シャルル・L・ビッチ

シャルル・L・ビッチCharles L. Bitsch1931年4月23日 ミュルーズ - 2016年5月27日 ヴィルジュイフ)は 、フランス映画監督撮影監督脚本家。10年にわたって、ジャン=リュック・ゴダール助監督であったことで知られる。

来歴・人物[編集]

  • 1931年4月23日、フランス・オー=ラン県ミュルーズに生まれる。
  • 1952年、21歳のときに、ジャック・リヴェット監督の習作短篇『Le Divertissement』の撮影監督を引き受け、映画界でのキャリアが始まる。翌1953年フィリップ・ド・ブロカらと短い習作オムニバス映画『Les Trois rendez-vous』をつくり、初めて演出を手がける。ヌーヴェルヴァーグの本格的作品と呼ばれるリヴェットの『王手飛車取り』(1956年)では撮影のほかに、リヴェット、クロード・シャブロルと共同で脚本を手がける。エリック・ロメールの習作の撮影を経て、リヴェットの長篇デビュー作『パリはわれらのもの』(1960年)の撮影で長篇をものす。
  • 1958年、シャブロルの製作会社AJYMフィルムの本格的始動と映画監督としてのキャリアの開始にともない、シャブロルの助監督を始める。また、1961年、ゴダールとアンナ・カリーナの製作会社の始動に際し、助監督としての活動の場所をアヌーシュカ・フィルムに移す。10年の助監督生活の間にも、ゴダールを世に出したジョルジュ・ド・ボールガールによる若手俊英オムニバス2本『接吻・接吻・接吻』と『La chance et l'amour』とに監督として参加(後者は全話の撮影監督も兼務)、着実にキャリアを積む。やがて、1970年、アヌーシュカ・フィルム社の製作により、『Le dernier homme』で長編劇映画デビューを果たす。商業映画を離れ政治映画へと突入して行くゴダールのL・ビッチへのはなむけであったといえる。
  • 長編劇映画デビュー以降のL・ビッチは、テレビ映画ばかりを手がけた。知られざるヌーヴェルヴァーグの生き証人のひとりである。

フィルモグラフィー[編集]

おもな監督作[編集]

撮影[編集]

  • Le Divertissement 短篇 1952年 監督ジャック・リヴェット、製作ジャン=リュック・ゴダール ※撮影監督デビュー作
  • 王手飛車取り Le Coup du berger 中篇 1956年 監督ジャック・リヴェット
  • ヴェロニクと怠慢な生徒 Véronique et son cancre 短篇 1958年 (Charles Bitsch名義) 監督エリック・ロメール
  • パリはわれらのもの Paris nous appartient 1960年 監督・脚本ジャック・リヴェット、製作クロード・シャブロル、フランソワ・トリュフォー
  • La Chance et l'amour 1964年 ※上記参照

脚本 (監督作以外)[編集]

助監督[編集]

外部リンク[編集]