サウゼ・ドゥルクス

サウゼ・ドゥルクス
Sauze d'Oulx
サウゼ・ドゥルクスの風景
行政
イタリアの旗 イタリア
ピエモンテ州の旗 ピエモンテ
県/大都市 トリノ
CAP(郵便番号) 10050
市外局番 0122
ISTATコード 001259
識別コード I466
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
地震分類 zona 3A (sismicità bassa)
気候分類 zona F, 4617 GG
公式サイト リンク
人口
人口 1,082 [1](2020-01-01)
人口密度 63.3 人/km2
文化
住民の呼称 salicesi
守護聖人 洗礼者聖ジョヴァンニ
(San Giovanni Battista)
祝祭日 6月24日
地理
座標 北緯45度01分36秒 東経06度51分29秒 / 北緯45.02667度 東経6.85806度 / 45.02667; 6.85806座標: 北緯45度01分36秒 東経06度51分29秒 / 北緯45.02667度 東経6.85806度 / 45.02667; 6.85806
標高 1509 (1240 - 2498) [2] m
面積 17.10 [3] km2
サウゼ・ドゥルクスの位置(イタリア内)
サウゼ・ドゥルクス
サウゼ・ドゥルクスの位置
トリノ県におけるコムーネの領域
トリノ県におけるコムーネの領域 地図
イタリアの旗 ポータル イタリア
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サウゼ・ドゥルクスイタリア語: Sauze d'Oulx)は、イタリア共和国ピエモンテ州トリノ県にある、人口約1,100人の基礎自治体コムーネ)。

歴史ある山岳リゾート地で、セストリエーレなどとともにヴィア・ラッテア英語版と呼ばれるスキーエリアに含まれる。2006年トリノオリンピックでは、フリースタイル・スキー競技の会場となった。

名称[編集]

ファシスト政権下のイタリア化政策により、1928年から1947年にかけてサリーチェ・ドゥルツィオSalice d'Ulzio)と呼ばれた。sauze を salice(イタリア語で柳を意味する)と解釈したものであるが、語源学的には誤りである。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

トリノ県南西部のコムーネで、ヴァル・ディ・スーザに位置する。サウゼ・ドゥルクスの集落は、スーザの南西約19km、県都・州都トリノの西約65km、グルノーブルの東約88kmにある。

サウゼ・ドゥルクスの集落はウルクスの集落の南東約2kmに所在する。コムーネとしてのサウゼ・ドゥルクスは、南東側を除いてウルクスに三方を囲まれている。

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネ、およびそれに相当する行政区画は以下の通り。

歴史[編集]

ローマ時代以前のこの地にはケルト人の集落があったことが考古学的な調査によりわかっている。

中世にはノヴァレーザの修道院 (it:Abbazia di Novalesa領となり、次いでウルクスの聖職者(プロヴォスト)の所領となった。

1000年にはドーフィネの一部に組み込まれ、1343年からはエスカルトン共和国イタリア語版の一部となった。

1713年ユトレヒト条約により、フランスはこの地をサヴォイア家に割譲した。オーストリア継承戦争中の1747年には、フランスとサルデーニャ王国(サヴォイア家)との間に起こったアッシエッタの戦いの戦場となった。

19世紀の初め以降、サウゼ・ドゥルクスはトリノの貴族たちの冬のリゾートとなった。

ファシスト政権下のイタリア化政策により、1928年に地名が「サリーチェ・ドゥルツィオ」(Salice d'Ulzio)と改められた。第二次世界大戦後に自治体となり、地名ももとに戻された。

2006年トリノオリンピックでは、フリースタイル・スキー競技トリノ五輪フリースタイルスキー競技)の会場となった。

行政[編集]

分離集落[編集]

サウゼ・ドゥルクスには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Jouvenceaux, Les Clotes, Richardet, Sportinia, Tachier

脚注[編集]

「※」印を付したものは翻訳元に挙げられていた出典であり、訳出に際し直接参照してはおりません。

外部リンク[編集]