ジョゼ・ロベルト・ガマ・デ・オリベイラ

べベット
名前
本名 ジョゼ・ロベルト・ガマ・デ・オリベイラ
José Roberto Gama de Oliveira
ラテン文字 BEBETO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1964-02-16) 1964年2月16日(60歳)
出身地 サルヴァドール
身長 173cm
体重 68kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1982 ブラジルの旗 ヴィトーリア
1983-1989 ブラジルの旗 フラメンゴ 80 (34)
1989-1992 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 53 (28)
1992-1995 スペインの旗 デポルティーボ・ラ・コルーニャ 131 (86)
1996 ブラジルの旗 フラメンゴ 15 (7)
1996-1997 スペインの旗 セビージャ 5 (0)
1997 ブラジルの旗 ヴィトーリア 8 (8)
1997 ブラジルの旗 クルゼイロ 0 (0)
1998-1999 ブラジルの旗 ボタフォゴ 17 (9)
1999 メキシコの旗 トロス・ネサ 8 (2)
2000 日本の旗 鹿島アントラーズ 8 (1)
2000 ブラジルの旗 ヴィトーリア 3 (0)
2001-2002 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 8 (2)
2002 サウジアラビアの旗 アル・イテハド 5 (1)
代表歴
1985-1998[1] ブラジルの旗 ブラジル 75 (39)
監督歴
2009-2010 ブラジルの旗 アメリカ-RJ
獲得メダル
男子サッカー
1988 サッカー
1996 サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ベベット(Bebeto)ことジョゼ・ロベルト・ガマ・デ・オリベイラ(José Roberto Gama de Oliveira、1964年2月16日 - )は、ブラジルサルヴァドール出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元ブラジル代表。ポジションはフォワード

1989年度南米年間最優秀選手賞受賞者で、1992-93シーズンのラリーガ得点王である。またゆりかごダンスの生みの親でもある[2]

クラブ経歴[編集]

ブラジルのCRフラメンゴではジーコの後継者と言われ6シーズンを過ごした[3]。当初は活躍できるのか疑問視され、サポーターからブーイングを受けることすらあったが、次第に彼らの心を掴んだ[4]。その後はCRヴァスコ・ダ・ガマで活躍した。

1992-93シーズン、FCバルセロナバイエルン・ミュンヘンからのオファーを蹴り[3]、1部に昇格したばかりのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍した。1992-93シーズンの開幕戦となったセルタ戦でPKによるゴールを決め、以降の2試合でもゴールを奪い、開幕から3試合連続ゴールを決めると[5]、10月2日のレアル・マドリード戦では2ゴールを決め勝利に貢献、10月16日のFCバルセロナ戦でも決勝ゴール[5]、12月6日から1月27日まで7試合連続ゴールを決め、この間の1月3日エスパニョール戦では1PKを含む、ラリーガ移籍後初のハットトリックを決めるなど[5]、29ゴールを決めラリーガの得点王となった[3]

1993-94シーズン、2月23日のアルバセテ・バロンピエ戦でハットトリックを決めるなど[5]、リーグ戦では16ゴールを決め、最終節まで首位を走り、勝利すれば優勝というところまで行くが、はバレンシアと対戦し、試合中にPKを得たが、PKキッカーを務めていたドナトが既に交代、ベベトがPKを蹴ることを拒否、ジュキッチがこれを外した結果、引き分けに終わり[6]FCバルセロナセビージャに勝利したことで逆転優勝を許した。

1994-95シーズン、4月9日のCDテネリフェ戦でハットトリックを決めるなど[5]、リーグ戦では16ゴールを決めた。またコパ・デル・レイの優勝に貢献した。

1995-96シーズン、10月1日のアルバセテ・バロンピエ戦では一人で5ゴールを決め[5]、12月21日のレアル・マドリード戦ではハットトリック、最終節のバルセロナ戦でも2ゴールを決めるなど[5]、リーグ戦で25ゴールを決めた。在籍中の4シーズンで131試合86ゴールを決める活躍をした。その後フラメンゴに復帰、1996-97シーズンにはセビージャに移籍したが、5試合でノーゴールに終わり短期で退団した。

1997年には短期のレンタル移籍でクルゼイロECに加入し、トヨタカップの獲得を目指し、ボルシア・ドルトムントとの試合に先発出場したが0-2と敗れた[7]

1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で100位に選出された。

2000年にはジーコからの誘いを受け、サンダーランドからのオファーを断り[7]Jリーグ鹿島アントラーズに入団。大きく注目を集め、本人も入団会見で得点王宣言をするなど活躍が期待されたが、4月1日の横浜F・マリノス戦でJリーグ初ゴールを決めるも[8]、全く水が合わず8試合出場しその1ゴールを挙げたのみで退団した[9]

代表歴[編集]

1989年度の南米選手権で6ゴールを決め得点王となり優勝に大きく貢献[3]南米年間最優秀選手賞を受賞した。1990年のイタリアW杯に出場したが、プレータイムは僅か7分に終わった[10]

