サンダーガルチ

サンダーガルチ
1995年ベルモントステークス出走時
欧字表記 Thunder Gulch
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1992年5月23日
死没 2018年3月19日(26歳没)[1]
Gulch
Line of Thunder
母の父 Storm Bird
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Peter M. Brant
馬主 Mutual Shar Stable
Michael Tabor
調教師 John C. Kimmel
Darrell Wayne Lukasアメリカ
競走成績
生涯成績 16戦9勝
獲得賞金 2,915,086ドル
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サンダーガルチThunder Gulch1992年 - 2018年)はアメリカ競走馬である。1995年のアメリカ二冠馬種牡馬としても活躍している。半弟日本ダート戦線で活躍したバトルライン(父オジジアン)がいる。

戦績[編集]

1993年のキーンランドジュライセールイヤリングで4万ドルで落札される。

1994年9月のメイドン(未勝利戦)で競走馬としてデビューして3着、続く2戦目で初勝利を挙げた。重賞2戦で2着、4着に入ったあと、クールモアスタッドの共同経営者の1人であるマイケル・テイバーに売却され、ウェイン・ルーカス調教師が新たに管理することとなる。新しい馬主と調教師のもとでの初戦となったG2レムゼンステークスで初重賞勝利を飾った。次走G1ハリウッドフューチュリティでは2着に敗れ、その年を終えた。

3歳となった1995年は充実期を迎え、G2ファウンテンオブユースステークスを勝った後、G1フロリダダービーを制してG1初制覇を飾った。だが、ケンタッキーダービーの前哨戦となったG2ブルーグラスステークスで格下相手に4着と敗れると評価が急落し、本番のケンタッキーダービーではG1競走優勝馬にもかかわらず単勝11番人気とかなりの低評価が下された。だがそういった低評価を覆し、エクリプス賞最優秀2歳牡馬を受賞したティンバーカントリー以下を2馬身4分の1の着差で完封して優勝した[2]

次走プリークネスステークスはティンバーカントリーに雪辱を許して3着に敗れたが、三冠最終戦のベルモントステークスではティンバーカントリーが熱発で回避したこともあって単勝1番人気に支持され、これを2馬身差で勝利、二冠を手にした。

このあとG2スワップスステークス、G1トラヴァーズステークス、ケンタッキーカップクラシックハンデキャップと3連勝。そして次走ジョッキークラブゴールドカップでは当時10連勝中の古馬シガーとの初対決を迎えたが、まったく勝負にならずシガーの11連勝を尻目に11馬身差の5着と惨敗した。さらにその競走後に骨折が判明したため、そのまま引退することになった。年末にはエクリプス賞最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得した。二冠含むG1競走4勝と本来なら年度代表馬に選出されてもなんら不思議のない成績だが、この年は自身も敗れたシガーがG1競走8勝含む10戦10勝と完璧な成績を収めていたため受賞を逃している。

年度別競走成績[編集]

  • 1994年(6戦2勝)
    • レムゼンステークス (G2)
  • 1995年(10戦7勝)
    • フロリダダービー (G1) 、ケンタッキーダービー (G1) 、ベルモントステークス (G1) 、トラヴァーズステークス (G1) 、ファウンテンオブユースステークス (G2) 、スワップスステークス (G2)

種牡馬時代[編集]

1996年にクールモア傘下のアッシュフォードスタッドで種牡馬入り。初年度の種付料は4万ドルと高い期待を受けた。1999年にデビューした初年度産駒からG1競走優勝馬を輩出。2世代目にはプリークネスステークスとベルモントステークスで二冠を獲得するなどG1競走6勝を挙げた、2001年エクリプス賞年度代表馬および最優秀3歳牡馬のポイントギヴンというチャンピオンホースを出した。その活躍などにより、同年の北米リーディングサイアーとなり、翌2002年の種付料は8万ドルまで上昇した。その後もステークス競走優勝馬を続々と輩出し、種牡馬としても成功を収めた。母の父としてもブリーダーズカップ・クラシック勝ち馬バイエルンなどを出している。

2015年1月29日に種牡馬引退が発表された。その時点での産駒成績は2382頭が誕生して1901頭がデビュー、1273頭が勝ち上がり、勝ち上がり率は約67%。ステークスウィナーは96頭[3]もしくは97頭[4]を数え、産駒による総獲得賞金は9048万64ドルだった。

日本では1999年リース種牡馬としてイーストスタッドで供用された。その際の産駒から目立った活躍馬は出なかったが、2007年持込馬イイデケンシン全日本2歳優駿に勝利し、日本での初重賞制覇となった。

2018年3月19日、老衰により死去。26歳没[1][5]

主な産駒[編集]

母の父としての主な産駒[編集]

血統表[編集]

サンダーガルチ血統ミスタープロスペクター系 / Native Dancer 4×5=9.38%) (血統表の出典)

Gulch
1984 鹿毛
父の父
Mr. Prospector
1970 鹿毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
父の母
Jameela
1976 黒鹿毛
Rambunctious Rasper
Danae
Asbury Mary Seven Corners
Snow Flyer

Line of Thunder
1987 鹿毛
Storm Bird
1978 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
South Ocean New Providence
Shining Sun
母の母
Shoot a Line
1977 鹿毛
High Line *High Hat
Time Call
Death Ray Temerlane
Luminant F-No.11-d

脚注[編集]

  1. ^ a b “95年米2冠、サンダーガルチが26歳老衰で死す…”. スポーツニッポン新聞社. (2018年3月21日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2018/03/21/kiji/20180320s00004050401000c.html 2018年3月21日閲覧。 
  2. ^ このレースには日本からスキーキャプテン(騎手は武豊)が参戦していた(14着)。
  3. ^ KY Derby Winner Thunder Gulch Pensioned at 23
  4. ^ Thunder Gulch pensioned in Kentucky
  5. ^ 1995年の米二冠馬サンダーガルチが死亡 産駒にポイントギヴン、イイデケンシンなど”. netkeiba.com (2018年3月20日). 2018年3月20日閲覧。
  6. ^ ミトノオー”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2023年5月3日閲覧。

外部リンク[編集]