インゴルシュタット

インゴルシュタット

Ingolstadt
インゴルシュタットの紋章
紋章
インゴルシュタットの位置(ドイツ内)
インゴルシュタット
インゴルシュタット
北緯48度45分49秒 東経11度25分34秒 / 北緯48.76361度 東経11.42611度 / 48.76361; 11.42611
ドイツの旗 ドイツ
バイエルン州
行政管区 オーバーバイエルン行政管区
郡独立市
行政区域 12 Stadtbezirke mit 61 Unterbezirken
政府
 • 上級市長 クリスティアン・レーゼル (CSU)
面積
 • 合計 133.35 km2
最高標高
410 m
最低標高
362 m
人口
(2015年12月31日)
 • 合計 132,438人
 • 密度 990人/km2
郵便番号
85049 - 85057 (旧:8070)
市外局番 0841(一部 08450、08424)
ナンバープレート IN
自治体コード 09 5 62 000
ウェブサイト www.ingolstadt.de

インゴルシュタットドイツ語: Ingolstadtバイエルン語:Inglståd)は、ドイツバイエルン州ドナウ川沿いにある、郡独立市である。 語源は古代ラテン語アウリポリス(Auripolis)を由来としている。

概要[編集]

2015年12月31日現在13万2438人の人口を擁し、オーバーバイエルンにおいてはミュンヘンに次ぐ2番目に大きな都市であると共に、バイエルン州においてもミュンヘンニュルンベルクアウクスブルクレーゲンスブルクヴュルツブルクについで6番目に大きい都市である。バイエルン自由州に23箇所ある、クリスタラー中心地理論による上位中心(Oberzentren)の内の一つでもある。近隣の大都市としては75km南にあるミュンヘン、95km北にあるニュルンベルクがある。

1989年に人口10万人の大台を突破し、大都市(人口10万人以上と定義)の仲間入りを果たした。バイエルンでは最も新しく大都市になった町である。またドナウ川沿いのドイツの都市としてはレーゲンスブルクに次いで大きい。

また、高級自動車メーカー、アウディの本社・工場があることでも知られる。30年戦争で活躍した、バイエルン公国の武将であるティリーが戦没した場所でもある。SF小説『フランケンシュタイン』の人造人間製造の舞台(主人公がここの大学に留学していた設定)でもある。

地理[編集]

インゴルシュタットは海抜374mのドナウ川沿いにあり、インゴルシュタット盆地 (Ingolstädter Becken) と呼ばれる広く平坦な盆地内に位置し、北側をJuraausläufern 山脈が、南側を第三期の丘陵が囲んでいる。市域は133.35km²にわたって広がっている。

歴史[編集]

旧市庁舎
我らの淑女教会
Kreuztor

806年2月6日カール大帝の記録に「Ingoldes stat」(Ingoldの土地)として初めて登場した。

1250年頃、市の資格を得た[1]

1392年神聖ローマ帝国の構成国として、シュテファン3世バイエルン・インゴルシュタット公国を創設し、インゴルシュタットに首都を置いた。 ルートヴィヒ7世ゴシック様式ニューカッスル英語版を建設した。

1447年バイエルン・インゴルシュタット公国バイエルン=ランツフート公国に編入され滅亡した。

1472年ルートヴィヒ9世インゴルシュタット大学を創設した。この大学は宗教改革時代のローマ・カトリック教会の重要な守護者であった。ヨハン・エック等の学者が活躍した。

1516年ヴィルヘルム4世ビール純粋令を書き上げ、署名した。 この法令は現在でも有効な食品に関連する法律としては世界最古のものである。

1632年4月30日スウェーデン軍の包囲の中で、カトリック連盟ティリー伯ヨハン・セルクラエス総司令官が戦死した。 その後スウェーデン軍は撤退し、インゴルシュタットはスウェーデン軍の包囲に打ち勝った最初の要塞となった。 スウェーデン王のグスタフ2世アドルフの馬は要塞の「The Fig」と呼ばれる大砲に撃たれ、現在は市立博物館に展示されている。

1748年イルミナティの創設者であるアダム・ヴァイスハオプト英語版が誕生した。

1799年フランスに占領され、要塞は破壊された。

1800年、インゴルシュタット大学がランツフートに移転した。

1818年イギリスメアリー・シェリーが、インゴルシュタットを舞台にフランケンシュタインを出版した。舞台のIngolstädter Alte Anatomie(旧解剖学研究所)は現在は中世博物館になっている。

1826年、インゴルシュタット大学がミュンヘンに移転し、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンになった。

1850年アドルフ・シェルツァードイツ語版が「Bayerischen Defiliermarsch」(バイエルン分列行進曲)を作曲する。

第一次世界大戦中、後にフランスの大統領になるシャルル・ド・ゴール捕虜として滞在した。

1928年マリールイーゼ・フライサー英語版インゴルシュタットの開拓者英語版を書いた。

1945年、自動車製造業のアウトウニオン幹部が初めて訪れた。 アウトウニオンが元々使用していたケムニッツツヴィッカウの工場は第二次世界大戦で閉鎖され、戦後は東ドイツとなり使用出来なくなった。

1949年欧州復興計画の助けを得て、アウトウニオンがこの地で再建された。

1964年フォルクスワーゲンアウトウニオンを買収し、後にアウディになった。

1989年、人口が大都市の条件である10万人を突破し、バイエルン州で6番目に大都市になった。

今日では、アウディは地域の最大雇用企業であり、インゴルシュタットの経済を支えている。

主な外国人集団[2]
国籍 2014年の人口
トルコの旗 トルコ 4,700
ルーマニアの旗 ルーマニア 1,906
ギリシャの旗 ギリシャ 1,164
イタリアの旗 イタリア 968
ポーランドの旗 ポーランド 952
クロアチアの旗 クロアチア 906
ハンガリーの旗 ハンガリー 802
コソボの旗 コソボ 717

スポーツ[編集]

FCインゴルシュタット04が、インゴルシュタットを本拠地とするサッカークラブである。

ERC Ingolstadtというインゴルシュタットを本拠地とするアイスホッケーチームがある。

関連項目[編集]

出身有名人[編集]

架空の人物としては『フランケンシュタイン』に登場する人造人間(フランケンシュタインの怪物)がここで製造された設定になっている[3]
(なお、製作者のヴィクター・フランケンシュタインはジュネーヴ生まれ)

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年5月13日閲覧。
  2. ^ Bevölkerung” (pdf) [Population] (German). Stadt Ingolstadt. pp. 34–38. 2015年7月21日閲覧。
  3. ^ 『フランケンシュタイン』森下弓子訳(創元推理文庫東京創元社) 1984年 ISBN 4-488-53201-2

外部リンク[編集]