サン=ペテルスブール通り

パリ8区
サン=ペテルスブール通り
Rue de Saint-Pétersbourg

ヨーロッパ広場から見たサン=ペテルスブール通り

地図
位置
行政区 8区
カルティエ ヨーロッパ地区
起点 ヨーロッパ広場
終点 クリシー広場3番地、バティニョール大通り5番地
全長・幅員等
全長 490 m
幅員 15 m
沿革
創設 1826年
命名 1991年11月28日パリ市条例(ジャック・シラク市長在任時)
旧称 Rue de Saint-Pétersbourg(1914年まで)
Rue de Pétrograd(1914年 - 1945年
Rue de Léningrad (1945年 - 1991年)
番号
Ville de Paris 8948
DGI 5515
サン=ペテルスブール通りの位置(パリ内)
サン=ペテルスブール通り
サン=ペテルスブール通り
パリ内の位置
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座標: 北緯48度52分51秒 東経2度19分30秒 / 北緯48.880935度 東経2.324939度 / 48.880935; 2.324939

サン=ペテルスブール通り (Rue de Saint-Pétersbourg) は、フランスパリ8区のヨーロッパ地区にある通り。

場所とアクセス[編集]

南西側のヨーロッパ広場フランス語版から、北東側のクリシー広場フランス語版に向かう。

名称の由来[編集]

ロシアのサンクトペテルブルクにちなんだ名称であり、1914年にサンクトペテルブルクがペトログラードと改称すると、この通りもペトログラ通りとなり、1924年にペトログラードがレニングラードと改称した後、1945年からレニングラ通りとなった。1991年、もとのサン=ペテルスブール通りに戻った。

沿革[編集]

1826年2月2日の勅令により、ヨーロッパ地区の創設とともに開設が許可された。

著名な建物[編集]

  • 1番地:フランス国鉄サン=ラザール駅貨物取扱所があった場所[1]
  • 3番地:サン=ラザール駅郵便局、1939年建築[2]
  • 4番地:画家エドゥアール・マネが住んでいた。
  • 8番地:ジャン・ギャバンのきょうだいReine FerrierとFerdinand Moncorgéが住んでいた。
  • 22番地:眼鏡店maison Bylaartが1922年に開業した。
  • 23番地:当時の通商・産業・郵政大臣アレクサンドル・ミルランが居住した。
  • 24番地の2:無原罪のマリア修道会の礼拝堂が、1876年に建設が始まったが、1899年まで中断され、1900年8月12日に完成した。1903年6月23日に閉鎖されたが、1907年10月19日にサン=タンドレ=ダンタン礼拝堂として再開を許された。1967年からは、サン=タンドレ・ド・ルロップ礼拝堂となっている。
  • 26番地-26番地の2:無原罪のマリア修道会がパリで活動を始めたのが1859年であり、当初はバティニョール地区に拠点を構えていたが、その後この通りに移ってきた。1903年に修道会が去ると、1907年からホテル兼チャペルとして使われるようになった。現在は産業財産庁が入居している。
  • 28番地:パリ国立オペラの歌手Lina Pacaryが1910年当時住んでいた[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b Rochegude, op. cit., p.45.
  2. ^ « Le bureau de tri postal de la gare Saint-Lazare », Le Génie civil. Revue générale des industries françaises et étrangères, 24 juin 1939, t.114, no 25

参考文献[編集]

  • Félix et Louis Lazare, Dictionnaire administratif et historique des rues de Paris et de ses monuments, Paris, Imprimerie de Vinchon, 1844-1849.
  • Félix de Rochegude, Promenades dans toutes les rues de Paris. VIII arrondissement, Paris, Hachette, 1910.