キャンティ (イタリア料理店)

有限会社春日商会
KASUGA & CO.,LTD.
キャンティ 飯倉片町本店
種類 特例有限会社
本社所在地 日本の旗 日本
106-0041
東京都港区麻布台3丁目1-7
設立 1960年4月6日
業種 小売業
法人番号 8010402003443
事業内容 レストラン「キャンティ」の経営・運営、洋菓子製造・販売
代表者 代表取締役社長 川添隆太郎
資本金 300万円
従業員数 131名
関係する人物 川添浩史、川添梶子
外部リンク https://www.chianti-1960.com/
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キャンティ(CHIANTI)は、東京都港区麻布台3丁目で春日商会が運営するイタリア料理店1960年(昭和35年)の創業以来、各界著名人・文化人が利用する高級レストランとして知られる。店名はキャンティ・ワインにちなむ。

人物[編集]

  • 川添浩史

キャンティのオーナー、川添浩史(本名:川添紫郎、1913年大正2年)2月17日 - 1970年昭和45年)1月10日)は、伯爵後藤猛太郎庶子として生まれ、川添清麿(妻は土佐佐川領主深尾重先の孫)の養子として育てられた。母親は新橋芸者のおもん。祖父は大政奉還の立役者である伯爵後藤象二郎。若き頃にパリへ遊学し、写真家ロバート・キャパと交友し[1]フランス映画の日本輸入に携わった。1938年(昭和13年)にピアニストの原智恵子と結婚し、長男の川添象郎(本名:川添象多郎)、次男の川添光郎が生まれた。

1940年に第二次世界大戦の勃発を受けて日本にもどり、パリ時代に獲得した外務省の外郭団体「国際文化振興会」嘱託という身分のまま、フランス映画の輸入のほか、上野でレオナルド・ダ・ビンチ展を開催したりといった文化活動を続けた[2]。また、いとこにあたる小島威彦が創設した国粋団体「スメラ学塾」にかかわり、妻の原智恵子、オペラ歌手の三浦環、パリ時代の友人で建築家の坂倉準三らと赤坂にサロン「スメラクラブ」を作った[2][3]

戦後は高松宮宣仁親王の国際関係特別秘書となり、高輪の旧高松宮邸を改装した結婚式場「光輪閣」の支配人を務めた。また、国際人としてロバート・キャパの招聘、アズマカブキや文楽の海外興行、カンヌ映画祭での映画「砂の女」プロモーション[4]大阪万博富士グループパビリオン、ミュージカル『ヘアー』の日本公演など、幅広い文化プロデュース活動を行った。

  • 川添梶子

妻の川添梶子(旧姓:岩元、1928年(昭和3年)2月25日 - 1974年(昭和49年)5月17日)は、神戸市の実業家の娘として生まれる。聖心女子学院卒業後、芸術家志望で単身イタリアに渡り、彫刻家エミリオ・グレコに師事した。イタリア滞在中に結婚し1女をもうける。

アズマカブキのイタリア公演にナレーターとして参加した時に浩史と知り合い、イタリア人の夫と子供を残して日本へ帰国。浩史の離婚後、1959年(昭和34年)に結婚した。社交界でも著名で、またデザイナーとして島津貴子グループ・サウンズの衣装も手がけた。

沿革[編集]

1960年4月、川添夫妻は六本木のはずれ、麻布飯倉片町8番地(現麻布台3丁目)にイタリアンレストラン「キャンティ」を開店した。発案者は妻の梶子で、「日本には本格的なイタリアンレストランがまだないから、自分達でつくってしまおう」という理由だった。川添象郎によれば、開店初日にペギー葉山、ジェリー藤尾が来店したという。

梶子は建築家村田豊の協力をえて店の内装をデザインし、シェフやコックたちに調理法を教えた。人気メニューのスパゲッティ・バジリコは生バジルが簡単に入手できないため自宅の庭で栽培し、日本人の口に合うよう大葉パセリを混ぜて工夫した。裏メニューとして、金曜日のみ注文できるブイヤベースも好評だった。のちに改築にともない地下1階から2階にも店を広げ、1階ではテイクアウトのデリ、ブティック「ベビードール」、2階はフランス料理、3階では会員制「キャンティシモ」の営業を開始した。

キャンティは午前3時まで営業しており、遅い夕食をとる放送・芸能関係者から、客である政財界人に連れられて来る赤坂銀座のホステスまでが来店して深夜に賑わった。店内にはヨーロッパのサロンのような自由闊達な雰囲気があり(浩史は「西洋のおでん屋」と表現した)、川添夫妻の人脈を介して映画監督、作家、音楽家、デザイナーなど各界の文化人が交流した。キャンティの常連客には、安井かずみ加賀まりこコシノジュンコかまやつひろしらから、三笠宮崇仁親王島津久永島津貴子夫妻など、皇族関係者までが含まれた[5]

