていき、前座番組であるHeatVelocityでの出場に格下げされると2007年5月18日に解雇となった。12月にはRAWの15周年記念大会にてスポット参戦。バトルロイヤルに出場した際にはファンから所属していた当時と変わらぬ大きな歓声を浴びた。

WWE解雇後はインディー団体へサーキットすることになるが、スコッティ・Ⅱ・ホッティのリングネームがWWEより商標登録されて使えなくなったことを理由にスコッティ・トゥー・ホッティScotty Too Hotty)、スコッティ・ザ・ホッティScotty The Hotty)、スカリー・Ⅱ・ホッティScary Ⅱ Hotty)などのリングネームを使用。FIPFull Impact Pro)、CLASHEPWEastern Pro Wrestling)、CCWCoastal Championship Wrestling)、UWF LiveUnited Wrestling Federation Live)など様々な団体に参戦し、各団体のタイトルを多く獲得している。2010年にはWWEで共にしたTAJIRIが主宰するSMASHに参戦するため来日し、試合を行っている。

2012年ヒース・スレイターがRAW1000回放送へ向けたレジェンドたちとの戦いにおいて、WWEのNXTにてレジェンドの一人として登場し勝利を飾った。

2014年プロレスリング・ノアのGREAT VOYAGE 2014 in Tokyo vol.3~有明 冬の陣~にてFUNAKIらとタッグを組み、フィニッシャーとしてワームも披露し勝利を収めた。

2016年よりWWEパフォーマンスセンターのコーチを務めている[1]

その他[編集]

得意技[編集]

ワーム
スコッティの代名詞的な技にしてフィニッシュ・ムーブ。
相手をダウンさせた状況で両足を踏み鳴らし、「W」「O」「R」「M」という観客のチャントと共にリングを跳ね回った後、シャクトリムシの如く相手に近づいてチョップを決める技。ザ・ロックピープルズ・エルボーや、ハルク・ホーガンレッグ・ドロップと同様に間が長い技である。ロックやホーガンに比べてジョバーとしての役回りが多く、技が出ること自体が非常に稀だったため観客は盛り上がりを見せる。
ワームへの布石として使用される。スコッティはヘッドロック式ではなく、両手で落とすフェイスクラッシャーの形をとる。
決まった後は跳ね起きてからムーンウォークをするのが定番。

獲得タイトル[編集]

WWE
CCW
  • CCWヘビー級王座:1回
EPW
  • EPWヘビー級王座:1回
NEWA

入場曲[編集]

  • Turn It Up
  • Bangin
  • You Look Fly Today

脚注[編集]

外部リンク[編集]