ジョー・ドーリング

ジョー・ドーリング
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プロフィール
リングネーム ジョー・ドーリング
ドレイク・ブリュワー
本名 ジョー・ドーリング
ニックネーム 暴走機関車
2代目不沈艦
身長 195cm
体重 135kg
誕生日 (1982-04-16) 1982年4月16日(42歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ウィスコンシン州グリーンベイ
所属 インパクト・レスリング
トレーナー スコット・ダモール
カズ・ハヤシ
武藤敬司
デビュー 2004年12月19日
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ジョー・ドーリングJoe Doering1982年4月16日 - )は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州グリーンベイ出身のプロレスラー

来歴[編集]

デビュー - 全日本プロレス (2004 - 2010年)[編集]

2010年頃

プロレスデビューは2004年12月19日。TNAではTVショーのTNA iMPACT!PPV大会にも出場していた。

2007年6月、全日本プロレスフィル・アトラスと共に留学生として来日、24日から始まったCROSS OVERシリーズで日本マットデビュー。道場で若手選手、練習生と共同生活をしていた。7月には武藤敬司からVOODOO-MURDERS(以下VM)退治のパートナーに抜擢。8月いっぱいで留学期間を終え、9月シリーズからは一外国人選手として参戦、10月18日の代々木大会では諏訪魔から勝利を奪う。さらに世界最強タッグ決定リーグ戦に武藤とのタッグで初出場し優勝を果たした。

2008年1月3日の後楽園ホール大会で、武藤と共に小島聡TARU組から世界タッグ王座を奪取。3月22日の新潟大会では、タッグ戦ながら太陽ケアからも勝利を収めた。同年チャンピオン・カーニバルに初出場、西村修や前三冠王者鈴木みのるから勝利を収めた。

5月11日、後楽園大会でVMのゾディアックと一騎討ちし、スパイラル・ボムで勝利。試合後、VMがドーリングの髪とゾディアックのマスクを賭けたリベンジマッチを要求し、これを受諾。5月25日の神戸大会でマスカラ・コントラ・カベジェラマッチで再戦し、その試合でも勝利した。

9月13日、GURENTAIとのキャプテンフォールイリミネーションマッチに出場。武藤らの攻撃が誤爆し退場となるときに本隊と不穏な空気を見せ、その後は特に異常な様子は見られなかったものの、最終戦でパートナーである真田聖也にレボリューションボムを食らわせてVM入りとなった。VM加入後はトレードマークの金髪とVMカラーの赤を混ぜ、世界最強タッグではゾディアックとの『ブードゥータワーズ』で出陣、勝ち点8と優勝決定戦進出を目前としていた。しかし、ゾディアックが急性腹膜炎で緊急手術となり棄権となった。

WWE (2010年)[編集]

2010年WWEとディベロップメント契約を結び、3月にFCWにてデビューした。4月にリングネームをドレイク・ブリュワーDrake Brewer)に変更。体格、力が上のレスラーが多いせいか出番が少なく、9月に解雇という形になってしまった。

全日本プロレス復帰 (2010 - 2019年)[編集]

2016年4月24日、脳腫瘍に冒されたジョー・ドーリングへの応援フラッグ。

11月5日、全日本プロレス台湾大会において、チャーリー・ハースの諸般の事情による欠場を受けて急遽出場となった。

2011年、VMに復帰。河野真幸とのタッグで世界タッグ王座を獲得するが、VMがスーパー・ヘイトへの暴行事件により解散となった。以後はビッグ・ダディ・ブードゥーとタッグを組み、世界最強タッグにも出場。

2012年5月に久々に来日。自身がヒールターンするきっかけとなった真田とタッグを組んで世界タッグ王座を獲得。だが、1ヶ月後に組まれたGET WILDのリマッチで敗れ王座を失い、試合後に真田とのコンビを解消。9月にベスト・パートナーを連れて来ると言い、再びゾディアックとコンビを組んだ。しかし10月21日の名古屋国際会議場大会で諏訪魔とシングルで対決、試合後に互いを認め合い、新チーム「ラスト・レボリューション」を結成(のちユニット化)。同年の世界最強タッグにも諏訪魔とのコンビで出場し準優勝を飾る。

