ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ (フィリップ6世王妃)

ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ
Jeanne de Bourgogne
フランス王妃
在位 1328年4月1日 - 1349年12月12日
戴冠式 1328年5月28日

出生 (1293-06-24) 1293年6月24日
死去 (1349-12-12) 1349年12月12日(56歳没)
フランス王国パリ
埋葬 フランス王国サン=ドニ大聖堂
結婚 1313年6月
配偶者 フランス王フィリップ6世
子女 一覧参照
家名 ブルゴーニュ家
父親 ブルゴーニュ公ロベール2世
母親 アニェス・ド・フランス
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ジャンヌ・ド・ブルゴーニュフランス語: Jeanne de Bourgogne, 1293年6月24日 - 1349年12月12日)は、フランス国王フィリップ6世の最初の王妃。ジャンヌ・ラ・ボワトゥーズJeanne la Boiteuse)とも呼ばれる(ボワトゥーズは「足の不自由な女」の意味)。

夫が百年戦争に従軍している間には摂政を務めた。

生涯[編集]

ブルゴーニュ公ロベール2世と、フランス王ルイ9世の王女アニェスの次女で[1]、姉マルグリットルイ10世の妃である[2]。 1313年6月、ルイ10世のいとこであるフィリップ・ド・ヴァロワ(後のフィリップ6世)と結婚した。フィリップは1315年から1328年までメーヌ公で、1325年からヴァロワ伯、アンジュー伯でもあった。

2人の間にはジャン(のちのジャン2世)とオルレアン公フィリップらが生まれた。

フィリップ4世の息子であるルイ10世、フィリップ5世シャルル4世ら歴代のフランス王は男子がいなかったため、フィリップ・ド・ヴァロワが王位に就いた。

1337年、百年戦争が起こり、イギリスのエドワード3世がルイ10世の甥であることを理由にフランス王位継承権を主張した。知的で強い意志の持ち主であるジャンヌは、夫が戦争の戦闘で不在時に摂政として采配を振った。しかし、ジャンヌの性格とその権力によってこの夫婦に悪い評判が立ち、噂は足の奇形によって強調され(邪悪の印であると一部で考えられていた)、やがて「la male royne boiteuse」(足の不自由な王妃)と呼ばれるようになった。

ジャンヌは学者肌の女性であり、愛書家であると言われていた。

1349年12月12日、黒死病で死去し[3]サン=ドニ大聖堂に葬られた。孫のシャルル5世によって建てられた墓はフランス革命期に破壊された。

家族[編集]

1313年に結婚したフィリップ6世との間に以下の子女をもうけた。

  • ジャン2世(1319年 - 1364年) - フランス王
  • マリー(1326年 - 1333年) - ブラバン公ジャン3世の子ジャンと結婚
  • ルイ(1329年)
  • ルイ(1330年)
  • フィリップ(1336年 - 1376年) - オルレアン公
  • ジャンヌ(1337年)

ジャンヌの死後の1361年、ジャンヌの甥の子ブルゴーニュ公フィリップ1世が嫡出子なしに死ぬと、ブルゴーニュ家の男系が断絶した。次のブルゴーニュ公に縁者の中から誰を選ぶかが問題となり、ジャンヌの姉マルグリットの孫にあたるシャルル・デヴルー(ナバラカルロス2世)が長系相続者の権利を主張したが、結局ジャンヌの長男ジャンが一時王領にした後、四男フィリップ豪胆公に与えた。

脚注[編集]

  1. ^ Setton 1975, p. 773.
  2. ^ Hallam 1980, p. 282.
  3. ^ Sumption 1999, p. 49.