シモン・ボリバル (原子力潜水艦)

シモン・ボリバル
シモン・ボリバル (SSBN-641)
基本情報
建造所 ニューポート・ニューズ造船所
運用者  アメリカ海軍
艦種 弾道ミサイル原子力潜水艦
級名 ベンジャミン・フランクリン級原子力潜水艦
前級 ジェームズ・マディソン級原子力潜水艦
次級 オハイオ級原子力潜水艦
艦歴
発注 1962年11月1日
起工 1963年4月17日
進水 1964年8月22日
就役 1965年10月29日
退役 1995年2月8日
除籍 1995年2月8日
その後 原子力艦再利用プログラムにより解体
要目
全長 129.5 m(425 ft)
最大幅 10 m(33 ft)
吃水 9.6 m (32 ft)
主機 GE S5W原子炉 1基
推進器 1軸
最大速力 水上16ノット (30 km/h)
水中21ノット (39 km/h)
乗員 士官14名、兵員126名
兵装 潜水艦発射弾道ミサイル 16基
533mm魚雷発射管 4門
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シモン・ボリバル(USS Simon Bolivar, SSBN-641)は、アメリカ海軍原子力潜水艦ベンジャミン・フランクリン級原子力潜水艦の2番艦。艦名はシモン・ボリバルに因む。

艦歴[編集]

シモン・ボリバルの建造は1962年11月1日にバージニア州ニューポート・ニューズニューポート・ニューズ造船所に発注され、1963年4月17日に起工した。1964年8月22日にトーマス・C・マン夫人によって進水し、1965年10月29日にブルー班艦長チャールズ・H・グリフィス中佐およびゴールド班艦長チャールズ・A・オレム中佐の指揮下就役した。

1965年12月後半から1966年1月にかけてシモン・ボリバルは示威整調活動を行う。ゴールド班は1月17日にケープカナベラル沖でA-3 ポラリスミサイルの発射に成功し、その2週間後にブルー班も発射に成功した。2月にゴールド班はカリブ海で整調活動を続け、翌月に母港がサウスカロライナ州チャールストンに変更された。信頼性試験期間に小修正が行われ、4月にブルー班乗組員は第1回と第3回の戦略抑止哨戒準備を行い、その間にゴールド班乗組員は訓練および第2回の戦略抑止哨戒準備に入る。シモン・ボリバルは1967年1月に第18潜水戦隊 (SubRon 18) の一部として第3回の哨戒を完了した。

定期的な哨戒活動は1971年2月7日まで継続し、その後バージニア州ニューポート・ニューズオーバーホールが行われる。この間に艦はポセイドン・ミサイルが運用できるよう改修された。

シモン・ボリバルは1972年5月12日にニューポート・ニューズを出航し、オーバーホール後の整調およびブルー、ゴールド両班の回復訓練を9月16日まで行った。1972年の後半は定期哨戒任務に戻る。

1974年10月にシモン・ボリバルはチャールストンの第18潜水戦隊に復帰する。艦は1974年のBattle "E"を受章した。また、大西洋艦隊において最も傑出した弾道ミサイル潜水艦としてProvidence Plantation Awardも受章した。続く1975年および1976年もBattle "E"を受章する。1979年2月、40回目の哨戒後にシモン・ボリバルはメイン州キタリーポーツマス海軍造船所に入り、オーバーホールおよび C-4 トライデント・ミサイル運用のための改修が行われた。作業が完了すると1981年1月に母港のチャールストンに帰還する。その後ジョージア州キングス・ベイで修理を行った後哨戒を続け、1982年には再びBattle "E"を受章した。1983年の夏にはトライデント・ミサイルの発射試験に成功した。

シモン・ボリバルは1994年9月に不活性化が行われ、1995年2月8日に退役、同日除籍された。1994年10月1日にワシントン州ブレマートン原子力艦再利用プログラムに従って解体が始まり、1995年12月1日に作業は完了した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]