ケニオン・マーティン

ケニオン・マーティン
Kenyon Martin
デンバー・ナゲッツでのマーティン
(2011年)
基本情報
愛称 K-Mart
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1977-12-30) 1977年12月30日(46歳)
出身地 ミシガン州の旗 ミシガン州サギノー
身長 206cm (6 ft 9 in)
体重 106kg (234 lb)
キャリア情報
高校 ブライアン・アダムス高等学校英語版
大学 シンシナティ大学
NBAドラフト 2000年 / 1巡目 / 全体1位[1]
プロ選手期間 2000年–2015年
ポジション PF
背番号歴 6, 4, 2, 3
経歴
20002004ニュージャージー・ネッツ
20042011デンバー・ナゲッツ
2011新疆フライングタイガース
2012ロサンゼルス・クリッパーズ
20132014ニューヨーク・ニックス
2015ミルウォーキー・バックス
受賞歴
NBA通算成績
得点 9,325 (12.5 ppg)
リバウンド 5,159 (6.8 rpg)
アシスト 1,439 (1.9 apg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アメリカ選手権
金メダル - 1位 2003 サン・フアン
グッドウィルゲームズ
金メダル - 1位 2001 ブリスベン
ユニバーシアード
金メダル - 1位 1999 パルマー

ケニオン・リー・マーティン・シニアKenyon Lee Martin Sr., 1977年12月30日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州サギノー出身の元プロバスケットボール選手。NBAデンバー・ナゲッツなどで活躍した。ポジションはパワーフォワード。愛称は"K-Mart"。息子のケニオン・マーティン・ジュニアもNBA選手。

経歴[編集]

学生時代[編集]

シンシナティ大学に4年間在籍しダーマー・ジョンソンらと共にプレイした。2000年には優秀な選手に贈られるジョン・ウッデン賞(John R. Wooden Award)とジェームズ・ネイスミス賞(Naismith College Player of the Year)を獲得した。1999年ユニバーシアードアメリカ代表として金メダル獲得。

NBA[編集]

2000年NBAドラフトでは期待通りの全体1位指名を受け、ニュージャージー・ネッツに入団した。ルーキーシーズンでは、68試合に先発出場し、平均12得点、7.4リバウンド1ブロックを記録。見事オールルーキー1stチームに選出された。2003-2004シーズンでは、キャリア初のNBAオールスターゲームに出場。ネッツでは4シーズンに渡りプレーしたが、2004年将来のドラフト1巡目指名権と引き換えのトレードでデンバー・ナゲッツに移籍した。

それまでのネッツでの活躍は司令塔ジェイソン・キッドの存在があってこそ、という評価がささやかれながらも、ナゲッツでの初年度である2004-05シーズンは70試合に出場した。翌2005-06シーズンは膝の故障のために56試合の出場に留まったがプレイオフには出場。しかしながら、4月25日に行われたロサンゼルス・クリッパーズとの1回戦第2試合において、「膝を痛めた」として後半を欠場。これは前半に7分しか出場できなかったことで憤りを感じ、ハーフタイム中にジョージ・カールHCと衝突したことが原因とされる。両者には亀裂が走ったが、2006-07シーズン開幕前には関係が回復されたと報じられた(移籍の噂も多々あった)。期待された新シーズンだったものの、開幕2試合で右膝を悪化させて戦線離脱。内視鏡手術を受けた後、症状が予想以上に悪かったことが判明した。シーズン中の復帰は絶望的になってしまった。その後2007-08シーズンには71試合に出場したものの以前ほどのインパクトを失いつつある。

2011年夏、フリーエージェントとなった彼はロックアウト中のNBAから、中国プロバスケットボールリーグ新疆フライングタイガースと1年契約を結んだ。同年12月24日、チームから解雇された。当初中国のリーグが終了するまでNBAへの復帰は認められないはずであったが、国際バスケットボール連盟の許可がおり、それより早く契約を結べるようになり、2012年2月3日、ロサンゼルス・クリッパーズと契約を結んだ[1]