2013年、全日本プロレス分裂騒動の際には諏訪魔と同様、全日本プロレス残留(ドーリングはフリーであるため、継続参戦。)を表明する。ラスト・レボリューションを解散し、諏訪魔とのコンビを「エボリューション」と改称(のちユニット化)。10月に諏訪魔とのタッグで自身4度目の世界タッグ王座戴冠と共に、年末の最強タッグで優勝した。翌2014年7月27日、後楽園大会で三冠王者の諏訪魔を破り、三冠ヘビー級王座を初戴冠。

2016年3月30日、チャンピオン・カーニバル参戦前に悪性脳腫瘍が発覚したため出場を辞退[1]。ドーリングの代わりにエボリューションのメンバーでもある青木篤志が代替出場となった。ドーリングは放射線治療など化学療法に専念し11月27日には両国国技館大会に来場、来年1月の復帰を宣言した[2]

2017年1月2日、後楽園大会で復帰[3]。後日、頭(脳腫瘍)に関しては「100%完治」。あとはレスリングが100%に戻すだけと全戦参加を訴えた[4]。2月シリーズからは全戦参戦、4月のチャンピオン・カーニバルにも出場しAブロックを4勝2敗で通過したが、優勝決定戦で石川修司に敗れ準優勝にとどまった。7月17日後楽園大会では、実質的な三冠ヘビー級王座次期挑戦者決定戦である宮原健斗との試合に敗れ、その日のメインイベント・三冠ヘビー級王座戦でリーダーの諏訪魔も王者・石川に負けたことによりフラストレーションが爆発。「1人でやっていったほうが良い」とエボリューション脱退を意思表示し始め、最終戦の7月30日大阪府立体育会館大会で正式に脱退を表明した。

8月27日の両国大会、諏訪魔と新日本プロレスの小島の一騎討ちの試合前に乱入し、諏訪魔を痛めつけた[5]。10月21日横浜文化体育館大会では諏訪魔の持つ三冠王座に挑戦し、タイトルを再び奪取。同年の世界最強タッグではケアとのコンビで3年ぶりに出場するが、決勝戦には残れなかった。

2018年3月25日、さいたまスーパーアリーナ(コミュニティアリーナ)大会での宮原との防衛戦に敗れ失冠。9月24日大阪府立体育会館大会、ボディガーとのタッグでユニット「Sweeper」のディラン・ジェイムス&ジェイク・リーの試合中、ディランがジェイクを裏切りドーリングと結託。Sweeperを脱退し、タッグチーム「ザ・ボンバー」を結成した[6]。シングル戦線では結果を残せなかったが、ザ・ボンバーでその年の世界最強タッグで優勝した[7]

2020年から2022年4月までは新型コロナウイルス感染症の影響で来日せず[8]

インパクト・レスリング (2020年 -)[編集]

2020年11月14日、インパクト・レスリングに突如乱入、エリック・ヤングとの共闘を表明する[9][10]。その後ユニット「Violent by Design」に参加、2021年5月17日にはライノと組み、インパクト・タッグ王座を戴冠[11]。翌2022年3月5日にもエリック・ヤングとのタッグで同王座を戴冠した[12]

2022年5月31日の「ジャンボ鶴田23回忌追善興行」で3年ぶりに来日[8][13]

9月に全日本プロレス参戦のため来日予定だったが、体調不良による精密検査で脳腫瘍の疑いがあるとして来日中止、活動休止がインパクト・レスリングと全日本プロレスの両団体から発表された[14][15]

エピソード[編集]

  • プロレス評論家でGAORAの全日本プロレス中継で解説を勤めている小佐野景浩が留学生当時の時に「今年(2007年)の暮れぐらいにはすごい戦力になっているかも」と言っていたが、その通りに2007年10月には諏訪魔から金星を挙げ、12月の最強タッグリーグでは武藤と共に優勝、2008年1月には武藤とのコンビで小島&TARUから世界タッグ王座を奪取するなど、当時の全日本正規軍には欠かせない選手の1人となった。
  • 留学生当時は『ジョン・ドーリング』と表記されていた。
  • カナダではBCWを中心に活躍している。

