ウィリアム・シェイ

ウィリアム・アルフレド・シェイ

1959年
生誕 (1907-06-21) 1907年6月21日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク
死没 (1991-10-02) 1991年10月2日(84歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク
出身校 ニューヨーク大学
職業 弁護士
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ウィリアム・アルフレド・シェイWilliam Alfred Shea, 1907年6月21日 - 1991年10月2日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身の弁護士。

経歴[編集]

ニューヨーク大学を卒業後、ジョージタウン大学と同大学のローセンターを経て弁護士となった。

1958年MLBではジャイアンツサンフランシスコへ、ドジャースロサンゼルスへと移転し、ニューヨークからナショナルリーグ所属の2球団が消えた。そこでアメリカンリーグナショナルリーグに次ぐ大リーグ「第3のリーグ」として、ドジャースのオーナーであるブランチ・リッキーが「コンチネンタル・リーグ」の創設を提唱すると、シェイはその計画に乗じてニューヨークに新球団設置が決まった。ただし、やがてシェイはこのままメジャーリーグと張り合っても勝算が薄いと考え、リーグの撤退を決めた。

その後、先の新球団は1962年ニューヨーク・メッツの名で誕生する。そしてニューヨークにナ・リーグのチームを復活させたシェイの功績は、1964年に完成したメッツのホームグラウンドであるシェイ・スタジアムにその名を冠することで称えられた[1]

シェイの名前「SHEA」。
ニューヨーク・メッツの永久欠番扱いとして2008年指定。

シェイは1991年10月2日脳卒中により死去。84歳没。翌1992年は、メッツはシーズン通して左袖に追悼のパッチをつけてプレイした。

2008年、シェイ・スタジアム最終年となったこの年よりメッツはシェイの苗字『SHEA』をもって永久欠番扱いとして顕彰した。

脚注[編集]

  1. ^ 綱島理友「アメリカン・ベースボールの歴史」『綱島理友のアメリカン・ベースボール徹底攻略ブック』ベースボール・マガジン社、2015年、雑誌 978-4-583-10814-8 、57-58頁。

外部リンク[編集]