ゲイリー・ガイエティ

ゲイリー・ガイエティ
Gary Gaetti
2014年7月
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州セントラリア英語版
生年月日 (1958-08-19) 1958年8月19日(65歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1979年 ドラフト1巡目でミネソタ・ツインズから指名
初出場 1981年9月20日
最終出場 2000年4月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

ゲイリー・ガイエティGary Joseph Gaetti:ゲイリー・ジョゼフ・ガイエティ 1958年8月19日[1] - )は、アメリカ合衆国イリノイ州セントラリア英語版出身の元プロ野球選手三塁手)。右投右打。ニックネームはThe Rat(ザ・ラット)、G-Man(ジーマン)。

略歴[編集]

メジャーデビューまでの道のり[編集]

1978年1月10日に、セントルイス・カージナルスからドラフト4巡目で指名を受けたが、契約を結ばなかった。同年の6月6日には、シカゴ・ホワイトソックスからドラフト3巡目で指名を受けたが、ここでも契約は結ばなかった。

1979年6月5日に、ミネソタ・ツインズからドラフト1巡目で指名を受け、同年の6月21日に選手契約を結び、ようやくメジャーリーグの世界に足を踏み入れた。

1981年9月20日テキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビューを果たした。チャーリー・ハフ投手から初打席初本塁打を放つなど、3打数1安打1本塁打2打点という素晴らしいメジャーデビューを果たした(残りの2打席とも対戦投手はハフで、第2打席は三振、第3打席は凡退)。1981年は、9試合の出場で5安打(打率.192)ながら、2本塁打を記録した。

ツインズ時代[編集]

1982年はサードのレギュラーに定着し、三塁手として142試合、シーズン計145試合に出場(残りの試合は遊撃手として2試合、指名打者として1試合)。打率こそ.230に終わったが、25本塁打、84打点を記録。新人王の投票では6位に入った(1位は160試合に出場し、打率.264、28本塁打、93打点を記録したボルチモア・オリオールズカル・リプケン・ジュニア遊撃手)。一方で、守備面でも15失策を犯したものの、守備率は.963という数字を記録。新人の三塁手としてはまずまずの数字を残した。

1983年は出場試合数を更に増やし、157試合に出場。しかし、本塁打、打点共に1982年以下の数字に終わった。

1984年はリーグ1位タイとなる162試合に出場。自己最高の打率.262、11盗塁を記録したが、一方で本塁打、打点、失策などでは自己ワーストの数字に終わってしまった。

1985年は打率が.240台に戻ってしまったが、本塁打は再び20本を超えた。

1986年はガイエティにとって自己ベストのシーズンとなった。オールスターゲームまでは87試合に出場し、打率.262、18本塁打、53打点という数字に対し、後半戦は70試合で、打率.317、16本塁打、55打点と好調を維持。いずれも、シーズン通算成績でガイエティ自身の中で2位となる打率.287、34本塁打、108打点を記録。MVP投票では16位に入った(1位は33試合に登板し、24勝4敗、防御率2.48を記録したボストン・レッドソックスロジャー・クレメンス投手)。

1987年も30本塁打、100打点をそれぞれクリア。MVP投票では1986年よりも順位を上げ、10位に入った(1位は156試合に出場し、打率.308、47本塁打、134打点5盗塁を記録、打点王のタイトルを獲得したトロント・ブルージェイズジョージ・ベル三塁手)。同年ツインズは地区優勝し、デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.300、2本塁打、5打点の活躍でチームをリーグ優勝に導き、MVPを受賞する。さらにカージナルスとのワールドシリーズも第2戦で本塁打を放つ等活躍。チームは4勝3敗で制し、自身唯一のワールドシリーズ優勝に輝いた。11月9日に自身初のFAとなった。