2015年1月9日、ミルウォーキー・バックス10日間契約を結び、その後正式にシーズン終了までの契約を結んだが、2月19日のトレード期限日にロースターの再編成の関係で解雇。

2015年7月1日、現役引退を発表した[2]

個人成績[編集]

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ

NBA[編集]

レギュラーシーズン[編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2000–01 NJN 68 68 33.4 .445 .091 .630 7.4 1.9 1.1 1.7 12.0
2001–02 NJN 73 73 34.3 .463 .224 .678 5.3 2.6 1.2 1.7 14.9
2002–03 NJN 77 77 34.1 .470 .209 .653 8.3 2.4 1.3 .9 16.7
2003–04 NJN 65 62 34.6 .488 .280 .684 9.5 2.5 1.5 1.3 16.7
2004–05 DEN 70 67 32.5 .490 .000 .646 7.3 2.4 1.4 1.1 15.5
2005–06 DEN 56 49 27.6 .495 .227 .712 6.3 1.4 .8 .9 12.9
2006–07 DEN 2 2 31.5 .500 .000 .250 10.0 .5 .0 .0 9.5
2007–08 DEN 71 71 30.4 .538 .182 .580 6.5 1.3 1.2 1.2 12.4
2008–09 DEN 66 66 32.0 .491 .368 .604 6.0 2.0 1.5 1.1 11.7
2009–10 DEN 58 58 34.2 .456 .276 .557 9.4 1.9 1.2 1.1 11.5
2010–11 DEN 48 48 25.7 .511 .222 .583 6.2 2.3 .9 .7 8.6
2011–12 LAC 42 0 22.4 .441 .231 .370 4.3 .4 1.0 1.0 5.2
2012–13 NYK 18 11 23.9 .602 .425 5.3 .4 .9 .9 7.2
2013–14 NYK 32 15 19.8 .512 .000 .579 4.2 1.6 .8 .8 4.3
2014–15 MIL 11 0 9.5 .409 1.000 1.7 .5 .5 .5 1.8
Career 757 667 30.6 .483 .234 .629 6.8 1.9 1.2 1.1 12.3
All-Star 1 0 23.0 .800 .000 .500 7.0 3.0 .0 .0 17.0

プレーオフ[編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2002 NJN 20 20 37.5 .424 .222 .691 5.8 2.9 1.2 1.3 16.8
2003 NJN 20 20 38.9 .453 .091 .693 9.4 2.9 1.5 1.6 18.9
2004 NJN 11 11 37.2 .533 .000 .750 11.0 1.1 1.2 1.3 19.1
2005 DEN 5 5 32.8 .466 .000 .615 5.6 1.2 1.0 1.0 12.4
2006 DEN 2 0 17.5 .308 .500 4.5 .5 2.0 1.0 4.5
2008 DEN 4 4 29.5 .441 .625 6.3 1.3 1.0 .5 8.8
2009 DEN 16 16 33.6 .497 .200 .657 5.9 2.1 1.1 .9 10.9
2010 DEN 6 6 34.2 .480 .000 .632 8.3 1.3 1.5 1.2 10.0
2011 DEN 5 5 29.6 .480 .611 7.8 1.6 .4 .4 11.8
2012 LAC 11 0 17.5 .524 .625 3.2 .3 .4 1.7 4.5
2013 NYK 12 1 21.1 .580 .550 4.5 .9 .8 1.4 5.8
Career 112 88 32.0 .470 .129 .679 6.8 1.8 1.1 1.2 12.9

CBA[編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2011–12 新疆 12 11 29.9 .521 .000 .613 9.7 1.8 .8 .6 13.9

家族構成[編集]

バスケットボール選手のリチャード・ロビーは異母弟にあたる。ストリートボールロバート・マーティン英語版とは従兄弟同士である。息子のケニオン・マーティン・ジュニアもバスケットボール選手。

脚注[編集]

  1. ^ CLIPPERS SIGN KENYON MARTIN”. nba.com (2012年3月7日). 2012年3月17日閲覧。
  2. ^ Kenyon Martin: I'm retiring from professional basketball”. Yahoo.com (2015年7月2日). 2015年7月3日閲覧。

外部リンク[編集]