カメハメハ5世

カメハメハ5世
Kamehameha V
ハワイ国王
カメハメハ5世
在位 1863年11月30日 - 1872年12月11日

全名 Lota (Lot) Liholiho Kapuāiwa Kalanimakua Kalanikupuapaikalaninui Aliʻiolani Kalani-a-Kekūanaōʻa
出生 1830年12月11日
ハワイ王国の旗 ハワイ王国 オアフ島ホノルル
死去 (1872-12-11) 1872年12月11日(42歳没)
ハワイ王国の旗 ハワイ王国 オアフ島ホノルル
埋葬 1873年1月11日
ハワイ王国の旗 ハワイ王国 オアフ島ハワイ王室霊廟
王朝 カメハメハ
父親 ケクアナオア
母親 キナウ
サイン
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カメハメハ5世

カメハメハ5世Kamehameha V、ロト・カプイワ、Lot Kapuāiwa1830年12月11日 - 1872年12月11日)は、ハワイ王国第5代国王。在位は1863年11月30日から1872年12月11日まで。

略歴[編集]

カメハメハ1世の娘キナウの長男としてホノルルに生まれる。幼少期より欧米各国を訪問し、1849年には、カウイケアオウリ(カメハメハ3世)の元へ養子に出されていた弟のアレクサンダー・リホリホ(のちのカメハメハ4世)と共にアメリカ合衆国へ渡る。イギリスでは国賓として厚くもてなされたのに対し、アメリカでは冷遇され、ニガーの扱いすら受けたことなどから、親英主義の考えを持つようになった[1]。カメハメハ4世が即位すると、その下で内務長官、財務長官の要職に就いた。

1853年にはフリーメイソンのハワイアン・ロッジNo21に加入した[2]

1863年11月30日、先代カメハメハ4世が29歳という若さで急逝したため、カメハメハ5世として即位する。王権の拡張を志向し、アメリカによって起草された共和主義的な1852年憲法を否定し、1864年8月13日に同憲法の破棄を宣言、8月20日に新しい憲法(1864年憲法)を公布した。この憲法では議会一院制選挙権獲得条件の厳格化が規定された。

1872年12月11日、独身で、世継ぎの無いまま42歳で他界し、カメハメハ王朝は断絶する。後継には議会より選出されたウィリアム・C・ルナリロが王位を継承した。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 中嶋弓子『ハワイ・さまよえる楽園』東京書籍、1993年。ISBN 4-487-75396-1 

関連項目[編集]