ウルトラマンロビン

ウルトラマンロビン
ウルトラマンロビンの画像
プロフィール
リングネーム ウルトラマンロビン
ウルトラマンロビン・アルティメット
尾内 淳
本名 尾内 淳
ニックネーム 宇宙銀河騎士
身長 170cm(変身前は165cm)
体重 90kg
誕生日 (1965-02-15) 1965年2月15日(59歳)
出身地 M78星雲光の国[1]
所属 SGP
デビュー 1990年3月15日
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ウルトラマンロビン1965年2月15日 - )は、プロレス界唯一の円谷プロダクション公認覆面レスラー[2][3]。変身前の名前は尾内 淳(おうち じゅん)。

経歴[編集]

身長が低いことから新日本プロレス全日本プロレスに入門を断られてジャパン女子プロレスでスタッフをして働いていたが同じく身長が低いウルティモ・ドラゴンのデビューに刺激を受けてマーク・ロコを頼りにイギリスへ渡る[4]

1990年3月15日オールスター・レスリングで寺尾淳として対リー・トーマス戦でデビュー[1]。同年、日本に帰国してリングネームを円谷プロダクション公認覆面レスラー「ウルトラマンロビン」に改名[5]。ウルトラマンロビンとしての活動、怪獣の版権に関しては円谷プロダクション代表取締役社長の円谷皐に許可をもらっていた[2]。名称使用の基本条件は「試合には絶対負けるなと言いたいが汚い試合、卑怯な事はしないでほしい」だった[2]。「ロビン」の名称はデビュー戦がイギリスでロビン・フッドのイメージから命名[4]

2012年、円谷プロダクションの経営体制変更から版権切れ問題が発生して話し合いの結果、版権の絡む宇宙人と怪獣の登場を封印することでウルトラマンロビンとしての活動は継続される方向に落ち着いた[6][7][8]7月3日スポルティーバアリーナで行われたウルトラマンロビン対メフィラス星人による「ウルトラマンロビン20周年記念プレミアムマッチ」でウルトラマンロビンが勝利して試合終了後にウルトラマンロビンとメフィラス星人が歴史的な握手を交わして正義と悪の抗争に終止符が打たれた。

2014年8月24日シアタープロレス花鳥風月を運営しているG-TALENTと契約したことが発表されて団体名をシアタープロレスSGP名古屋花鳥風月に改称[9]

2018年11月9日に発売された週刊プロレス増刊「プロレスラー選手名鑑2019」で団体名がSGPに戻っていた[10]

得意技[編集]

ウルトラデスティニー
ダイビングボディアタックと同型。
ウルトラトルネーダー
ウルトラクラッチ
ラ・マヒストラルと同型。
ウルトラダイナマイト

入場曲[編集]

タイトル歴[編集]

  • IWA世界ミッドヘビー級王座
  • SGP認定グローバルジュニアヘビー級王座
  • SGP認定グローバルジュニアヘビー級タッグ王座
  • テレビ愛知認定マンモスフリーマーケット王座
  • MFM王座
  • FUCK!認定UNIVERSAL宇宙タッグ王座
  • アイアンマンヘビーメタル級王座

テレビ出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 日本スポーツ出版社刊「NIPPON SPORTS MOOK16 1999ゴング・プロレス名鑑」
  2. ^ a b c 日刊現代刊「日刊ゲンダイ」円谷プロがただひとり正式公認したプロレスラー ウルトラマンロビン(2011年7月1日掲載)
  3. ^ 1979年新日本プロレスに来日したウルトラマン1982年から全日本プロレスに登場したウルトラセブンなどもいるが、それらは非公認。
  4. ^ a b 【ジャスティスの苦悩】ウルトラマンロビン「あんなにネットで叩かれたら普通は自殺しますよ!」”. Dropkick:『Dropkick』チャンネル(Dropkick編集部) - ニコニコチャンネル (2015年8月1日). 2015年9月4日閲覧。
  5. ^ 【新連載】ミス・モンゴルの旦那、豊本明長です 東京03豊本のプロレスあれこれ”. スポーツナビ. 2018年11月11日閲覧。
  6. ^ ウルトラマン・ロビンとメフィラス星人が歴史的握手〜版権切れて抗争完全終結”. ブラックアイ2 (2011年7月6日). 2015年3月6日閲覧。
  7. ^ 晋遊社刊『Dropkick vol.2』円谷プロ公認リングネームが剥奪の危機!? ウルトラマンロビン「ウルトラマン権利問題とは何か?」2011年10月20日発売
  8. ^ 東スポWEB (2011年7月14日). “ウルトラマンロビン選手について”. 2015年3月6日閲覧。
  9. ^ バトル・ニュース (2014年8月27日). “8.23『ミニカチョ.3』1HOURトーナメントで倉島が優勝!8.24『花鳥風月vol.21』でロビンの花鳥風月所属を発表!”. 2014年9月18日閲覧。
  10. ^ ベースボールマガジン社週刊プロレス」2018年12月9日増刊号44頁

外部リンク[編集]