クライスラー・ホライズン

クライスラー・ホライズン
シムカ・オリゾン(1979年型)
タルボ・ホライズン(1985年型)
概要
別名 クライスラー・ホライゾン(英国、1978–1979)
タルボ・ホライゾン(欧州、1979–1986)
製造国  フィンランドウーシカウプンキ、Saab-Valmet)
フランスの旗 フランスポワシー、Stellantis Poissy Plant)
スペインの旗 スペインマドリード
イギリスの旗 イギリス(ライトン=オン=ダンズモア)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国(ベルビディア、Belvidere Assembly Plant)
販売期間 1978年1987年(生産終了)
デザイン ロイ・アックス
ボディ
ボディタイプ 5ドアハッチバック
駆動方式 前輪駆動
プラットフォーム クライスラー・Lプラットフォーム
パワートレイン
エンジン ガソリン:
1,118cc ポワシー 直列4気筒
1,294cc ポワシー 直列4気筒
1,442cc ポワシー 直列4気筒
ディーゼル:
1,905cc XUD9 直列4気筒
変速機 4速MT
3速AT
車両寸法
ホイールベース 2,520 mm
全長 3,960 mm
全幅 1,680 mm
全高 1,410 mm
車両重量 1,025 kg
その他
累計生産台数で 842,078台
系譜
先代 シムカ・1100
ヒルマン・アヴェンジャー
後継 プジョー・309
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ホライズン、ホライゾンHorizon )は、クライスラー(現:ステランティス)のイギリス子会社の「クライスラーUK」(旧:ルーツ・グループ)とフランス子会社のシムカにおいて1978年から1986年まで販売されたコンパクトカーである。

クライスラー欧州部門がPSA・プジョーシトロエン (PSA)の一部となった1979年以降は「タルボット・ホライズン」に改名された。なお、フランスでは1979年までは「シムカ・オリゾン」、それ以降も英仏語の発音の違いから「タルボ・オリゾン」と呼ばれた。

概要[編集]

クライスラーの世界戦略車として計画され、アメリカで1978年モデルイヤーに発売されたサブコンパクトカーダッジ・オムニプリムス・ホライゾンと並行して開発が進められた。

開発はシムカ側で行われ、プロジェクトC2というコードネームが与えられていた。機構的には既に1975年に登場していた1307/1308の縮小版であったが、デザインは1974年に発表されて小型大衆車のベンチマークとなっていたフォルクスワーゲン・ゴルフⅠの強い影響を受けていた。またトレッドは当時の全長4m以下の大衆車としては異例に広く、この結果全幅は1,680mmと、上級の1307/1308の1,676mmよりも逆に大きくなった。これはプロジェクトC2が単に1100の後継車であるのみならず、小型車開発に出遅れて苦境に立った米国部門の切り札として開発されることになった結果であった。

エンジンは1100から受け継いだ水冷直列4気筒1,118cc/1,294ccと、1307/1308と共通の1,442ccを搭載する。なお、米国生産のダッジ・オムニ、プリムス・ホライゾンのエンジンは、アメリカで現地生産されたフォルクスワーゲン・ラビット(ゴルフⅠの米国輸出名)と同じ4気筒SOHC1,700ccで、欧州版とは全く異なるものであった。 [注釈 1] ゴルフに代表される当時の流行を取り入れたスタイル、良好な居住性と乗り心地、そしてクライスラー初の「ワールドカー」であるという時代的な意義が評価されて、ホライズン/オリゾンは1979年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)を、1976年の1307/1308に続いて獲得した。[注釈 2]

生産は主にシムカのポワジー工場で行われ、「クライスラーUK」(旧:ルーツ・グループ)販売分も当初はフランスからの輸入であった。英国のライトン工場で生産されるようになったのは1982年になってからであった。また、スペインのクライスラー子会社・バレイロス社、フィンランドの「Saab-Valmet」社でも生産された。フィンランド製には内装などにサーブの部品が流用された。また、その内2,385台はケロシンテレピン油を燃料とする仕様であった。

モデルの変遷[編集]

