ジョサイア・チュグワネ

獲得メダル
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
陸上競技
オリンピック
1996 アトランタ マラソン

ジョサイア・チュグワネJosia Thugwane1971年4月15日 - )は南アフリカ共和国の男子陸上長距離(マラソン)選手である。身長158cm、体重45kg(1996年8月当時)。

略歴[編集]

もともとはサッカー選手であったがマラソン選手に転向した。アトランタオリンピック前の職業は鉱山宿舎の警備員であったという。1995年世界ハーフマラソンでは5位に入り、ホノルルマラソンでは2時間16分8秒で優勝を果たした。1996年3月には南アフリカ共和国内の治安の悪さからカージャックに遭い、背中に銃を突きつけられさらには逃げる際に顎を銃弾がかすめるなど九死に一生を得ている。

そして1996年8月のアトランタオリンピック男子マラソンに出場、戦前は注目を集める選手ではなかったが2時間12分36秒のタイムで優勝しゴールドメダリストの栄誉に輝いた。レースでは30キロ過ぎからペースを上げ李鳳柱エリック・ワイナイナと先頭集団を形成したが、スタジアム手前でチュグワネがスパートし李に3秒差の大接戦で栄光のゴールテープを切った。 また、これはアパルトヘイトの歴史を持つ南アフリカ共和国における、黒人初の金メダリストとなる快挙であり、われわれ黒人も国際社会で自由に走れるように。それが何よりうれしい[1]、とのコメントを残した。 しかし、1996年9月3日付けの南アフリカ・スター紙によると、「アトランタ五輪男子マラソン優勝のジョサイア・チュグワネ選手(南アフリカ)が、五輪金メダルで得た富の代償として家族を含めた生命の危険から、病気になっている」と報じられた[2]。上記のようにオリンピック以前から強盗に遭うなど活躍を重ねるごとに皮肉にも生命の危機にさらされるようになった。

その後は、1997年ロンドンマラソンで2時間8分06秒のタイムで3位(優勝はポルトガルのアントニオ・ピントで2時間7分55秒)に入るなど主要なレースに出場した。日本のマラソン大会にも数度にわたり出場している。1997年の福岡国際マラソンでは雨の降る天候の中30キロ地点過ぎからスパートし、当時世界歴代10位となる2時間7分28秒のタイムで優勝した。チュグワネが記録したこの時のタイムはマラソン自己ベストであり、また日本国内で2時間8分の壁を初めて越えるものとなった。また、前年1996年の同国際マラソンでは29キロ手前で棄権している。2002年長野マラソンにも来日し2時間13分23秒のタイムで優勝、翌2003年にも同マラソンに出場し2位に入った(優勝はワイナイナ)。

2000年に出場したシドニーオリンピックではチュグワネは2時間16分59秒の20位に終わった(優勝はエチオピアゲザハン・アベラで2時間10分11秒)。

現役時代 マラソン全成績[編集]

# 年月日 大会 順位 記録 備考
1 1990年4月12日 ウィトバンク 2位 2時間22分24秒
2 1991年2月2日 ネルスプルート 優勝 2時間18分00秒
3 1991年4月6日 ゴドゥワナ 優勝 2時間13分48秒
4 1991年7月20日 ダーバン 6位 2時間14分00秒
5 1992年3月28日 ケープタウン 4位 2時間13分36秒
6 1992年4月4日 ゴドゥワナ 優勝 2時間17分42秒
7 1993年1月5日 ティベリアス 3位 2時間18分42秒
8 1993年3月20日 南アフリカ選手権・ケープタウン大会 優勝 2時間14分25秒
9 1993年11月13日 プレトリア 優勝 2時間15分57秒
10 1993年12月12日 ホノルルマラソン 13位 2時間29分16秒
11 1994年3月20日 慶州 28位 2時間24分52秒
12 1994年10月30日 シカゴマラソン DNF 途中棄権
13 1994年12月4日 ソウェト 5位 2時間22分26秒
14 1995年4月1日 ゴドゥワナ 優勝 2時間18分47秒
15 1995年10月14日 ブレダスドルプ 優勝 2時間26分39秒
16 1995年11月12日 ニューヨークシティマラソン DNF 途中棄権
17 1995年12月10日 ホノルルマラソン 優勝 2時間16分08秒
18 1996年2月25日 南アフリカ選手権・ケープタウン大会 優勝 2時間11分46秒
19 1996年8月4日 アトランタオリンピック 優勝 2時間12分36秒 金メダル獲得
20 1996年12月1日 福岡国際マラソン DNF 途中棄権
21 1997年4月13日 ロンドンマラソン 3位 2時間08分06秒
22 1997年12月7日 福岡国際マラソン 優勝 2時間07分28秒 生涯自己ベスト記録
23 1998年4月26日 ロンドンマラソン DNF 途中棄権
24 1998年11月1日 ニューヨークシティマラソン DNF 途中棄権
25 1999年4月18日 ロンドンマラソン DNF 途中棄権
26 1999年12月5日 福岡国際マラソン 26位 2時間17分01秒
27 2000年4月16日 ロンドンマラソン 8位 2時間10分29秒
28 2000年10月1日 シドニーオリンピック 20位 2時間16分59秒
29 2000年11月5日 ニューヨークシティマラソン 6位 2時間15分25秒
30 2001年3月18日 ソウル国際マラソン 2位 2時間11分52秒
31 2001年8月3日 世界陸上エドモントン大会 DNF 途中棄権
32 2001年12月9日 ホノルルマラソン DNF 途中棄権
33 2002年4月14日 長野マラソン 優勝 2時間13分23秒
34 2002年11月3日 ソウル国際マラソン 7位 2時間10分05秒
35 2003年4月13日 長野マラソン 2位 2時間14分18秒
36 2003年8月29日 世界陸上サン=ドニ大会 DNF 途中棄権
37 2003年11月2日 ソウェト DNF 途中棄権
38 2004年11月28日 ミラノ DNF 途中棄権
39 2005年5月22日 ウィーン DNF 途中棄権
40 2005年12月11日 ホノルルマラソン DNF 途中棄権
41 2006年9月17日 ワルシャワ 4位 2時間17分11秒

脚注[編集]

  1. ^ 読売新聞』朝刊1996年8月
  2. ^ 『読売新聞』朝刊1996年9月

外部リンク[編集]