1994年のアメリカW杯ではロマーリオと2トップを組み、グループリーグのカメルーン戦で1ゴール[10]、決勝トーナメントのアメリカ[3]、準々決勝のオランダ戦で1ゴール1アシストを決めるなど、ブラジルの4回目の優勝に貢献した。オランダ戦でゴールを決めた時に、自身の子供の誕生を祝うゆりかごダンスを披露した[11]。この時のベベトによるゆりかごダンスが有名になり現在も使われている[2]

1996年にはアトランタ五輪にオーバーエイジとして参加。ポルトガルとの3位決定戦でハットトリックを決めるなど、チームトップとなる大会6得点を挙げ、銅メダル獲得に貢献。

1998年にはフランスW杯に出場、グループリーグのスコットランド戦ではセザール・サンパイオのゴールをアシスト[10]モロッコ[10]ノルウェー戦ではゴールを決めると[10]、準々決勝のデンマーク戦では先制点を決めるなど[10]、決勝進出に貢献、決勝ではフランスに敗れて連覇は出来なかった。

引退後[編集]

引退後の2010年、ブラジルのリオデジャネイロ州会議員選挙に立候補し、当選を果たした、その後2度連続して当選した[7]。2012年2月、2014年ブラジルW杯大会組織委員会理事に就任。

家族[編集]

1994年のワールドカップで披露した「ゆりかごダンス」時に誕生した息子マテウス[2]、父も在籍したCRフラメンゴや、ポルトガルの名門クラブスポルティング・リスボンで活躍している。

その他[編集]

ロマーリオとベベトが共にプレーした試合におけるブラジル代表は無敗であった[12]

個人成績[編集]

クラブでの成績[編集]

出典[13]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1982 ヴィトーリア
1983 フラメンゴ 2 0
1984 11 5
1985 22 9
1986 17 5
1987 14 6
1988 14 9
1989 ヴァスコ・ダ・ガマ 12 6
1990 8 1
1991 8 3
1992 25 18
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1992-93 デポルティーボ 37 29
1993-94 34 16
1994-95 26 16
1995-96 34 25
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1996 フラメンゴ 15 7
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1996-97 セビージャ 5 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1997 ヴィトーリア 8 8
1997 クルゼイロ 0 0
1998 ボタフォゴ 17 9
1999 ボタフォゴ 0 0
メキシコ リーグ戦 コパMXオープン杯 期間通算
1998-99 トロス・ネサ 8 2
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 鹿島 8 J1 8 1 0 0 - 8 1
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2000 ヴィトーリア 3 0
2001 ヴァスコ・ダ・ガマ 8 2
2002 0 0
サウジアラビア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2002-03 アル・イテハド 5 1
通算 ブラジル 184 88
スペイン 136 86
メキシコ 8 2
日本 J1 8 1 0 0 - 8 1
サウジアラビア 5 1
総通算 341 178

代表での成績[編集]

出典[1]


ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
1985 6 0
1986 0 0
1987 0 0
1988 0 0
1989 18 10
1990 3 0
1991 5 0
1992 8 7
1993 9 7
1994 11 8
1995 2 2
1996 1 1
1997 3 1
1998 9 3
通算 75 39

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b “Jose Roberto Gama de Oliveira "Bebeto" - Goals in International Matches”. The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/bebeto-intlg.html 2017年12月7日閲覧。 
  2. ^ a b c “ゆりかごダンス”の生みの親! 鹿島でもプレーした元ブラジル代表FWのゴール-FC
  3. ^ a b c d e 「速さ」で新大陸を飾った男──ベベット-加川サッカーライブラリー
  4. ^ “ジーコの抜けた穴を埋めたベベット。W杯で見せた「悪童」との友情”. sportiva.shueisha.co.jp. (2020年5月4日). https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2020/05/04/post_21/index.php 2020年5月5日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g “Bebeto All goals”. www.transfermarkt. https://www.transfermarkt.com/bebeto/alletore/spieler/26541 2020年5月5日閲覧。 
  6. ^ Joy of Six: the greatest league title finales-The Guardian
  7. ^ a b c “ゆりかごダンスのベベットは政治家に。秋葉原で買ったPCの思い出”. sportiva.shueisha.co.jp. (2020年5月4日). https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2020/05/04/pc/ 2020年5月5日閲覧。 
  8. ^ “ベベット”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=6174 2020年4月16日閲覧。 
  9. ^ “Jリーグ歴代ガッカリ外国人選手5人 本領発揮できずに退団した各国代表級の助っ人たち”. footballchannel.jp. (2020年3月17日). https://www.footballchannel.jp/2020/03/17/post299221/3/ 2020年4月16日閲覧。 
  10. ^ a b c d e f “Bebeto national team”. www.transfermarkt. https://www.transfermarkt.co.uk/bebeto/nationalmannschaft/spieler/26541 2020年5月5日閲覧。 
  11. ^ WORLD CUP '94; For Now, Just Call It a Truce-THe New York times
  12. ^ Бебето: През 94-а България имаше потенциал за световната титла -G13NG
  13. ^ Bebeto”. National-Football-Teams.com. 2017年12月7日閲覧。

外部リンク[編集]