アームド

アームド
欧字表記 Armed
品種 サラブレッド
性別 セン
毛色 黒鹿毛
生誕 1941年
死没 1964年
Bull Lea
Armful
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 カルメットファーム
馬主 カルメットファーム
調教師 H.A.Jones(アメリカ)
→Ben A.Jones(アメリカ)
競走成績
生涯成績 81戦41勝
獲得賞金 817,475ドル
テンプレートを表示

アームド (Armed) とは、1940年代に活躍したアメリカ合衆国競走馬である。せん馬であったため、長い期間走り続け、多くの名馬と対戦し、自身も41勝もの勝ち星をあげた。20世紀のアメリカ名馬100選では第39位に選出されている。

戦績[編集]

アームドは気性が悪かったために2歳の3月に去勢され、デビューは3歳になってからであった。2月終わりのデビュー戦を8馬身差で圧勝したが、4戦目のレナートハンデキャップではトワイライトティアーに完敗し、クラシックからは遠のいてしまう。結局3歳時のアームドは7戦3勝でステークス勝ちはなく、平凡な馬であった。

だが4歳になってベン・ジョーンズ厩舎から息子のジミー・ジョーンズ厩舎へ転厩すると、アームドの快進撃が始まる。初戦こそ5着に敗れたものの、その後6連勝。シカゴハンデキャップで連勝は止まり、ワシントンパークハンデキャップではブッシャーに敗れるものの、10月のワシントンハンデキャップから再び連勝を開始し、ピムリコスペシャルステークスでは同じく遅れてきた名馬スタイミーや、ブッシャーに次ぐ実力の3歳牝馬ギャロレットを一蹴し、最強馬の座へと躍り出た。

5歳になってもアームドの快進撃は続く。前年6月から続けていた連対を22まで伸ばしたのである。ほとんどのレースで130ポンド(約59キログラム)余りのハンデを課せられながらこの記録は驚異的と言える。5月のサバーバンハンデキャップでは、スタイミー、ポリネシアンの古馬3強が一堂に会するが、結果はアームドの快勝で、都合三度対戦したスタイミーには、遂に一度も先着を許さなかった。

6歳になったアームドは、円熟期を迎える。ワイドナーハンデキャップ、ガルフストリームハンデキャップ、スターズ&ストライプスハンデキャップ、ワーラウェイステークスで4度のレコード勝ちを収める。そして9月。ベルモントパーク競馬場で、2歳年下の三冠馬、アソールトとのマッチレースに臨んだ。アソールトは既にスタイミーを何度も下しており、多くの注目が集まった一戦だったが、蓋を開けてみればアームドの8馬身差圧勝で、このレースが決め手となってアームドは年度代表馬に選出された。アームドにとって最高のレースとなったが、反動も大きかったのか、このレースを境に勢いが落ちていく。

7歳初戦を勝利したアームドは、2月の一般戦でサイテーションと対峙する。ところが精彩を欠き、約3年ぶりに掲示板を外す6着に敗れてしまう。次走のセミノールハンデキャップでも対戦するが雪辱はかなわず、更にこの後故障を発生して一年余りの休養を余儀なくされる。復帰後アームドは9歳まで走り5勝を挙げるが、ステークスレースを勝つことはできなかった。だが、引退レースとなった一般戦はレコードで勝利し、最後の勇姿を見せた。

評価[編集]

主な勝鞍[編集]

年度表彰[編集]

  • 1946年 - 全米最優秀古牡馬
  • 1947年 - 全米最優秀古牡馬、年度代表馬

表彰[編集]

血統表[編集]

アームド血統テディ系/Trenton 4x5=9.38%) (血統表の出典)

Bull Lea
1935 青鹿毛 アメリカ
父の父
Bull Dog
1927 青毛 フランス
Teddy Ajax
Rondeau
Plucky Liege Spearmint
Concertina
父の母
Rose Leaves
1916 青鹿毛 アメリカ
Ballot Voter
Cerito
Colonial Trenton
Thankful Blossom

Armful
1933 黒鹿毛 アメリカ
Chance Shot
1924 鹿毛 アメリカ
Fair Play Hastings
Fairy Gold
Quelle Chance Ethelbert
Quelle Est Belle
母の母
Negrina
1921 黒鹿毛 アメリカ
Luke Mcluke Ultimus
Midge
Black Brocade Neil Gow
Black Velvet F-No.3-o


外部リンク[編集]