タイトル歴[編集]

インパクト・レスリング
全日本プロレス
EWA(European Wrestling Association)
  • EWA世界ヘビー級王座

得意技[編集]

フィニッシュ・ホールド[編集]

シットダウン・パワーボム
レボリューションボム(スパイラルボム)

投げ技[編集]

スープレックス
スーパープレックス
バックドロップ
ジャーマンスープレックス
スカイハイボム旋回式スパイン・バスター
高角度スパイン・バスター
デスバレーボム

打撃技[編集]

エルボー
エルボー・スタンプ
バックエルボー
バックハンド・チョップ
チョップ・スマッシュ
クローズライン
ドロップキック
ショルダー・タックル
スピアー

飛び技[編集]

トペ・スイシーダ
フラング・クロス・ボディ

入場曲[編集]

  • 「kill It」

脚注[編集]

  1. ^ “【全日】ジョー・ドーリング「悪性脳腫瘍」で治療に専念”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2016年3月30日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/225834 2021年1月31日閲覧。 
  2. ^ 悪性脳腫瘍で闘病中のジョー・ドーリングが来年1月の復帰を宣言!”. バトル・ニュース (2016年11月28日). 2021年1月31日閲覧。
  3. ^ 悪性脳腫瘍で欠場していたジョー・ドーリングが復帰戦!”. バトル・ニュース (2017年1月3日). 2021年1月31日閲覧。
  4. ^ 目指すは三冠&世界タッグ返り咲き フル参戦を熱望 ジョー・ドーリング インタビュー”. ぼくらのプロレス (2017年1月10日). 2017年1月10日閲覧。
  5. ^ “【全日本】諏訪魔 「残念な先輩」小島にまさかの敗北”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2017年8月28日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/50730 2021年1月31日閲覧。 
  6. ^ 9/24【全日本】ジェイムスがSweeper脱退宣言、ジョーと大型外国人タッグ結成へ”. プロレス格闘技DX (2018年9月24日). 2019年10月14日閲覧。
  7. ^ 【全日本】ジョー・ド―リング&ディラン・ジェイムスの‟ザ・ボンバー”が暴走大巨人を撃破し世界最強タッグ制覇!”. プロレスTODAY (2018年12月12日). 2021年1月31日閲覧。
  8. ^ a b ジャンボ鶴田23回忌追善興行に元3冠ヘビー王者ドーリング参戦 19年以来3年ぶり来日」『日刊スポーツ』、2022年5月29日。2022年6月1日閲覧。
  9. ^ ジョー・ドーリング、エリック・ヤング (14 November 2020). Joe Doering Makes VIOLENT DEBUT Alongside Eric Young! | Turning Point 2020 Highlights (YouTube) (英語). インパクト・レスリング. 2021年1月31日閲覧
  10. ^ Turning Point on IMPACT Plus Results” (英語). IMPACT Wrestling (2020年11月14日). 2022年9月2日閲覧。
  11. ^ IMPACT! on AXS TV Results – May 20, 2021” (英語). IMPACT Wrestling (2021年5月20日). 2022年9月2日閲覧。
  12. ^ Sacrifice 2022 Full Results” (英語). IMPACT Wrestling (2022年3月5日). 2022年9月2日閲覧。
  13. ^ 川田利明、ジャンボ鶴田さん追悼セレモニーで断言「いまだに、自分の中で最強はジャンボ鶴田です」…5・31全成績」『スポーツ報知』、2022年5月31日。2022年6月1日閲覧。
  14. ^ IMPACT Wrestling’s Joe Doering Steps Away From Active Competition” (英語). IMPACT Wrestling (2022年8月30日). 2022年9月2日閲覧。
  15. ^ 【全日本】ジョー・ドーリング「50周年記念大会」欠場 脳腫瘍の疑い治療開始のため来日困難 - プロレス”. 日刊スポーツ (2022年8月31日). 2022年9月2日閲覧。

外部リンク[編集]