1978年夏に発売。デビューから程なくしてクライスラー欧州部門がPSA・プジョーシトロエン (PSA)の傘下に入ったため、翌1979年以降は「タルボット・ホライズン」・「タルボ・オリゾン」と改称され、フロントグリル中央のエンブレムが新しくなった。

1981年には小変更を受けて「シリーズⅡ」に発展した。しかしこの時点ではホライズン/オリゾンの競争力は目立って低下しつつあった。フォルクスワーゲン・ゴルフはⅡにモデルチェンジを済ませ、イギリス国内でもボクスホール・アストラ(オペル・カデット)やフォード・エスコートが横置き前輪駆動のハッチバックに生まれ変わっており、旧式な設計のOHVエンジン、後には改良されたがボディの発錆も欠点として指摘されていた。また、「ホットハッチ」という新たなジャンルを構築したゴルフGTIや、それに倣ったアストラ(カデット)GSiやエスコートXR2のようなスポーツモデルも用意されず、市場での存在感も低下していた。[注釈 3]

1984年型からはPSA・プジョーシトロエン傘下入りの成果として、プジョー製5速ギアボックスが1,100cc以外のモデルで標準化された。同時にバンパーが黒塗りとなり、荷室容量を増やすためリアシェルフの位置が嵩上げされ、その結果リアウィンドウの天地が縮小された。上級車にはLED表示の「エコノメーター」兼用のタコメーターが装備された。また、プジョー製XUD9型1,905ccディーゼルエンジン搭載車も追加されたが、ディーゼル車は全てスペイン製であった。

翌1985年にも内外装の小変更を受けたが、イギリスでは同時にグレードが整理され、1,294ccのLXと1,442ccのGLXの二種類となった。生産中止直前には1,118cc4速ギアボックスのLEと1,294ccのGLEが限定車として投入された。

ホライズン/オリゾンの生産は英仏では1985年夏に[注釈 4]スペインフィンランドでは1987年に終了し、後継車はプジョーブランドの309となった[注釈 5]

バリエーション[編集]

  • ガソリン 1,118cc 58ps:「GL」「GLE」
  • ガソリン 1,294cc 67ps:「GL」「LS」「LX」「GLX」
  • ガソリン 1,442cc 83ps:「LS」「GLS」「SX」「SXオートマチック」
  • ディーゼル 1,905cc:「LD」「LDオートマチック」(1983年追加)

「GLS」にはカットパイルカーペットやデジタル時計が装備され、1978年当時としては装備が充実していた。「SX」は1979年に追加され、当時の欧州車では珍しかったトリップコンピュータが装備されていた。

他、フランス版独自のグレードとして1982年に1,442cc・65psの低燃費型「EX」が追加され、廉価版の「LS」以外の排気量が1,442ccに統一された。1983年には1,592cc・90psで最高速度170km/hの高性能版「プレミアム」を追加。パワーステアリングが標準装備となっていた。

この他、「プルマン」「ウルトラ」「シルバーフォックス」「サマータイム・スペシャル」などの限定モデルも生産された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ アメリカ製はサスペンションもトーションバーではなくストラット式で、一見よく似ている車体パネルも互換性が無かった。
  2. ^ 両車とも基本構成は1967年登場のシムカ・1100を踏襲していたため、1100の先進性が見て取れる。しかし、1100のデビューした1967年には斬新なスタイリングとロータリーエンジン搭載のNSU・Ro80が登場して話題を独占したため、1100はCOTYを受賞できなかった。
  3. ^ これに対し、1984年には英国側でターボモデルが試作されたが量産には至らなかった。クリーム色のレザー張りの内装やエアロパーツを持つ試作車がコヴェントリー交通博物館に保存されている。
  4. ^ 在庫車の販売は1986年まで続いた。
  5. ^ 当初は「タルボット・アリゾナ」として英国で開発されたが、結局タルボット/タルボブランド自体が消滅することになった。また、1992年までの309初期モデルの廉価版にはシムカ系の1,118cc/1,294ccエンジンが用いられていた。

出典[編集]