ギュスターヴ・シャルパンティエ

ギュスターヴ・シャルパンティエ
Gustave Charpentier
基本情報
生誕 1860年6月25日
フランスの旗 フランス帝国モゼル県ディウーズ
死没 (1956-02-18) 1956年2月18日(95歳没)
フランスの旗 フランスパリ
ジャンル オペラ
職業 作曲家

ギュスターヴ・シャルパンティエ(Gustave Charpentier, 1860年6月25日 - 1956年2月18日)は、フランスオペラ作曲家、指揮者、台本作家。

略歴[編集]

モゼル県ディウーズフランス語版にてパン職人の家庭に生まれる。リールの音楽学校に学んだ後、1881年パリ音楽院に入学。ジュール・マスネに作曲を師事し、1887年カンタータ《ディドー》(Didon )でローマ大賞を受賞。ローマ滞在中に交響詩《イタリアの印象》(Impressions d'Italie )を作曲し、オペラ《ルイーズ》(Louise )の台本作成と作曲にも着手した。

帰国後は、ボードレールヴォルテールのテクストにより歌曲の作曲を続けていたが、ようやく《ルイーズ》が完成すると、パリオペラ=コミック座に受理され、公演の準備が進められた。このオペラは、パリの労働階級の日常を写実的に描き出しているので、フランスにおける最初のヴェリズモ・オペラと見なされることがある。《ルイーズ》は1900年2月2日アンドレ・メサジェの指揮で初演され、オペラ=コミック座で20世紀で最初に上演された新作オペラとなった。この作品はたちまち成功を収め、世界各地で演奏されるようになり、ギュスターヴ・シャルパンティエの名を広めた。また、当時の上演で主役を演じた、スコットランド出身の名ソプラノメアリー・ガーデンにとってもルイーズは当たり役となった。 1939年にはグレース・ムーアの主演で映画化もされた。《ルイーズ》は今日なお時おり上演されるだけでなく、このオペラのアリア《その日から》(Depuis le jour )は、ソプラノのリサイタルの演目としても人気がある。

1902年にシャルパンティエはミミ・パンソン音楽院(Conservatoire Populaire Mimi Pinson)を開設し、パリの職業婦人に無料で芸術教育を行おうとした。しかしながら作曲家としては不毛になっていた。《ルイーズ》の続編《ジュリアン》は、1913年の初演では《ルイーズ》ほどの大成功をおさめず、すぐに忘れられた。シャルパンティエは、その後ほとんど作曲しなくなった。

ペール・ラシェーズ墓地にあるシャルパンティエの墓石

ただし、第一次世界大戦時に負傷兵のための音楽会を主宰し、自作の指揮も行うなど隠棲することはなかった。1900年レジオンドヌール勲章を授与され、その後1930年にコマンドゥール、1950年にグラントフィシエを授与されている。1956年にパリでシャルパンティエは95歳の天寿を全うした。パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されている。

作品[編集]

オペラ作品[編集]

管弦楽曲[編集]

合唱曲[編集]

  • 交響劇「詩人の生涯」– 1892年
  • 狂った印象 – 1894年
  • ヴァトーに寄せるセレナード – 1896年

歌曲[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]