エマオの晩餐 (カラヴァッジョ、ロンドン)

『エマオの晩餐』
作者カラヴァッジョ
製作年1601年
寸法141 cm × 196.2 cm (56 in × 77.2 in)
所蔵ナショナル・ギャラリーロンドン

エマオの晩餐』(エマオのばんさん、: Cena in Emmaus, : Supper at Emmaus) は、イタリアバロック期の巨匠カラヴァッジョによって1601年に制作された絵画である。現在、ロンドンナショナル・ギャラリーに所蔵されている。この絵画は、もともとジローラモ・マッテイ枢機卿の兄弟であるチリアーコ・マッテイによって依頼され、代金が支払われた。

概要[編集]

この絵画は、復活したことを知られていなかったイエス・キリストエマオの町にいる二人の弟子(ルカクレオパと推定される)に自分自身の素性を明らかにした瞬間を描いている。イエスは、すぐに二人の視界から消えてしまう(「ルカの福音書」24章30節–31節)。クレオパは、巡礼者のホタテ貝貝殻を身に着けており、もう一人の使徒は破れた服を着ている。クレオパは、画面の内側から外側へと遠近法的に困難な方法で腕を伸ばして身振りを表している。腕は画面を突き破っているように見え、鑑賞者は画面に引き込まれてしまう[1]。額が滑らかで顔が暗闇の中に隠れている宿屋の主人は、出来事に気づいていないように見える。この絵画は等身大の人物、暗い空白の背景を描いている点で異例のものである。テーブルは、静物画的な食事を提示しているが、使徒たちが知っていた世界のように、食物のかごはテーブルの縁から危うく傾いている。

エマオの晩餐』 、1606年。ミラノブレラ美術館所蔵。

マルコによる福音書(16章12節)で、イエスは「別の形で」使徒たちの前に現れたと言われている。そのため、『聖マタイの召命』の髭を生やしたキリストとは対照的に、この絵画では髭を生やした姿で描かれていない。『聖マタイの召命』の着席している人々は、使徒を求めるキリストによってお金を数えることを中断させられているが、カラヴァッジョの絵画で日常生活を中断する崇高な存在は、繰り返されるテーマである。『エマオの晩餐』で、人間としてのイエスは弟子たちに自分自身を認識できなくさせるものの、すぐにその人間性を顕現し、その後超越していく。そこでイエスの高貴でない人間性は、この場面に適しているのである。カラヴァッジョは、おそらくイエスが私たちの日常の出会いに入りうることを示唆しているようである。暗い背景が画面を包み込んでいる。

カラヴァッジョは、1606年に『エマオの晩餐』(現在はミラノブレラ美術館にある)で別のバージョンの晩餐図を描いた。比較すると人物の身振りははるかに抑制されており、演劇性よりも存在感が重要になっている。両方のバージョンで使用されている芸術上の技法は、鑑賞者の注意を引く手段として、人物が身振りで動いているかのように見えるようにするトロンプ・ルイユの様式である。

ミラノの作品に見られる相違点は、おそらくその時点でのカラヴァッジョの人生の状況を反映している可能性がある(画家はラヌッチョ・トマッソーニの死後、無法者としてローマから逃げていた)。または、おそらく画家の芸術の進行中の展開を示している。両作品を隔てる5年の間に画家は抑制の価値を見出すようになったのである。

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ナショナル・ギャラリーコンパニオン・ガイド、2004年発行、187-188頁 ISBN 1-85709-403-4