コンスタンディノス・デメルジス

コンスタンディノス・デメルジス
Κωνσταντίνος Δεμερτζής
生年月日 (1876-11-07) 1876年11月7日
出生地 ギリシャの旗 ギリシャ王国 アテネ
没年月日 (1936-04-12) 1936年4月12日(59歳没)
死没地 ギリシャの旗 ギリシャ王国 アテネ
出身校 ミュンヘン・ルートヴィヒ・マクシミリアン大学
所属政党 自由党
国民自由党

在任期間 1935年11月30日 - 1936年4月12日
国王 ゲオルギオス2世
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コンスタンディノス・デメルジス(ギリシャ語:Κωνσταντίνος Δεμερτζής、英語:Konstantinos Demertzis1876年11月7日 - 1936年4月12日)は、ギリシャ王国の政治家。首相を務めた。

生涯[編集]

1876年11月7日にアテネに誕生した。アテネ大学ミュンヘン・ルートヴィヒ・マクシミリアン大学で法学を学び、1928年にアテネ大学法学部の親族法の教授になった。

彼の政治生涯は1910年にギリシャ議会選挙で当選したことで始まった。ギリシャ第二共和政成立後の1924年に他の多くの政治家と同じく政党を結成したが、短期間で解散した。

1935年11月30日に国王ゲオルギオス2世がデメルジスを暫定首相に任命し、デメルジスはさらに外相、戦争相、海軍相を兼任した。しかし、比例代表制で行われた選挙では王党派が143議席・共和派が141議席とそれぞれ4割強の議席を得て、15議席を得た共産党がキャスティングボートと化してしまった[1][2]。共産党との協調を選ぶ各政党の姿勢に対して陸軍の不満がくすぶる中、デメルジスは有効な対策を打ち出せないまま、1936年4月13日に心臓発作で死亡した。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • リチャード・クロッグ著・高久暁訳『ギリシャの歴史』創土社、2004年。ISBN 4-789-30021-8 
  • 桜井万里子著『ギリシア史』山川出版社、2005年。ISBN 4-634-41470-8 

外部リンク[編集]

公職
先代
ゲオルギオス・コンディリス
ギリシャの旗 ギリシャ王国首相
第123代:1935年11月30日 - 1936年4月13日
次代
イオアニス・メタクサス