クローウ修道院

クローウ修道院(クローウしゅうどういん、ウクライナ語Кловський монастир)は、11世紀から13世紀にかけてルーシ首都キエフに存在した正教会修道院クローウ谷に位置しており、「クローウ」(古ルーシ語では「沢」の意味)に因んで呼ばれた。建立された時期が不明だが、1075年頃であると推測される。『ルーシ年代記』では1091年の条では既に大きな修道院として言及される。伝承によれば、創立者はステファン修道士であるという。ステファンはキエフ郊外にある洞窟修道院に属していたが、紛争のために修道院を離れ、クローウで生神女庇護祭にちなんで新たな修道院を建てたのである。後にステファンはヴォロディーミル大主教となったという。1069年クマン人によって掠奪された。1108年に石造りのヴラヘルネ聖母聖堂が建てられた。1112年ダヴィド・イゴレヴィチ公爵が葬られた。1240年モンゴル帝国の軍勢によって破壊された1974年から1975年にかけて発掘調査が行われた。

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座標: 北緯50度26分30.2秒 東経30度31分51.9秒 / 北緯50.441722度 東経30.531083度 / 50.441722; 30.531083