1988年1月7日にツインズと再契約。FA契約1年目の1988年は30本塁打、100打点にはそれぞれ届かなかったが、自身初の打率3割以上を記録。自身初のMLBオールスターゲームにも出場(ガイエティは代打で試合に出場し、ドワイト・グッデン投手と対戦、凡退に終わる)し、MVP投票でも22位に入った(1位は158試合に出場し、打率.307、42本塁打、124打点、40盗塁を記録し、史上初の「40本塁打40盗塁」を記録したオークランド・アスレチックスホセ・カンセコ外野手)。しかし、続く2年間は20本塁打にさえ届かず、主砲としての活躍は出来なかった。

1990年7月17日のボストン・レッドソックス戦、近代野球1901年以降)では史上唯一の1試合2度の三重殺に参加した(三塁手として2度とも「5-4-3」を完成)[2]。同年11月7日にFAとなったガイエティは1991年2月23日カリフォルニア・エンゼルスと契約を結んだ。

エンゼルス時代[編集]

ツインズで30本塁打以上、100打点以上をそれぞれ2度ずつ記録したガイエティだったが、エンゼルス移籍後はツインズで過ごした晩年よりも成績が低下。1993年も開幕をエンゼルスで迎えたが、20試合に出場し、打率.180、0本塁打、4打点と全く振るわず、遂に6月3日にエンゼルスを解雇された。暫くの間、どこのチームとも契約を結べなかったが6月19日カンザスシティ・ロイヤルズと契約を結んだ。

ロイヤルズ時代[編集]

ロイヤルズ移籍後は82試合に出場し、打率こそ.256ながら14本塁打、46打点と多少持ち直した。232日間に及ぶ長期ストライキのあった1994年を経て、1995年は久々に打棒復活。自己最多の35本塁打を放ち、MVP投票では自己最高タイの10位に入った(1位は140試合に出場し、打率.300、39本塁打、26打点、11盗塁を記録したレッドソックスのモー・ボーン一塁手)。シーズンオフの11月3日にはFAとなり、12月18日にカージナルスと契約した。

カージナルス時代[編集]

現役時代(セントルイス・カージナルス在籍時)

1996年は、20本塁打、80打点をそれぞれクリアした。

1997年には再び成績が低下。シーズンオフの10月27日にFAとなったガイエティは、12月6日にカージナルスと再契約を結んだ。

1998年もカージナルスで開幕を迎える事になった。その1998年は91試合の出場で11本塁打、43打点を記録したが、打率は.265に留まり、8月14日にカージナルスを解雇された。

カブス時代[編集]

1998年8月19日、自身の誕生日の日にシカゴ・カブスと契約を結んだ。37試合の出場ながら、.320という高打率を記録。8本塁打、27打点も記録し、まずまずの形でシーズンを終えた。シーズンオフのにFAとなったガイエティは、移籍後に好成績を記録した事もあってか、12月7日にカブスと再契約を結んだ。

1999年は、113試合に出場し、打率.204、9本塁打、46打点という低い数字に終わった。シーズンオフの10月15日にFAとなった。

レッドソックス時代[編集]

2000年4月2日になって、ようやくボストン・レッドソックスと契約を結んだが、わずか5試合の出場に留まり、10打数でヒットを放つ事も出来なかった。

2000年4月12日の試合が、ガイエティにとって、現役選手としての最後の試合となった。

引退後[編集]

2002年から2004年までヒューストン・アストロズ傘下AAA級ニューオーリンズの打撃コーチを務め、2004年7月にアストロズの打撃コーチに昇格。2006年7月に解雇された後、タンパベイ・レイズ傘下AAA級ダーラムの打撃コーチとなった。

2012年、独立リーグ・アトランティックリーグシュガーランド・スキーターズの初代監督に就任。

選手としての特徴[編集]

守備面での活躍が目立った選手である。ポジション別通算守備率は三塁手として.965、一塁手として.990、遊撃手として.824、外野手として1.000をそれぞれ記録(三塁手としての出場が2282試合で最も多い)し、1986年から4年連続でゴールドグラブ賞(いずれも三塁手部門)に選出されている。 打撃面では、30本塁打以上を3度、20本塁打以上(30本塁打以上も含めて)を8度記録しているパワーヒッターである反面、通算打率は.255で打率3割台はキャリアを通じて1度しかなく、通算三振数1602、シーズン100三振以上を5度記録するなど、バットコンタクトの技術は高いとは言えない成績が残っている。また、通算四球数634、通算出塁率.308と、四球を選ぶタイプでもなかった。 走塁面では1984年から4年連続で2ケタ盗塁を記録した事もあるが、成功率は高くなかった。