開店当時、六本木には在日米軍兵舎があり(現在も星条旗新聞や麻布米軍ヘリ基地(赤坂プレスセンター)がある)、アメリカ文化に惹かれる若者(六本木族)が集まるようになり、やがて「六本木野獣会」のたまり場になった。キャンティをはじめ、シシリア、ニコラス、ザ・ハンバーガー・イン、レオスといった料理店が溜まり場となった。キャンティのモットーは「子供の心をもつ大人たちと、大人の心をもつ子供たちのために作られた場所」。国籍・年齢・性別の異なる人々が集い、若者が大人の世界に触れ、一流の所作を学ぶ場となった。

ふと見ると隣の席では、フランク・シナトラマーロン・ブランドなんかが食事してる。僕ら若憎は震えながら挨拶し、いろんなことを教わった。それはあたかも、真夜中の学校のようだった。 — かまやつひろし、『キャンティ物語』推薦文

彼らは浩史を「パパ」、梶子を「タンタン」(イタリア語で「おばさん」)と呼んで慕った。梶子は自立した女性のモデルとして加賀や安井らの憧れとなり、「ベビードール」ではグループ・サウンズや人気歌手(布施明森進一など)の衣装デザインを引き受けた(「岩元梶子」名でザ・スパイダースの英語カヴァー曲の訳詞もした)。彼らはファッション・音楽など1960年代サブカルチャーの先端をゆく「キャンティ族」として有名になり、キャンティは背伸びしたい年頃の若者が一度は訪れてみたい「伝説のレストラン」となった。

浩史の長男の川添象郎は父の文化事業を手伝い、最年少の常連客だった荒井由実(松任谷由実)のアルファレコードでのデビューをプロデュースした。2004年平成16年)には日本テレビ系列でスペシャル番組『あの日にかえりたい。〜東京キャンティ物語〜』が放送された[6]

川添夫妻の死後、次男の光郎が店を引き継ぎ、2010年(平成22年)に光郎が死去したのちは川添隆太郎(光郎の息子)が3代目オーナーとなっている。2021年現在、レストラン及びカフェとして飯倉片町本店、西麻布店(霞町交差点界隈サァラビル地下1階)、「カフェキャンティ」(松屋銀座6階)の3店舗と、東京駅前の丸ビルにショップがある。また日本橋髙島屋などで臨時ショップをオープンしている。自由が丘の支店は一時期で終わった。

なお本店地下1階はレストラン、1階はイタリアンカフェ「アルカフェ・キャンティ」である。2006年には2階にバー「キャンティッシモ」が開業した。現在も本店、支店ともに開業時以来の常連客やその子息を中心に、著名人や富裕層の顧客が多い。

本店1階ではケーキやクッキー、ドレッシングやトマトソースなどを購入し持ち帰ることができるほか、松屋銀座店や丸ビルにあるショップや、オンラインショップでも購入することができる。

ドレスコード[編集]

店内の雰囲気を保つために、ドレスコードとして「スマートカジュアル」を設定しており、男性は襟付きシャツを着用し、逆にハーフパンツやタンクトップノースリーブサンダル類の着用、またはそれと見間違えるようなラフな服装は控えるように求めている。

主な顧客[編集]

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脚注/出典[編集]

  1. ^ 川添は井上清一と共同で、キャパの著書『ちょっとピンぼけ』(原題:Slightly out of Focus)を翻訳している(1979年初版)。
  2. ^ a b 野地秩嘉 1994.
  3. ^ 石井妙子『原節子の真実』新潮社、2016年、134頁。 
  4. ^ 川添浩史(かわぞえ・ひろし)”. 港区ゆかりの人物データベース. 港区. 2023年8月11日閲覧。
  5. ^ 磯前順一 2013, pp. 54–55.
  6. ^ あの日にかえりたい。 : 東京キャンティ物語”. 日テレ. 日本テレビ (2004年10月10日). 2023年3月27日閲覧。
  7. ^ 磯前順一 2013, p. 54.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 【キャンティの歩み】サロンの客たち - キャンティ公式サイト内のページ
  9. ^ 「筒美京平 大ヒットメーカーの秘密」p.124 近田春夫著。文春新書
  10. ^ 村井邦彦(9) キャンティ : 芸術家たちの「夜間学校」 後のレコード会社設立の原点」『日本経済新聞』、2023年2月9日。2023年2月11日閲覧。

参考文献[編集]

  • 野地秩嘉『キャンティ物語』幻冬舎、1994年。ISBN 978-4877280222  - キャンティ30年史編纂をきっかけに執筆したノンフィクション。幻冬舎文庫版(1997年)もある。ISBN 978-4877284947
  • 川添象郎『象の記憶 : 日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー』DU BOOKS、2022年。ISBN 978-4866471754  - 川添浩史の長男が執筆した回想録。音楽プロデューサーとしての活躍とともに、青春時代やキャンティ、父のことが語られている。
  • 磯前順一『ザ・タイガース : 世界はボクらを待っていた』集英社〈集英社新書〉、2013年。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]