詳細情報[編集]

表彰[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1981 MIN 9 26 26 4 5 0 0 2 11 3 0 0 0 0 0 0 0 6 1 .192 .192 .423 .615
1982 145 565 508 59 117 25 4 25 225 84 0 4 4 13 37 2 3 107 16 .230 .280 .443 .723
1983 157 650 584 81 143 30 3 21 242 78 7 1 0 8 54 2 4 121 18 .245 .309 .414 .723
1984 162 644 588 55 154 29 4 5 206 65 11 5 3 5 44 1 4 81 9 .262 .315 .350 .665
1985 160 608 560 71 138 31 0 20 229 63 13 5 3 1 37 3 7 89 15 .246 .301 .409 .710
1986 157 661 596 91 171 34 1 34 309 108 14 15 1 6 52 4 6 108 18 .287 .347 .518 .865
1987 154 628 584 95 150 36 2 31 283 109 10 7 1 3 37 7 3 92 25 .257 .303 .485 .788
1988 133 516 468 66 141 29 2 28 258 88 7 4 1 6 36 5 5 85 10 .301 .353 .551 .904
1989 130 536 498 63 125 11 4 19 201 75 6 2 1 9 25 5 3 87 12 .251 .286 .404 .690
1990 154 625 577 61 132 27 5 16 217 85 6 1 1 8 36 1 3 101 22 .229 .274 .376 .650
1991 CAL 152 634 586 58 144 22 1 18 222 66 5 5 2 5 33 3 8 104 13 .246 .293 .379 .672
1992 130 486 456 41 103 13 2 12 156 48 3 1 0 3 21 4 6 79 9 .226 .267 .342 .609
1993 20 56 50 3 9 2 0 0 11 4 1 0 0 1 5 0 0 12 3 .180 .250 .220 .470
KC 82 313 281 37 72 18 1 14 134 46 0 3 2 6 16 0 8 75 2 .256 .309 .477 .786
'93計 102 369 331 40 81 20 1 14 145 50 1 3 2 7 21 0 8 87 5 .245 .300 .438 .738
1994 90 352 327 53 94 15 3 12 151 57 0 2 1 3 19 3 2 63 9 .287 .328 .462 .790
1995 137 578 514 76 134 27 0 35 266 96 3 3 3 6 47 6 8 91 7 .261 .329 .518 .847
1996 STL 141 574 522 71 143 27 4 23 247 80 2 2 4 5 35 6 8 97 10 .274 .326 .473 .799
1997 148 554 502 63 126 24 1 17 203 69 7 3 4 6 36 3 6 88 20 .251 .305 .404 .709
1998 91 345 306 39 81 23 1 11 139 43 1 1 0 3 31 1 5 39 10 .265 .339 .454 .793
CHC 37 147 128 21 41 11 0 8 76 27 0 0 1 1 12 1 5 23 2 .320 .397 .594 .991
'98計 128 492 434 60 122 34 1 19 215 70 1 1 1 4 43 2 10 62 12 .281 .356 .495 .851
1999 113 308 280 22 57 9 1 9 95 46 0 1 0 5 21 0 2 51 5 .204 .260 .339 .599
2000 BOS 5 11 10 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
通算:20年 2507 9817 8951 1130 2280 443 39 360 3881 1341 96 65 32 104 634 57 96 1602 236 .255 .308 .434 .742
  • 太字はリーグ1位。

脚注[編集]

  1. ^ Gary Gaetti Stats, Fantasy & News” (英語). MLB.com. 2020年10月23日閲覧。
  2. ^ a b 25 years ago today, Twins turned two triple plays in one game”. FOXスポーツ (2015年7月17日). 2019年7月27日閲覧。

外部リンク[編集]